僕は怖いので帰りたい 前編
グラナド城のある王都から、馬車で四日の旅。到着したシャデラン領は、ひとことで言って田舎だった。
「おおー、すごい。地平線まで全部小麦畑だ!」
馬車から身を乗り出し、僕は叫んだ。
本当に、見渡す限り小麦色の土地だった。夏の収穫直前、いまが実りの真っ盛り。
見事な景色だった。
「ここが、マリー様の故郷……」
「あんまりしゃべると、舌を噛みますよ。王都の舗装道路とは違うのですから」
ミオ様に釘を刺される。確かに、村を縦断する道路は、踏みならされてすらないただの砂利道で、雨でえぐれた所もあり、大きな石まで転がる悪路だった。
領でいちばん主要な道路のはずなのだけど……地面を見下ろすと、馬車の轍もない。
「シャデラン領では、馬車はあんまり使わないんですかね?」
独り言のように尋ねてみると、ミオ様は後ろの窓を指さした。振り向いたとたん、プウンと獣くさい匂いが鼻をつく。
牛の大群である。あまりにのびのび過ごしているので一瞬野良かと思ったが、ちゃんと柵があり、広大な牧場に放し飼いにされているだけだった。
「シャデラン領の主要産業は小麦、次いで芋、豆、他さまざまな野菜と、畜産です。畜産の九割が牛。雄の仔牛は肉にし、雌からは乳を搾ります。皮や骨、角なども売れます」
「乳の出ない雌は?」
「それを牛車として、乗り物にしたり力仕事をさせているんですよ」
へー……と眺めているうちに、ちょうど牛の背中に山盛りの飼料を乗せて、手綱を引く村人を見た。
のどかだなあ。
僕の故郷、ルハーブもああしてロバを使っていた。王都では馬車が欠かせないけど、田舎じゃ馬車は超贅沢品なんだ。馬は世話に手間も金もかかるし、そんなに急いでどこへ行くでもない。たまの遠出用に、貸し馬車屋からレンタルするのが一般的だった。
たぶん、シャデランでもそうなのだろう。
揺れる馬車の中から、ぼんやりと牛の群れを眺める。
「……ちょっと意外だなあ。田舎だけど、大きいし豊かな土地じゃないですか。マリー様がシャデラン領は貧乏だっていうから、なんかもっと小さくて痩せ枯れた、廃村みたいなのを想像してました」
「いい土地ですよ。だからこそ、領主は没落したのです」
「んっ? どういうことです?」
「国から領主への税は、取れ高ではなく農地面積ですから」
「んん? だから、豊かな土地ならそのぶん収穫が……」
と、喋っている途中で、僕はミオ様の言うことを理解した。
馬車が道を進むにつれて、だんだん荒れ地が増えていく。牛も、放牧と言うよりただ彷徨っていて、飼料ではなく雑草を食んでいるだけ。
群れの中に死骸を見つけ、僕はぎょっと目を剥いた。
酪農地の主はいったいどこに? と見回すが、家はおろか牧舎も見当たらない。
「離農して、買い手がつかないまま処分に困り、移住したようですね」
「えっ、じゃああの牛って完全に野良? 空き地!?」
「おそらくは。近年、そうやって一家で王都に流れ、離農した家は多いですよ。そうして過疎化した村も」
そう言われると、やはり故郷を捨て王都に住んでいる僕は納得するしかない。
「……でも、こんなにたくさんの家が一気にいなくなっちゃうなんて……若者は都会に流れても、年寄りと長男くらいは田舎に残るもんじゃないですか?」
「食っていけないほど困窮すれば、致し方ないでしょう。領地の資金が枯渇すれば、土地の整備もできない。ほらあそこ、水車が壊れたままになっていますね。あれでは小麦が挽けません」
「……ああいうのって、男爵の仕事なんです?」
「まさにそれこそが領主の仕事です。悪循環ですね」
がたごとがたごと――馬車は酷く揺れる。この悪路では、荷車を引くのだって一苦労だろう。大人の男の力が必要だ。整備された道なら、子どもだって作物を売り歩けるのに。
「戦後、この国はいろいろなものが変わりました。税の制度、法律、物価……その変化に付いていくのは、たいへんな勉強が必要です。乗り遅れて、没落した貴族は珍しくありません」
ミオ様が、庇うようなことを言った。
「シャデランも、戦前は豊かだったのでしょう。税が人口で計算されていたので。実際、シャデラン家は五十年前までは社交界にも日参し、贅沢な暮らしぶりだったと記録にありましたしね」
「記録? ミオ様、そんなことまで調べてたんですか」
「ええ、まあ。家系図をたどる過程で」
と、そこで馬車がガクンと揺れて、御者がこちらを振り向いた。
「ミオ様、ご指定の場所に到着しました」
「どうもありがとう。すぐに戻るので、待っていてください」
ミオ様は鞄も持たずにするりと降りて、僕を手招きする。ここどこですかの質問はスルーされ、僕は辺りを見回しながら進んでいった。
これ何の施設だろう……シャデラン邸、ではない。赤煉瓦造りの二階建てで、なかなか立派な建物だが、人間の生活臭がしない。役場? いや公共施設っぽいな……。
小さな前庭を過ぎると、すぐに玄関があり、その前に受付窓があった。ミオ様は、白い帽子の角度を直し、窓ガラスをノックした。中から中年男が顔を出す。
「初めて見る顔だね。新入学生かい」
「ええ、王都から農業を学びに来たの。ぜひ見学させて頂きたいのだけど、よろしいかしら?」
ミオ様のセリフに、僕はぎょっとした。なんだそのしゃべり方! と叫び掛け、肘鉄を食らう。
男は特に追及せず、「見学者」の腕章を出してくれた。鍵のかかっていない玄関を二人だけで簡単に入る。
「ここ、学校……ですか?」
「シャデラン領唯一の学園ですね。といっても、王都のように子どもが教育を受けるのは当たり前ではありませんから、比較的裕福な少年少女――もとい、ほとんど男子。女子は現在、一人も通っていないようですね」
ちらりと視線を這わせた先、女子トイレの扉が封鎖されていた。
「もしかして、マリー様の母校?」
ミオ様は、視線だけで肯定した。
こんなところを見て何になるのかと思ったら、ミオ様は突き当たりで足を止め、物陰にもたれてじっとしていた。誰かと待ち合わせ――ということもなく、無意味に時間を潰す。そしてきびすを返し、さっきの受付まで戻ってきた。
「あれっさっきのお嬢さん。見学はもういいのかい」
「ええ……生徒から実際に過ごした感想を聞きたかったのだけど、男の子ばかりで、怖くて話しかけられなかったの」
「んあっ!?」
変な声を上げてしまった僕に、ミオ様の裏拳がたたき込まれた。痛い。受付の男はそれには気付かず、苦笑いした。
「ああ、今うちは男子校状態だね。学費が高いし、女の子を通わせられる農家はいないよ」
「困ったわ。私、何もわからないまま入学するの心細い。……この近くに、卒業生の女性はいらっしゃらない?」
「それなら……去年に一人、シャデラン男爵のお嬢さんが」
「まあ、男爵令嬢だなんて恐れ多い!」
ミオ様は大げさな悲鳴を上げた。
「とてもお訪ねできないわ。もっと気軽な一般庶民、できればお店をやっているようなお家の方はいないかしら」
「ああ、ああなるほどそうだろうね。だったらこの春、中途退学してしまった子だけども、宿屋の娘さんがいたはずだ。王都に仕事が決まってねえ」
「……それは都合がいいですね」
ミオ様が、いつも通りの声で呟く。ん? と顔を上げる男に、彼女は再び、少女の微笑みを浮かべてみせる。
「その方のお名前と、宿の場所を教えてくださいますこと?」
簡単な地図を描いてもらい、メモを御者に渡してまた走る。
観光地でもないシャデランの宿は、看板もなく、ごく普通の民家でしかなかった。普段は酪農で生計を立て、たまの来訪者に空き部屋を貸すだけの、いわゆる民宿である。これは案内が無ければ見つけられなかっただろう。
僕らは再び馬車を降り、その一軒家の戸を叩いた。
「……はい? どちらさまでしょう、お客さん……?」
のそりと顔を出した、中年女。またミオ様の壮絶な演技を見せられるのかとゾッとした――が。
今度は、いつもの無表情。無言のまま強引に部屋に押し入って、中年女ににじり寄り、低い声で囁いた。
「私は王都の探偵です。カリナ・バートン嬢のお母様ですね? お嬢さんがとある事件に巻き込まれた可能性があります。調査のため、お嬢さんの学生証を確認します」
「ふえっ?」
「ええっ!?」
今度は足を踏まれた。




