レイミア様の恋➀
ディルツ王宮の庭園は、息を呑むほど美しい。
色とりどりの花々が咲き乱れ、噴水の水音が優しく響く。ガーデンテーブルは白いレースのクロスで覆われ、銀のティーセットが輝いている。
その美しいティーセットと、おいしそうなお菓子を挟んで、わたしの正面には銀髪の少女が座っていた。煌びやかに結い上げた髪が揺れるほど大きなアクションで、レイミア様は、とっても元気溌剌に話していた。
「いかがかしらマリー様、そのお紅茶。お口に合いまして?」
「え、ええ……はい。とても美味しいです」
「でしょ! 実はイプサンドロスの茶葉ですの。きっとマリー様が好むだろうと思って取り寄せたんですのよ。香りが素晴らしいでしょう、それに美容にもよいのですって!」
「そうなんですね。ではこのお菓子も」
「こちらは王宮の専属パティシエに作らせたものですわ。もちろん彼とは別に料理人もおりますけれど、わたくし好みのお菓子を作ることはできなかったのでわたくし個人の采配で新しく雇い入れましたのよ。フラリアで十年修業をしたお菓子専門の職人ですの」
「それは良――」
「おかげで毎日おやつの時間が充実するようになりましたわ! 特にこのタルトは本当にわたくしのお気に入りなのです。新鮮な果物と、アカシアの花の蜂蜜を使って……」
……相槌を打つ間すら与えてもらえない……。
レイミア様のテンションが異様に高い。
いや、数年前初めて会った時からこんな感じだったような気もするわね。
いつだってレイミア様は、大きな目をきらきら輝かせてわたしを見る。特に今日は、なんだかとても楽しそうだった。なにか上機嫌の理由があるのだろうか。それを私が問うより先に、レイミア様は満面の笑みでお話しする。
「ああ、今日はとっても良い日ですわ! わたくし、マリー様をこうして王宮に招き、お茶とお菓子でおもてなしするのが夢だったのです」
「ええっ? わ、わたしとお茶をするのが夢って、まさか」
「真実、本心ですわ。そのために庭園を改装いたしました。バラ園の真ん中でお茶が出来るように、この東屋とテーブルセットを作らせましたのよ」
「作っ……そ、そうですか」
「そうそうこのお庭も見ていただきたかったの! いかがです? 見事なバラでしょう?全世界にあるバラの品種、百種類以上のタネを取り寄せたのですよ。三年がかりでここまで見事に咲いてくれましたわ。ああ、ご安心くださいまし、棘などひとつも付いておりません。庭師たちが一株一株すべてチェックして、棘を取り除いておきました。もしよければブーケにしてお分けいたしますわね!」
「お、おかまいなく」
「ではローズヒップをお土産にお渡しいたします。そうそうグラナド城の庭師、たしかヨハンと言う名前だったかしら、彼にお渡しくださいまし。実はわたくしあの方からお花の手入れの方法を教わったことがありましたの、そのお礼として」
……はい、と、わたしは胸の中で返事をし、頷く仕草だけしておいた。
うう……。この一方的なおしゃべり、一体いつまで続くのだろう。
レイミア様とのお話自体は、決して嫌だとか、退屈というわけじゃないんだけど……。
と、その時。繁みの向こうから、男性の声が飛んできた。
「おーいマリー?」
わたしは声がした方を振り向いた。
そこに居た、褐色の肌に黒髪、緑の目を持つ美丈夫にして我が夫――キュロス・グラナドは、背が高い。
バラ園の植え込みから上半身を出して、わたし達を、呆れたような目で見ていた。
「まだ話しているのか? そろそろ馬車に戻らないと、御者が心配するぞ」
「あっそうですよね。ではレイミア様、わたしはそろそろ……」
席を立ちながら言うと、レイミア様の表情は分かりやすく曇った。
水蜜桃のように丸い頬をプクゥと膨らませ、さらに丸くしながら、
「キュロス様ったら、案外気が利きませんのね。今わたくし達、女同士で大事なお話をしている最中ですのに。邪魔しないでくださいまし!」
じゃ、邪魔って。
キュロス様も、そんな風に言われるとは思っていなかったのだろう。甘く垂れた緑の瞳をぱちくりさせて、面食らっていた。
「あ――申し訳ありませんレイミア姫。しかしその、今日、私共は公的な用で参った次第で」
「あらっ、お兄様達との会談は先ほど終わられたのでしょう? 何も急いで帰らなくてもいいじゃありませんか」
「しかしその……御者を待たせておりますので」
「少し遅れるのでのんびりしていろと、キュロス様が行って伝えれば良いではありませんか。わたくしがお茶したいのはマリー様ですもの」
ぷいっ、と横を向いて言い放つ、レイミア様。
キュロス様は一瞬ものすごく疲れたような顔をしたあと、すぐに優しい微笑と紳士の仕草で一礼した。
「……承知しました、レイミア姫。では私は先に馬車へ戻って、妻を待っていることにします」
「キュロス様……」
「マリー、俺は大丈夫だからゆっくりしておいで。ちょうどいい機会だ、気分転換になるだろう」
そう言って、キュロス様は自身が着ていた外套をわたしの肩にふんわり羽織らせた。
そして軽く手を振りながら去っていく。わたしは着席したまま彼を見送っていたけど、またレイミア様が話しかけてきた。
青い瞳に、何やら神妙な色を宿らせて。
「マリー様。実はわたくし、マリー様に相談したいことがありまして……キュロス様のおっしゃる通り、いい機会だから、聞いてほしいのです」
「わたしに話したいこと?」
わたしが聞き返すと、レイミア様はコクリと小さく頷いた。
なるほど、このちょっと強引なお茶会も、キュロス様も追い払ったのも、本当はその話がしたいためだったのね。王女様がわたしに相談って、何かしら。
わたしは居住まいを正し、レイミア様とまっすぐに向き合った。するとすかさずレイミア様が、カップにお茶のおかわりを注いでくれる。わたしはそれを頂きながら、レイミア様に、お話ししてくださるよう促した。
しかし、レイミア様はなかなか口を開かない。どうやらかなり話しにくい話題らしかった。
カップに残ったお茶が冷めてしまうほど逡巡して……不意に、レイミア様は叫んだ。
「あの――すごく今更ですけどっ。キュロス様とは、本当に心から愛し合ってらっしゃるの!?」
ぶっは。
わたしは思い切り紅茶を噴き出した。
な、な、な――何?
何の話っ!?
混乱のあまり零れた紅茶を拭きとることすら頭に浮かばないわたしと、妙に冷静な仕草でハンカチーフを取り出すレイミア様。ドレスから切り取ったかのように優美なレースの付いたハンカチーフを容赦なく紅茶の水たまりに押し当てながら、
「ごめんなさい、不躾なことをお尋ねしているとよくよく承知しております。だけどどうしても気になって」
「き、気になるって、なんで、レイミア様がそんなことを」
「わたくしは、世間知らずですので……」
レイミア様の口調は真剣だった。
紅茶を吸ったハンカチーフをテーブルの隅に置き、座り直す。
そして空っぽになったカップにおかわりを注いでくれた。自分も紅茶を吸いながら、彼女はホウと溜め息を吐いた。
「お話ししたことあったかしら……わたくし、あなた達と出会うよりほんの数か月前まで、フラリアの修道院におりましたの。七歳の頃から九年間、閉鎖的な空間で神の言葉を学ぶだけの日々。もちろん、男性との接点などありませんでした」
それは、聞いたことがあった気はする。
レイミア様はこのディルツ王国唯一の王女で、第四子。女子の王位継承が認められていない国なので王位継承権は無いが、重要な王族であるには違いない。
彼女の兄でありかつて王太子だった長子は、まだ七歳の彼女に縁談を持ち込んだ。もちろん政略結婚。相手は三十も年上の、異国の王だった。
強いショックに打ちひしがれた彼女を救ったのが第三王子ルイフォン様。彼女はまだ幼すぎて王妃となるだけの教養が足りない、今外国に嫁がせたら恥をかくだけなどと長兄を説得し、彼女を修道院に避難をさせたという。
彼女がディルツに帰還したのは十六歳の時、つまり二年半ほど前のこと。社交デビュタントのためである。王太子はさっそく彼女をフラリアの王子に会わせようとしたらしいが。
「それについて、わたくしは兄を恨んでなど居りませんのよ。やはり王族として、政略結婚は覚悟していたことですから」
十八歳になったレイミア様は、静かな嘆息をしてから、呟くように言った。
「ただ心の中では嵐が吹き荒れておりました。……マリー様。あの頃わたくしがキュロス様に憧れていたことは、もうご存じですよね?」
「……。ええ、まあ、なんとなくは」
「ふふ、ええ、わたくしあの頃は本気で、あなたからキュロス様を奪えるつもりでおりましたの。今となっては本当に、喜劇ですわね」
そう言って、わずかに紅の付いたティーカップの淵を、指の腹でソッと拭っていた。
「それでも、兄に逆らって己の恋を貫こうとしたわけじゃありません。ディルツの姫の相手として、キュロス様は十分に条件を満たしておられます。彼とわたくしとの結婚は、身分についてだけ言えば何の障害も無く、候補ではあったのです」
「そうですね」
それがどうしたのだろう? なんでこんな話をするのだろう……。
わたしが不思議そうにしているのに気付いたのか、レイミア様はパタパタと手を振った。
「いやだ、今も狙ってるとかじゃありませんわよ! わたくしにはもう、婚約者がおりますし」
首をブンブン振りながらも、なんだか嬉しそうなレイミア様。
その様子になおさら、わたしは血の気が引いた。
……その話は、一応、聞いている。しかしその……なんというか。信じられなくて。
……本当なんだろうか。レイミア姫が、我が弟、セドリック・シャデランと……。
「あのう、レイミア様……」
言いよどむわたしに、聞こうとしていることを察したのだろう、レイミア様は頬を染めた。
それからもう一度大きく溜息をつく。
そして、呟くように言った。
「そう……それでわたくし、悩んでいるのです。セドリックとの婚約……このまま、正式に結んでしまっても良いのかどうか……」
それはそうだろう。当たり前の、いや遅すぎるくらいの葛藤だ。
セドリック・シャデラン。姉のひいき目抜きで良い男……だとは思う。姉のアナスタジアによく似ていて、金髪碧眼の美少年。性格も明るく社交的で、いつでも前向き。思慮深いとは言い難いけれど、年齢を考えれば普通、むしろ賢いほうだろう。
だが……シャデラン家は男爵、レイミア様はディルツの王女。この国では王族が男爵程度の下級貴族と婚姻することは許されていない。
姉として、弟の恋をなるべく応援してあげたいと思う。だけどこればっかりは……。
わたしも目を閉じ、深く息を吐いた。
さきほどおかわりを注がれたばかりのカップに口を付けながら、
「無理、ですよね……男爵と王女が婚姻なんて」
「あっ、それは別に。わたくしが王家を離脱すれば済む話ですわ」
ぶっふぁっ。
わたしはまた、思い切りお茶を噴き出した。




