【特別章】みらいのおはなし前編②
ママが突然いなくなって、一か月ほど経ったときのことだった。
深夜、いつもぐっすり眠る私だけど、その日はふと目を覚ました。いつも隣のベッドにいるはずのパパが居ない。
「パパ……?」
私はベッドを抜け出した。父を探しに部屋を出ようとしたが、扉はすでに少しだけ空いていた。廊下から誰かの話し声がする。
パパはすぐ近く、扉の側にいた。私はそっと目だけを覗かせ、パパ達の会話に聞き耳を立てた。
……パパと話しているのは……執事のウォルフガング?
「――やはり難しいのか」
「はい……母親と離れ離れになるリサ様は可哀想ですが」
ママの話? パパが大きくため息を吐く。頭を抱えて、心から悲しそうに。
「なんてことだ……リサになんていえばいいのか……」
「リサ様はまだ五歳、命の尊さと儚さは理解しておられないでしょう」
命って……!?
「そうだな……今、リサにすべてを話すのはむやみに不安にさせるだけだ。マリーの残した言葉の通り、ただの旅行にいってると言い聞かせたほうがいい……」
「それも長くもつ物ではないですがね。いずれは、話さねばなりません」
「ああ、そうだな……その通りだ……」
パパは顔を手で覆い、また大きくため息をつく。
私の心臓がドクンドクンと激しく動いた。
どういうこと? ……ママが旅行というのは嘘って? 命の尊さ、儚さとは? 私が聞いたら悲しむって……どういうこと? そういうこと……なの……?
「――とにかく、今はまだ俺も心の整理が出来ていない……もう少し時間が欲しい。色々と落ち着いたら、その時に」
「なんなら僕のほうからリサ様にお話ししましょうか?」
「いや……いつか俺が話す。俺はリサの父親で、マリーの夫だからな」
私はベッドに駆け込み、頭から毛布をかぶった。やがてパパが部屋に戻って来たけど、私はずっと眠っていたふりをした。
震えが止まらない夜だった。
あの夜から、半年――私はまだ、パパから何も聞いていない。パパの沈黙と悲し気な横顔が、私の想像が真実であると物語っていた。
「ねえパパ、とりあえず、ここにあるものを捨ててしまおうよ」
私が言うと、パパはハッとしたようにこちらを見た。緑の瞳が一瞬私を捉え、だがすぐにまたドレスへと視線を落とす。
「なぜ? 置き場所に困っているわけでもない」
「でもこのまま埃にまみれさせておくのは、服や靴が可哀想だよ。こんなに綺麗なドレスなのに」
「……服が……ああ、そうだな」
私の言葉に、パパはふと微笑んだ。
「では、マリーが帰ってきたらそう提案してみよう。これは俺が贈ったものだが、もう受け取った彼女の持ち物なんだ。俺が勝手に処分するわけにはいかない……」
「パパ……」
パパの声は掠れ、まるで泣き出しそうな響きを帯びていた。私は胸が締め付けられ、もう何も言えなくなってしまった。
ツェリは肩をすくめ、冷ややかな目でパパを眺めている。
「あーあ、しょうがないなあ。ミオ様がいてくれたら、ガツンと言ってくれたのに」
……ミオ。かつてパパ達の傍に仕えていた侍女の名だ。
私がうんと幼かった頃には、良く面倒を見てもらっていたらしい。だが彼女は四年前、私が二歳の頃にこの城を去った。私はもう、顔も声も覚えていない。ただこの城の者たちはみな、ふとした時に彼女の名前を口にする。パパにとってママがそうであるように、多くの従業員にとって、『ミオ』はかけがえのない存在だったようだ。
パパが情けない言動をした時、門番のトマスが変な客を通してしまった時、湯の番のチュニカがお客様の服を勝手に脱がした時などなど、誰かが溜息まじりに呟くのだ。
「こんな時にミオ様がいてくれたら……」
――と。
『ミオ』がいた頃の城は、今とは違っていたのだろうか。
その頃にはママもいた。赤ん坊の私を、パパとかわるがわるに抱っこして、互いの目を見つめ、微笑んで、慈しみ合っていたのだろうか。
そんな時代を、私は知らない。
グラナド城は変わってしまった――他人はそう囁く。
それが真実なのかどうか、『変わる前』を知らぬ私にはよくわからない。
だけどいずれにせよ、私はこの現実を受け入れねばならない……事実、マリー・シャデラン・グラナドは、私やパパのそばには居ないのだから。




