距離感ゼロで失神してしまいそうです
中庭で花を摘み、お城の飾りを取り替える。
わたしの午後の日課だ。リュー・リュー夫人から聞いた話、奥方本人がこうして花を生け、来賓をもてなすのが上級貴族の慣わしだとか。
わたしはまだ婚約者未満だし、来賓の予定がない今はしなくていいことだけど、これも練習だ。わたしは生け花の経験がほとんど無い。見栄え、色合い、香りの相性、状況に合わせた花言葉など、花の世界は奥が深かった。ヨハンに教わりながら、難しいけども楽しいなあと、マイペースに続けている。
けど……今日はちょっと、勝手が違った。
「こっちが花瓶の『顔』だから、いちばん形のいい大輪をこの位置に」
「は、はい……こう、でしょうか」
「ああ、イイカンジだ。逆にもっとも鮮やかなこちらは、差し色になるのであえて脇に添えて」
「な、なるほどぉ……」
師匠のお言葉に、頷きながら生けていく。一応、言われたとおりに出来ているけども、何も考えられなくて必死。そんなわたしの顔を覗き込み、微笑みを浮かべている師匠……いつものヨハンではなく、グラナド城の主、キュロス伯爵。
ちなみにその手元には、見本となる美しい生け花が。先ほどキュロス様自身が、ものすごい早さで作り上げたものである。
なんとびっくり、キュロス様は、花を飾るのがとてもお上手なのだった。
「飾りになる木の枝は、細くても切るのに力が要る。ハサミで怪我をしないように気をつけろよ」
「はいっ……っと、えい!」
気合いを入れて、バチン。あっいけない、思ってたより短く切りすぎてしまった。わたしが慌てると、キュロス様は大丈夫大丈夫、と優しく微笑む。枝を拾い自ら花瓶に差しこみながら、
「これをこうして、それからもう一本添えて整えればいい。ほら、完成。よく出来たな」
「はい。よく出来て、よかったです。教えて頂き、ありがとうございました」
「どういたしまして。これは余り」
と、白い花を一輪、わたしの髪に差しこむ。うひゃああ。
昼食は食堂で。夕食を軽めに済ませる風習の王国で、いちばん豪華で、長く時間を取る時間だ。しかしキュロス様は席に着かず、テーブルと厨房とを往復し、わたしの給仕をしていた。
「本日のメインディッシュは、牛肉の赤ワイン煮込みだ。お好みでヨーグルトソースもどうぞ」
「は、はい。美味しそう……」
「飲み物はどうする? これは意外と甘い酒、ロゼやスパークリングワイン、ベリー系が合う」
わたしはぶんぶん首を振った。お酒なんて、ただでさえ飲んだことないのに、この状況じゃ失神してしまうわ!
ちゃんと断れば、キュロス様は決して無理強いしない。
「ああ、酒は飲み付けないのだったか? ノンアルコールならグレープフルーツのジュース、パンと一緒に食べるなら、レモンとミントのフレッシュウォーター」
後者を選択すると、すぐに厨房から取ってきてくれる。わたしのグラスに注ぎ、隣の席に腰掛けた。
わたしの給仕を終えた侍女――もとい世話役は、ごはんの時には城主キュロス伯爵に戻るらしい。着席した瞬間、ずっと待機していたウォルフガングが駆け寄ってきて、グラスにワインボトルを傾ける。ロゼ・スパークリングというものかしら?
「それ、綺麗な色ですね」
食事中の会話に困り、そう振ってみる。
キュロス様はなんだかとても嬉しそうな顔をした。
「ああ、最近はこればかり飲んでいるな」
「そんなに美味しいのですか?」
「味も悪くないが、色が気に入っている。輝くほど鮮やかな朱色、それでいて透明感がある。……君の髪と同じ色だ」
……ふぎゃあっ。
昼食後は、城の図書館へ。ここも、暇さえあれば通っているわたしの行きつけだった。かつて国境の城塞であったグラナド城の蔵書は圧巻の一言。足下からはるか天の先まで、本で埋め尽くされている。
高い棚に、目当ての本を見つけ、わたしは手を伸ばした。
「よい、しょっと……」
わたしの身長は、男性の平均並み以上ある。それでもまだ届かない。しかたない、脚立を出そうかと諦めかけた瞬間。肩に男の手が置かれた。
「これだな」
わたしの後ろから、キュロス様が手を伸ばし、簡単に本を取り出した。分厚い図鑑を大きな手に軽々持って、わたしを見下ろし微笑んだ。
「なぜ俺を呼ばない? 脚立よりもそばにいたのに」
「ご、ごめんなさい。あの……高さだけじゃなく、重そうな本だったから」
「ははっ、それこそ俺を頼ればいい。なんならマリーを抱き上げてやるぞ」
と、言いながら両手を伸ばすキュロス様。えっ、これお願いしますって言ったら『高い高い』されてしまうの?
わたしは本棚にもたれ、身を縮めて硬直した。そうすると、彼はすぐに「冗談だ」と距離を取る。
ああもう、心臓に悪いわ。
テーブルへ移動し、本を開く。わたしが黙々と読む横で、キュロス様は頬杖をつき、ただじっと座っていた。……視線を感じる。たぶん、彼はわたしを見ている……気がする。けど、振り向けないので確信はない。ひたすら文字を目で追いながらも、ちっとも頭に入ってこない。あーもうっ。
「きっ、キュロス様も、何か本を読まれてはいかがですか。座ってるだけじゃ、退屈でしょう?」
「座ってるだけじゃない、マリーの横顔を眺めている」
やっぱり見られてたっ! あーあーあーもうっ。わたしは内心悲鳴をあげた。
日が暮れて部屋に戻ると、くつろげるようにと髪を編み直された。そうしている間に夕食に呼ばれ、二人でいっしょに食堂へ。晩餐ではまたキュロス様が給仕をしてくれる。大鍋でのブイヤベースの、一番美味しいところをわたしの皿に取り分けていた。
食後の一服を終え、落ち着いたところで入浴へ向かう。さすがに浴室までは入り込んでは来なかった。扉のすぐそばまで送られたけど。
「はぁ……あー」
「お疲れ様ですぅ。心中お察しいたしまぁす」
ざぱーん、とたっぷりのお湯をわたしの背中にかけながら、チュニカがいたわってくれた。全裸のところをねぎらわれて、わたしは素直にため息をつく。
「本当に、疲れたわ……。何をやるにも、キュロス様がそばにいるんだもの」
「うふふ。旦那様は無駄にハイスペックですからねえ。なんでもできちゃうんですよ、距離感調節以外」
「そ、そう言っちゃ悪いわ。同じことをミオにやられても全然気にしていなかったし」
「でも年頃の異性ですもん、許されるわけないですぅ。あの距離は、女の子に怖がられても仕方ないですっ!」
「……そうね。正直、今日一日、緊張しっぱなしで体中が痛いわ」
「身体に悪いですぅ! もうはっきり言った方がいいですよぉ!」
チュニカはなんだかすごく、ぷりぷり怒っていた。
「旦那様は女子との距離感はポンコツ迷子だけども、言って分からない人ではないです。うざい邪魔だ怖い一人にしてくれって、ちゃんと伝えても機嫌を悪くするようなひとじゃないですよぉ」
これは、主のことを褒めているのかけなしているのか?
でも、わたしも同意だった。こちらがちゃんと主張をすれば、キュロス様は態度を改めてくれるだろう。遠慮して言えないってわけでもないんだけど……。
「なんなら私が言ってあげましょーか? 旦那様このやろーっ、己の体格と性別と顔がいいことを自覚せんかいーっ、て」
「ふふっ。いいのよ」
「よくないっ、マリー様こんなに肩を硬くしちゃって!」
「本当にいいの。わたし、キュロス様が怖いわけじゃないから」
わたしの言葉に、チュニカは思い切り首を傾げた。
湯船に浸かり、髪を洗ってもらい目を閉じる。……今日一日、ずっと見つめられていたせいだろうか。目を閉じると、彼の眼差しが頭に浮かんだ。闇夜でも輝くエメラルドの瞳は、出会った時からずっと、わたしをまっすぐに見つめてくれる。
「……嫌でもないの。ただ緊張してしまうだけ」
「そりゃそうですよ、お二人はまだ出会って間もなくて、マリー様からしたら怖い顔した伯爵で。これからもっとちゃんと仲良くなって、緊張しなくなってからでないとあの距離はつらいでしょぉ」
「そうじゃないわ。だってわたし、最初はこんなに意識していなかったもの」
再び首を傾げるチュニカ。わたしは両手を伸ばし、お湯を弄んだ。
そう……初日。わたしは、キュロス様の前で緊張などしなかった。気難しく怖い人なのかと恐れはしたが、事前に想定していたことだった。
貧乏男爵の娘と比べ、公爵令息でもある伯爵ははるか上位の方。だけどもとより、わたしが最底辺であることには変わりない。家で父に対するのと同じ、俯いていればいいと思っていた。どうせすぐに追い出されるのだし。
……あの日……お風呂に入れてもらって、磨かれて……。顔を上げ、彼と正面から向き合った時。素敵なひとだと思った。だけど、彼は姉の婚約者だった。
わたしと婚約をし直しても、それはただの政略結婚で、愛などないと確信していた。優しくされても、贅沢品を積まれても、優しいお気遣いだとしか思わなかったの。
とりあえず歓迎はされているのだな、ありがたいなって。それだけ。
何も期待していなかったから、何も不安が無かった。
だけど……最近、ふと、妄想する。もしかしてわたし、自分が思っているより――彼に好かれている? もしかして彼はずっと、本当の気持ちを口にしていたのでは――と――
瞬間、ぼっとわたしの全身が紅潮した。あっという間にのぼせてしまい、チュニカが引っ張り上げてくれなければ、そのまま昏倒するところだった。




