僕は怖いので帰りたい 後編
ミオ様は、すぐに動いた。
「初めまして! お邪魔しています。私の名前はカリナ・バートン、マリーちゃんと同じ学校に通っていました!」
高らかに名乗り上げ、不器用なカーテシーをしてみせる。男爵とミオ様は、かつてしっかり顔合わせをしている。それでもミオ様は一切の不安もないようで、丸眼鏡越しに、まっすぐ男爵と目を合わせていた。
男爵は険しい顔。
「……同じ学校? あそこは今、男しかいないはずだ。それに、マリーに女友達など」
ミオ様はすかさず、学生証をつきつけた。カリナ・バートンがこの学校で勉強をし、中途退学したという証明書だ。
「この春で辞めて、今は王都で暮らしているんです。そこでマリーちゃんと出会って友達になりました」
「……王都で……」
「はい。それでお使いを頼まれたんですよ。部屋に忘れてきた物を取ってきて欲しいって」
「…………タニア。なぜ、客人をここに?」
僕たちではなく、侍女のほうに追及する。侍女は胸を張った。
「だから、マリー様のお部屋に連れて行ってくれとその娘が言ったからですよ」
関係ない僕も、侍女の愚かさにちょっとイラッとした。思わず男爵の怒号を期待する――が、次の瞬間、男爵は意外な反応をした。
明るく笑ったのだ。
「はははは! タニア、このいたずら者め、またやったな? すまなかったね客人。見ての通りここはただの倉庫だよ、驚いただろう!」
……は?
僕はもちろん、ミオ様も、侍女までもが疑問符を浮かべて棒立ちになる。男爵は豪快に笑いながら、まずは侍女の背を叩き、僕らの肩をぽんぽん優しく叩いて回った。
「可愛い娘に、こんな薄汚い部屋をあてがうわけがないだろう? はっははは――屋敷は私が案内しよう。ついてきなさい」
一方的に言い、シャデラン男爵は背中を向けた。
侍女はさすがに自分の失態を悟ったのか、口をつぐんでいる。もう何も聞けそうにない。
ミオ様の対処は早かった。父親のあとを追おうとする、少年の肩を捕まえて、
「――あなたがマリー様の弟、セドリックですね?」
少年は全身を硬直させた。酷い人見知りらしい。震えながら、なんとか小さくコクリと頷く。
「う、うん。ぼく……」
「セドリック!!」
父親に呼ばれ、少年の身体がビクッと大きく跳ね上がる。身を縮めた少年に、男爵は低い声で言いつける。
「お前は部屋に戻って、勉強を続けろ」
「は、は、い、おとう、さま」
「あの問題が解けるまで部屋から出るな。お前は頭の出来が悪いのだから、休んでいるヒマなどないぞ」
「かしこまり、ました。たいへんもうしわけございませんでした」
少年は父親に何度も頭を下げながら、走り去る。僕らは引き止めることはできなかった。
男爵はすぐまた笑顔に戻り、僕らを先導して屋敷を進む。
「マリーの友達なんて、訪ねてきたのは初めてだな。マリーは人見知りだし、本の虫で陰気だろう? よく友達になってくれたね」
「えーそうですかー? マリーちゃん、明るいし優しいしよく笑うしみんなから好かれてるイイコですよー」
即座に反論するミオ様。男爵は一瞬、言葉に詰まったが、すぐまた機嫌の良い声で返した。
「ははは。そう言ってくれたら、父として嬉しいよ。……ところで何か取りに来たといってたな。それは何かね?」
「あはっ、内緒ですぅ。女の子の大事な物だから」
「……言ってもらえないと、探しようがないな」
「大丈夫、お部屋に案内だけしてもらえたら、私が探しまぁす。マリーちゃんから許可はもらってまーす」
「…………そうか。では、もし見つからなくても仕方がないね。ははは」
屋敷の中心部で、男爵は足を止めた。
「どうぞ、ここがマリーの部屋だよ」
中に入って……僕はホッとした。なんだ、ホントにちゃんとした部屋があったんだ。良かった。広々として明るくて、全体的にパステルピンク。可愛らしいカーテンに花柄のベッドシーツで、目のやり場に困るくらい女の子らしい空間である。大きなクローゼットには、きっとドレスが一杯入っているんだろう。
だがミオ様はざっと視線を巡らせて、すぐ、笑い声を上げた。
「やだーぁ、男爵様まで! ここってマリーちゃんじゃなくて、お姉さんのお部屋でしょう!」
「……何故そう思う?」
「だって、本棚もデスクも無いわ。マリーちゃんはとても勉強家だから、そのどちらも無いなんておかしい」
「……ああ……それは」
「冗談はもうおよしになって? 私、騙されませんよ」
――数秒間、男爵は青い目を細め、じっとミオ様を見下ろした。そして紳士の笑みでイタズラを詫びると、今度こそ案内するよと歩き出した。もちろん僕だってもう信じない。
またしばらく屋敷を進み、辿り着いたのは屋敷の最奥。
「さあ着いた。今度こそ、ここがマリーの部屋だ。私は席を外すから、存分に探し物をするといい」
そう言って、足早に去って行ってしまった。
「逃げましたね」
ミオ様は追うそぶりもなく、いつもの無表情に戻っていた。とりあえず、扉を開けてみる。そこは『マリーちゃんの友人、カリナ』の期待したとおりの部屋だった。大きな本棚が壁一面に並んでいて、機能的なデスクが玉座のごとく、ど真ん中に据えてある。ベッドやクローゼットは隅っこに。なんか、質素というか殺風景というか……男目線で言わせてもらえば、色気も可愛げもない部屋だった。
誰の部屋だろう? どうせマリー様のではないだろうけど……。僕はなんとなく家具を触ったり、本棚を眺めたりと見物し――窓から上半身をまるごと出した、ミオ様を見つけてギョッとした。
「なにやってるんですか危ないですよっ!?」
「しっ。静かに」
逆に咎められた。ミオ様はしばらく停止して、やがて僕に交代するよう促した。困惑しながら、窓から頭を外に出す。僕の体型だと肩が窓枠に引っかかってしまった。それでも――何か、聞こえる。
……なんだ? ……女の話し声。視線を上げると、二つ右の部屋、窓が開いていた。
――なの? ああそう、それは良かった――ふふふ……――
……初めて聞く声だ。それで部屋の主が分かる。シャデラン家で僕が知らない女性は、もう、一人しかいない。
「……バースデーパーティの夜。私は旦那様に命じられ、マリー様を探して回りました。あらかたの間取りは把握しています。あそこは、奥方の部屋です」
ミオ様が言う。僕はフウンと納得し、下を向いて、ゾッとした。庭先にあの侍女がいる。
えっなんで!? さっき男爵は左方向に逃げていったぞ。奥方は一体、誰と話しているんだ!?
――くすくす……。ええ、私もそう思うわ――
――うふふっ、もう、またそんな冗談を言って。笑わせるのはやめてちょうだい、アナスタジア。――
悲鳴を上げかけた瞬間、後ろからすごい力で引っ張られ、部屋に身体を戻された。僕が尻餅をつくと同時に、窓を閉めるミオ様。直後、部屋の扉が開いた。さっき逃げたばかりの男爵と、セドリック少年だった。二人ともマントを羽織り、何やら仰々しい大荷物まで持っている。
少し息を乱した男爵は、両手を広げて笑っていた。
「やあ客人! 申し訳ない。これから家族で出かける用事があったのを失念していた。来てもらったばかりですまないが今日はもうお引き取り願おう」
えっ、こんなところで!? 僕はミオ様がまた食らいつくかと思ったが、意外にも、彼女はあっさり引き下がった。ニッコリ、無垢な少女の笑みを貼り付けて。
「あらぁそうでしたか。こちらこそごめんなさい、突然押しかけて。ではこれで失礼いたします」
「もう王都に帰るのかね? なら、マリーに伝えておくれ。うちに忘れ物とやらは、他人を遣わさず自分で探しに帰って来いと」
ミオ様の笑顔は崩れない。
「そうですよね。でもマリーちゃんは今、忙しいみたいで。無理もないですよね。伯爵様との婚約式まで、あと一ヶ月もないんだもの」
「ああ、それは、そうだろうな。だが――」
男爵の笑顔も崩れない。
「式がまだであれば、婚約もまだしていない。あの子はまだ男爵家のものだ。――このまま伯爵家に、あの子を取られてたまるものか」
「……あはは。男爵様、マリーちゃんのこととっても大事に思われているんですねえ」
僕はもう、怖くてどっちの顔も見れない。
男爵は部屋を出ると、二つ奥の扉をノックした。
「エルヴィラ! 出てこい!」
ややあって、ほっそりとした女性が顔を出す。シャデラン夫人……マリー様の母親。綺麗な女性だった。髪の色こそ見事な金髪だが、背が高く、顔の作りもマリー様によく似ている。そして意外にも、普通の大人だった。
僕らに気付くとすぐ部屋を出て、お辞儀してくれた。
「お客様が……いらしてたの? ごめんなさい、気が付かなくて。今、お茶をご用意いたしますね」
「いやエルヴィラ、もうお帰りになるところだ。私たちも出かける」
「あら、今日は何かありまして?」
「いいから早く支度を、いや、身ひとつ、そのままの格好でいい」
「……少しだけお待ちになって。アナスタジアに、挨拶くらいさせてちょうだいな」
シャデラン夫人は、さらりとそう口にした。何も隠さず、ごく当たり前のように言って、部屋に戻る。
「――それじゃあ、ママは出かけてくるわね。いいこで待っていて、アナスタジア」
ごく短い時間で戻ってきた彼女は、先ほどと何も変わらない。
僕らに微笑み、お辞儀をして、自室の扉に鍵を掛けた。
男爵はもう、ずいぶん先を歩いていた。僕らは慌てて追いかけたけど、夫人はゆっくりマイペースで、男爵とは離れて歩く。――幼い息子はそのまんなかで、走ったり歩いたり停まったり。ふと僕らと目が合うと、慌てて顔を背け、逃げていった。
屋敷を出て、男爵はまず、僕らがどっちに向かって帰るか尋ねた。ミオ様が答えると、その真逆の方向に去って行く。フリフリ手を振るミオ様。男爵一家の背中が見えなくなって……僕は地面にしゃがみ込んだ。今更ドッと汗が出る。
「ああ……怖かった。色んな意味で」
「お疲れ様です。が、またその怖いところに戻りますよ」
「ええっ!?」
ミオ様の言葉に、ぎょっとして振り向いた時にはもういない。彼女は鍵の壊れた門を再びくぐり、サクサクと中庭へ侵入した。声をかけようとすると、シッ、と唇を指で押さえられる。
「侍女は残っています。主が不在なのに積極的に庭掃除するとは思えませんが、お喋りは控えましょう」
僕、馬車で待ってちゃ駄目なんでしょうか……? そう尋ねたかったが手遅れらしい。いやほんと、なんで僕って連れ歩かれてるのさ?
やだよーもうやだよーー。お家帰るー。ここまでも散々だったのに、さらに嫌な予感しかしないんだけどー!
しばらく進んだところで、ミオ様は僕を手招きした。この位置は……さっきの、本がたくさんあった部屋の下? ジェスチャーで、壁に手を突き踏ん張るようにと指示される。一体何をやらされるんだ、と思ったら。ミオ様は、僕の腰、背中、両肩の順でトントントンと踏みつけて、頭の上でジャンプした。ぐきっ、と僕の首が鳴る。
ミオ様は僕を土台にし、シャデラン邸の二階、窓枠に飛び乗っていた。そしてアッサリ、窓を開いて中へと入る。――すぐにゴトゴトと窓が動き、なんと窓が外される。嘘だろ。
スルスルっとロープまで降りてきた。あーはいはい、これで登ってこいと。けっこうな苦労をしながらよじ登る。
「……窓の鍵、いつの間に開けてたんですか」
「さっき閉めなかっただけですよ」
ロープを巻き取りながら答えるミオ様。
「帰りもここから出るので、窓枠は外したままにしておきましょう。あなたが出たあと直します」
うーん、抜かりない。部屋を出るときにも躊躇がない。二つ隣の部屋へ行き、扉の前で、ハリガネを取り出す。鍵穴を覗き、ハリガネを突っ込んで数秒。
「……はい、開きました」
このひと、他人の家をなんだと思っているのだろう。
ツッコミたかったが、そういう状況じゃない。僕は猛烈に喉が渇き、首を掻きむしりたくなった。
他人の家、それも異性の部屋、見つかったら住居侵入の罪になる――そんなことで緊張しているのではない。
エルヴィラ・シャデランの私室は、カーテンが閉め切られていた。それでも真っ昼間だから、ぼんやりとシルエットくらいは見て取れる。
だから、僕は見つけてしまった。フリルがどっさりの、天蓋つきのベッドの上……わずかな明かりで、キラキラと輝く金色の髪を。
そこに、ドレスを着た少女が座っているのを。
言葉が出ない僕の代わりに、ミオ様が前に出る。さすがの彼女も、わずかに声が震えていた。
「――生きておられたのですね? アナスタジア様……」
――金髪の少女……『アナスタジア』は、無言だった。それどころか微動だにしなかった。眠っている……わけではない。だってその青い瞳は見開かれている。硝子玉のようにつるりと滑らかな眼球で、瞬きひとつせず、僕らをじっと見据えていて――
ハッとミオ様が息を呑み、『アナスタジア』に駆け寄る。僕は恐ろしくて出来なかった。代わりにカーテンを開く。
部屋に光が差し込んだ。
日差しの中で、『アナスタジア』……人形の金髪が、さらにまぶしく煌めいていた。
――次回、マリー&キュロスのデート編に戻ります!




