俺はマリーを護りたい 後編
「キ、キュロス様っ……!?」
俺の手の中で、マリーが悲鳴じみた声を漏らす。それでも止まらなかった。
頭ごと手のひらで緊縛し、胸の中に監禁する。強く抱きしめるほど彼女が身を堅くするのを感じ取り、自嘲した。
「すまない。これっきりだ」
一度だけ髪を梳く。それで、俺は彼女を解放した。
マリーは、逃げ出しはしなかった。ただぼんやり、その場に立ち尽くしている。その表情は一言でいって、困惑――俺はもう一度詫びた。
「……は、はい……。いいえ……」
マリーは俯いて、体をすくませていた。
なんとも心地の悪そうな、所在ないようすだった。まさか、震えている?
自制できなかった自分を恥じる。
彼女は、親に連れてこられた婚約者。上位貴族からの求婚を拒むことが出来ないまま、身売りされてきたような娘だった。
これは政略結婚、自分は逃げることが出来ない――そう、思い込んでいるマリーは、俺を拒むことが出来ない。俺を嫌悪していたとしてもだ。俺はマリーを護りたいのに、俺が怖がられてどうする!?
俺は慌てて、彼女から距離を取った。
「大丈夫だ、何もしない。だから怖がらなくていい。逃げないでくれ」
ああ、これはまるきり変態男の台詞では?
マリーはまた困惑。どう受け止めて良いかわからないらしい。俯いたまま、ぼそぼそと早口で呟いた。
「あの……お仕事は……またすぐお出かけになるのですか」
それは、暗に出て行ってくれということだろうか。そんなに怖がらなくても大丈夫だというのに。
安心させてやらなければ。仕事の話をするのはあまり好きでは無いが……仕方ない。
「もう遠出することはない。在庫の確保や引き継ぎは済ませてきたから。だが婚約式の列席者に礼状を出さなくてはいけない。多国語が混じるから、何日かは図書館にこもって」
「それなら、わたしが全て終わらせています」
そういえば、そんなことをリュー・リューが言っていたな。
困った。俺が館を離れる言い訳が無くなったじゃないか。
どうしたものか。マリーのそばにいたらきっとまた、抱きしめてしまうぞ……。
眉を寄せて唸る俺に、マリーはなにか誤解したらしい。ハッと息を飲み、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい! 勝手なことを致しました」
「うん? いや、やってくれたことはものすごくありがたい。たいへんだったろう」
「いいえ、わたし、手紙を書くのが好きで……それに」
「――それに?」
途中で言葉を止めたマリー。
俺が促すと、彼女は何か、酷く照れくさそうに、呟いた。
「キュロス様の……助けになればと……」
俯いた顔が赤く染まっている。
俺は両手を伸ばした。が、空振り。マリーは素早く身を翻し、栗鼠のように部屋を飛び出した。壁越しに、やたら早口の声が飛んでくる。
「これで、しばらくはおうちにいられるのですね?」
「あ、ああ。そのために詰め込んでいたからな。婚約式まではここにいる」
「そうですかそれは良かったです。まずはお疲れが出るでしょうから、今日のところはゆっくりお休みになってください。では」
「いや、俺も一緒にお茶を」
と、追いかけてみたがもういない。
「そうでしたね。それでは一緒に参りましょう」
曲がり角の向こうから声がする。返事をし、近づいてみたがやはりいない。大理石の彫像から、赤い髪がちょろりと出ている。
俺は黙ったまま駆け寄った。両手を広げて逃げ場を塞ぎ、彫像の裏側を覗き込む。
そこには当然、マリーがいた。長身を丸め、背中を向けて固まっている。その状態で彼女は言った。
「今日のお茶菓子は何かしら。楽しみですね」
「マリー。もう一回抱きしめてもいいか?」
マリーはさらに小さくなった。
そして膠着状態となる。
どれほど経ったか。ミオが「お二人ともなにしてるんですか」と呼びに来るまで、俺たちはそのままそこにいた。
食堂に移動し、城のみんなで茶菓子を囲む。
俺とマリー、ミオ、リュー・リューとウォルフガング、ツェツィーリエ、トッポ、チュニカやヨハンまで揃って、いつになく賑やかな食卓だった。
俺は当然、マリーの隣に座ったが、そのマリーを囲むようにして全員が近くに着座していた。
マリーは彼らとすっかり打ち解けているようだった。笑顔で話し、使用人達もマリーに冗談を言う。チュニカが突然席を立ち、マリーの髪を結い始めた。マリーも何もつっこまず、されるがままにツインテールが完成する。女性陣が「かわいー!」の合唱。マリーは特に謙遜はせず、「これどうなってるの?」と尋ねながら鏡を探してキョロキョロしていた。
俺は懐から、銀の小剣を取り出した。磨き上げられた刃は鏡としても十分使える。彼女の顔を映しながら、
「可愛い」
そう言うと、マリーは硬直した。急に黙り込み、赤面して俯いてしまう。
……なんだ? このぎこちなさは。もしかして、俺は嫌われているのだろうか……。
少なからずショックを受けているのが伝わったのか、マリーは慌てて首を振った。
「ち、違うんです。あの……ごめんなさい。わたし、こういうの、慣れてなくて。どんな顔をしたらいいのか、してしまっているのか、わからないから」
「ああ……そうか」
俺はあっさり納得した。
なるほど、確かに彼女は、物心つく前に実の親から醜女と言われ、自分は可愛くないのだと思い込んでいた。家族以外との交流も少なかったようだし、褒められること全般、極端に経験が少ないのだろう。
それで硬直するというのはよくわからないが、女心とはそういうものかもしれない。
「わかった。緊張させて悪かったな、なるべく我慢するよ」
「は、はい。……よろしくお願いします……」
「はぁーいブルーベリータルトが焼き上がったよ! おお奥様、その髪型可愛いです。グッ!」
「ホント? ありがとうトッポ」
「待て。なんでだ」
俺は半眼になったが、そういえばさっきから使用人達はマリーを可愛いとか綺麗とかスタイルがいいとか、好き勝手に言いたい放題。それなのに、マリーは素直に喜んでいる。なんでだ。俺だって言いたい。
これは……親密度の違いか?
思えばマリーがこの城に来てから、俺は留守ばかりしていた。もちろんその間、マリーが心地よく過ごせるよう使用人に指示したり、贈り物を注文したのは俺だが、マリーと会話をした日は数えるほど。
マリーにとって、使用人達はもう家族同然で――城主であるこの俺だけが……まさか……。
愕然となる。が、後ろ向きになってはいけない。
俺は言った。
「マリー、これからはずっと一緒だからな」
「エッ。……あ、はい……」
エッて何だと食い下がりたいのを我慢。
ほんの少しの微笑み、少なくとも嫌がってはいない。それだけで十分だ。まずはここから、時間をかけて仲良くなっていけば良い。
さて何から始めようか。またあのチャイダンルックを取り出して……
と。一番端の席にいた、ミオが立ち上がった。ごちそうさまでしたとティーカップを下げて、俺の側へと歩いてくる。
そして、深々と頭を下げた。
「旦那様。お仕事から戻られて、やっとおくつろぎのところを、恐れ入ります。……私からのお願いがございます」
「うん? なんだ」
「休暇を頂戴したいのです。旦那様と同じく、私も長らくお休みがございませんでしたので」
「いつも通り自分で調整して勝手に休めばいい。何を改まって?」
「いえ、少し長い間、城を出て行こうかと思いまして……」
「えっ! 嘘!!」
ひときわ悲痛な悲鳴を上げたのは、マリーだった。慌てて口を塞ぎながらも、立ち上がってミオに縋った。
「キュロス様のお仕事が終わって、ミオも帰ってきたのではないの? やっと一緒にいられると思ったのに、また出かけてしまうなんて。寂しいわ」
…………。
俺だったら何を投げてでも残留するが、ミオは冷酷に首を振った。
「申し訳ございません、マリー様。ウォルフガングらに引き継いで行きますので、ご容赦ください」
「わたしのことは大丈夫よ、たいていのことは自分で出来るし。それよりただ寂しい。どのくらい出かけるの?」
「少し、遠方を訪ねたく思いまして。八日……いや、九日ほど」
遠方……? 本当に珍しいな。ミオは普段、俺の用事についてくるほかはほぼ城にこもりきりだ。それが急に、いったいどこへ。
往復で九日……馬を出せばかなり遠くまで行ける。たとえば王都の外、まっすぐ行って帰るとしたら、シャデラン領のあたりまで――
ミオはフッと鼻で笑った。
「私にも、逢いたいひとというものがありますよ」
「まあ素敵! そうだったのね! 引き止めるようなことを言ってごめんなさい」
「いいえ、嬉しゅうございました。マリー様も、これからいよいよ婚約式に向けて、旦那様と密に過ごす時間ですね」
そう言われて、マリーは硬直した。俯いて座り直し、ぼそぼそと呟いた。
「そ、そうね。……頑張るわ」
………………。
黙って茶を啜る俺を、チュニカが頬杖をついて眺めていた。満面の笑みである。
「ミオ様に彼氏がいて助かりましたねー」
……………………。
ミオは夕食だけ城で摂ったらすぐ王都に出て、馬車を借りるという。城の車と御者を使えというと、私用ですからと突っぱねられた。いつもの無表情で片付けをし、部屋を出ようとする彼女に、
「ミオ、持って行け」
俺は金貨を投げつけた。空中で受け取り、ミオは眉を寄せた。
「蓄えはございます」
「いいから使え。城の馬車もだ。それともう一人くらい連れて行け」
「私、強いですよ」
「知っている。むしろその力を使わずに済ませるためだ。――悪役になるなよ」
ミオは笑った。苦笑いのようなものではあるが、確かにその口元をほころばせ、ふふっと声を漏らして笑っていた。
「畏まりました、旦那様。ありがとうございます。
それでは、しばらく留守にいたします。好敵手がいない間に、マリー様との親交を深めておいてくださいませ」
余計なお世話だこの野郎。
俺は思いきり眉を寄せながら、ミオに手を振った。




