僕は今すぐ帰りたい
どうしてこんなことになったんだろう。
僕はチラリと視線だけで、ミオ様を見た。移動スピードを重視した、小型の馬車である。シートに並んで座る彼女とは肩が触れるほど近い。
ミオ様の姿は、普段とは全く変わっていた。おさげに結っているのをほどいてそのまま流し、服装も明るい空色のワンピース。彼女の私服、だろう。たぶん。
僕がこの城に雇われて三年、初めて見た姿である。端的に言えば可愛らしい。しかし仏頂面。いつも通り、無表情の横顔に、僕は恐る恐る、話しかけた。
「あの……ミオ様」
「はい、なんでしょうトマス」
「なんで僕、連れ出されたんですかね?」
「話し相手です」
きっぱり、彼女はそう答えた。しかしその間も前を向いたまま、視線すらくれない。
そして会話も続かない。というか出発してからこれが初めての会話だった。話し相手が欲しいのはむしろこっちの方だと言いたい。
でも当人がそう言うのなら、話しかけても良かったのだろう。僕はミオ様に向き直る。
「でもミオ様、聞くところによると、恋人に会いに行くんでしょ? ツレが男ってのはまずくないですか。いや僕が何ってことはないですけど、客観的に絵面として」
「恋人ならまずいでしょうね」
あれ? 相手は恋人ではないのか? とんだ誤情報である。チュニカのやつ……と恨みながらも、さらに追及してみる。
「じゃあお友達? ミオ様って友達いたんですね」
と、言った瞬間。ガッ! と喉輪を掴まれた。呼吸が潰れるギリギリ一歩手前の強さで指を立て、ミオ様は無表情で、囁いた。
「トマスは十七歳でしたか。確かルハーブ島の伝承では十八歳未満で命を落とした御霊は問答無用で楽園へいけるそうですね。おめでとう、いってらっしゃい」
「死にたくないごめんなさい!」
僕は必死で謝ったが、もともと冗談だったらしい。ミオ様はあっさり喉輪を解いて、座り直した。白い帽子の位置をくいっと直す。
「旦那様が心配して、ひとり連れて行けとおっしゃったのです。わたしは強いですが、見目ではトマスよりよほど弱そうなのは否定できません。あなたがいれば、それだけで山賊除けになるでしょう」
「山賊……この道って、そんなに危ないんですか?」
「そうでもなかったはずなのですが、つい二ヶ月ほど前、実際事件があった現場ですからね」
僕は、そんなに察しの良い方じゃない。しばらく彼女が言った言葉の意味がわからず、首を傾げていた。
しかし理解した瞬間、大きな声を上げた。
「もしかして、シャデラン領へ行くんですか!?」
グラナド城の侍従頭は、頷きはしなかった。代わりに目だけで笑った。
今から二ヶ月ほど前、王都からシャデラン領――いや、シャデラン家からグラナド家へ向かう馬車が、道中、事故に遭ったという。僕は又聞きだから具体的には知らないが、崖から落ちて運河へ転落、ときたらこの山道なのは間違いない。
「……あれ? でも確か普通に、ただ車輪が滑っただけじゃなかったっけ? それで崖から落ちたって」
「いいえ。生還した御者が訂正しました。……外国人だったため、言葉の齟齬があったのです。『川に落ちた』のは崖からではなく平地から、山賊に襲われ川沿いを逃げているうちに、濁流へ転落したのだと」
確かに……その方が自然だ。この山道は、山林を切り開いた街道だ。岩山では無く、森の中に道がある。道沿いに大きな木も生えているし、崖っぷちまで結構な距離だ。普通に走っていて車輪が滑ったってことはないよな。
「警察当局もこちらを真実と認識しました。崖から落ちるのと、ただ川に流されるのとでは馬車の破損状態が全く違います。馬車の状態は明らかに後者でした。御者も、水に濡れているほかは無傷でしたしね」
「な、なるほど。でも……それだったらもしかして、アナスタジアさんも……!」
僕は興奮して前のめりになったが、ミオ様はあっさり、首を振った。
「アナスタジア様の生存は、どのみち無理でしょう。確かに遺骸は上がりませんでしたが、生きた人間も見つかっていません。人間は水中で五日間は生きられない」
「そ、そっか……ですよね」
僕の声に、残念だという心理がにじみ出ていたらしい。ミオ様は眉を寄せて、僕の脇腹をギュッとつねった。
「言っておきますけども、アナスタジア様は、マリー様には似ておりませんよ」
「なっ――え!? なにっ……何言ってるんですか! ただ僕は、ひとりの人間の死を悼んだだけですっ」
「そうですか、それは失礼。それであれば、わたしも同意ですよ」
彼女はそう言ったが、今度は僕が、そこから深層心理を嗅ぎ取った。
「ミオ様、もしかして、アナスタジアさんが――死んでよかった、って思ってません?」
「いいえ」
彼女はきっぱり否定した。あれ? 外したか。いやでもやっぱり……
「むしろあのまま、アナスタジア様がうちに到着していれば、人違いだったとすぐにやり直しができたのです。たいへん失礼なことをしたと慰謝料を積んで、改めて妹、マリー様を招けばそれで済んだ」
「あ、ああそうか。たしかに」
「しかしすでに物語は動きました。結果的に、とても良い状態になったと思います。それなのに今更、生きて出てこられたら邪魔ですね」
あっさりと。いつも通りの淡泊な口調で、あまりにもあっさりとしすぎていたから、僕は反応できなかった。
理解して、絶句した。
ミオ様は今日、旦那様には私用で、逢いたい人がいるからと休みを取った。つまりは旦那様に内緒で、本当に個人的に動いているんだ。
旦那様に嘘をついてまで――
ミオ様は、くすりと笑った。
「旦那様は、お優しくて善良で、誠実な恋をしている方ですから。……夢の世界の物語で、悪役を演じることはできません」
僕は目をそらした。彼女のことを、無表情で怖い人だと思っていた。笑えばきっと可愛いだろうに、とか。
しかしその笑顔を直視できない。無表情なんかよりよっぽど、その笑みは。
今すぐ馬車を降り、逃げ出したい。だが彼女は許さなかった。僕の目の前に、なにかの紙を――ノートの切れ端のような雑紙をつきつける。視界に入った文字を、僕は読んだ。
『おねえちゃんが、かえってきて。
おねえさまは、もうかえってきているよ。 セドリックより』
「なんです……これ?」
「シャデラン家の奥方から何度か荷物が届いています。その中に紛れ込んでいました。奥の方に、荷造りした人間の隙をついて隠し入れたようにして」
「でも意味が分からないですよ。前後で言ってることが矛盾してる」
「そうですね。シャデラン家に、『姉』が二人いなければ」
姉が二人? 旦那様のお相手であるシャデラン家に、娘が二人いたのは知っている。二十歳の姉と十八歳の妹だ。
「手紙の作法がなっていないのは仕方がないでしょう。手紙の差出人は、まだ六歳ですから」
笑顔のまま、ミオ様は言った。額に汗を浮かべながら。
「話し相手が欲しかったというのは、本当ですよトマス。私は今、ひどく品の無い、出歯亀をしようとしています。それだけで済めばいいのですが、しかし……。……場合によって、私はグラナド家を追放されるかも知れません」
その発言と、先の「話し相手が欲しい」とはどうつながるんですかね?
もしかして、地獄に道連れとか、そういう……。
「旅は道連れ、世は情け。私が好きな言葉です」
「僕はあんまり好きじゃないです」
「仲良くいきましょう。しりとりしますか」
「絶対ヤだぁ……」
僕の悲鳴に、ミオ様は満面の笑みでキャハハッと笑った。
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