商売敵との戦い方②
次の週、イプサンドロスから帰って来た船の荷は、平常の半分にも満たなかった。
仕入れ担当者いわく、いつものように買い付けしようとイプスの商店街を歩いたが、どこも食料品以外売り切れ状態。馴染みの職人の工房を直撃したが、それでも製品が無かった。オラクルから来たという商人が、何倍もの価格で買い占めていったのだという。
なぜ取り置いてくれなかったのかと責めた仕入れ担当者に、イプスの職人は苦い顔をした。
「そりゃあグラナド商会にはこれまでごひいきにしてもらってましたがね。うちだって商売だ、より高く買ってくれるところに売るさ。そんなに責められるいわれはないよ」
仕入れ担当者は郊外へ向かった。そこはかつて廃墟となっていた街で、グラナド商会が出資し工場地帯として町おこしをした場所だ。当然、製品はグラナド商会だけに納品するよう、在庫を溜めているはずである。
しかしそこですら芳しい結果は得られなかった。とりあえず在庫は得られたものの、責任者のオグランは、困惑の表情であったらしい。
「……素材が手に入らないんだ。イプス中の生糸卸業者を当たったけど、どこも在庫薄だって、酷い値段でしか売ってくれない。これじゃいくら人手が余ってたって、織物を作れない。おいら達、また仕事を失くしちまうよ……」
――なんとかしてくれ、と、彼からの手紙には書かれていた。
「織物の素材……綿花と絹か……」
キュロス様は苦い声で呟き、額に指を押し当て黙り込む。
「……とりあえず、イプスの工場街に資金を送ろう。『酷い値段』でもいいから素材を仕入れ、工場を止めないように」
「イプスの卸業者は、どこから仕入れているのかしら?」
わたしが尋ねると、キュロス様は首を振った。そこまでは把握していないらしい。
わたしは頷いて立ち上がった。
「城の図書館に資料があるかもしれません。わたし、調べてみます」
「……ああ……産地に何かあったのかもしれないな。そちらと接触してみる価値はある」
キュロス様が言い終わるより前にわたしは駆けだした。
時間が無い、と感じていた。
イプスの工場責任者であるオグランは、年齢こそまだ若いけど、利発で気丈な少年だった。その彼が弱音を吐いている。わたし達に助けを求めている。現場の状況は、報告として届いているよりも悪いのかもしれない。
わたしはその日から図書館にこもり、イプサンドロスの貿易の歴史、イプスがどこから『買って』いるのかを調べ上げた。
イプサンドロスは、東部大陸の西の端。となると普通に考えて、仕入れ先は東側、シャイナだろう。そう目星をつけて探していくと案の定、シャイナから大量に素材を仕入れているようだった。
で、それがイプスに入ってきてないってことは、シャイナの時点で在庫を枯らされているというわけで……。
……近年に災害でもあったわけじゃないならば……まさか、シャイナで買い占め?
そんな馬鹿な!
わたしはいくつかの書籍を抱えて、キュロス様の部屋に駆け込んだ。
「――そんな馬鹿な!」
やはり、キュロス様も同じ反応をした。
「……ですよね。だって東の大国シャイナの生産物を買い占めるには、国家予算並みの資金と街ひとつ分の倉庫が必要ですもの……」
「ハドウェルにそんなことできるはずがない。グラナド商会、いやディルツ王家にだって無理だ」
ですよね、とわたしはもう一度頷いた。
見当違いの推測を言ったことを恥じながら、本を閉じる。
ハドウェル商会にそんなことできない。できるのは――もしできるとしたらそれは――。
「……オラクル国……」
キュロス様は静かに呟いた。
オラクルという国を一言で表すならば、『頭のいい国』である。
まず、学問がたいへん盛んだ。郊外の農民を含め全国民に教育を課し、識字率は八割を越えるという。優秀な者は身分を問わず、国の支援で留学させ、逆に異国から識者を招いて、大学の講師として雇い込む。それにより科学、経済、医療技術は、世界最先端。
お世辞にも豊かな土壌とは言えない土地にありながら、経済力はおよそ世界一――そんな国が、隣国オラクルである。
隣国でありながらも、ディルツとの接点は少ない。高い山脈と深い谷に阻まれて、国交は断絶していた。近年、開拓が進み運河が通ってもあまり変わらなかった。断絶している間にそれぞれ独自の文化を築き上げ、それぞれ別の国と貿易して、今更両国でやりとりをするメリットが無かったのだ。
わたしは首を傾げた。
「そういえばオラクルってどこと貿易していたんでしょう」
「シャイナとだよ」
キュロス様が即答した。
「オラクルには、東貿易会社という国営の貿易機関がある。貿易船も倉庫も国が所持し、船長は上級貴族」
「で、ではやっぱり、綿花を買い占めているのはオラクル……ハドウェル商会は国営貿易の傘下に入った?」
「……それもどうかなあ」
キュロス様は今度は大きく首を傾げた。
「確かに東貿易会社ならシャイナからイプスへの納品用在庫を買い占めるくらいできそうだが……メリットが無い。オラクルの一大産業は科学と医療、それら技術の権利だ。経済の循環を滞らせてまで、生糸やら貴金属やらを大量に買い付ける理由が無いんだよ」
腕を組んで、ウーンと唸る。
……わからない。
キュロス様が戦っているのは、いくつもの国を跨ぐ貿易商の世界だ。領地のほとんどが農家という、田舎男爵家の娘がこれ以上立ち入るのは難しい。
キュロス様は現状をわたしに話してくれているけど、経営の相談をされているわけではない。家族として、情報をシェアしてくれているだけだった。
わたしには……何もできない。
「今はとりあえず、ここグラナド城にある在庫でなんとかなっているが、半年も持たずに尽きる。市場に卸せなくなれば信用を失うだろう。市場も、売り物が無ければ儲けようが無いからな……」
「……イプスの工場も、物が作れなくて困っています。どうにかシャイナを経由せずに素材を手に入れられないでしょうか」
「うーん、ディルツでは寒すぎて、綿花を育てられないからなあ。何かほかの……」
――と、顎に手をやって考え込むキュロス様。その難しそうな顔を見ていると、わたしはますます胸が締め付けられる。役に立てないことが心苦しくてたまらなかった。
「……ごめんなさい」
思わず、そんな言葉がこぼれ出る。キュロス様は眉を顰めた。
「なぜ君が謝る?」
「……わたしが、綿が育つほど暖かい土地に縁があれば、キュロス様のお役に立てたのに」
「ははっ、なんだそれ。それじゃあ俺はディルツで君と出会えなかったじゃないか」
明るく笑い飛ばすキュロス様。普段ならわたしもこれで「確かにそうね」とすぐ前向きになれる。だけど不安が重なりすぎたせいか、悲観的な発想が止まらない。わたしは頭を抱えた。
「シャデラン領が暖かければ……にはあんなに土地が余っているのに、あそこにあるのは小麦と牛と豚の牧場だけ……」
「王都の食糧庫として大いに役立ってくれてるよ」
「それどころか離農が進んで空き家だらけ……あっそこを温室にできないかしら⁉」
「さすがに綿花畑にはスペースが足りないって」
「うううっ、わたしが蚕だったら、この大きな体からたくさん絹糸を吐いて見せるのに……!」
「いやそれは」
「わたし、分厚く立派な繭を作れる自信ならあるのにぃ……」
「妙なところにだけ自信を持つなっ」
がっくりと落ち込むわたしを抱き寄せて、キュロス様は呆れた口調で窘めた。
「俺の役に立とうという気持ちは嬉しいが、自分を責めるのはやめてくれ。俺は君と娘に、そういう顔をさせないために働いているのだから」
「は、はい……ごめんなさい」
「それに、シャデラン領は良い土地だよ。君の育った環境について肯定するわけではないが、生まれた場所が悪かったわけじゃない。牛と豚しかいないなんて、そう卑下するのはよくないな」
「……そう、ですね……はい……」
確かに、少しはロバとか羊もいますしね……。
各家庭が所有する、愛玩動物みたいなものだけど。
それでも家畜は農家にとっては貴重な資産。ロバは荷物運びの戦力になるし、食べると美味しい。
除草のために飼う羊も、少ないけど乳が採れ、家族の食卓を彩ってくれる。そして食べると美味しい。
まあ羊は年に一度毛刈りの手間がかかるけど、業者に売ればちょっとしたお小遣い稼ぎになるわけで……。
…………ん?
あ……ああっ⁉
わたしは顔を上げ、にじんだ涙を拭って叫んだ。
「ひ――羊!! そうだ、羊だわ!」
「……うん?」
「ひつじですキュロス様。シャデラン領にひつじを呼び寄せましょう!」
「お呼びでしょうかマリー様」
ずっと近くで待機していたらしい、グラナド城の執事ウォルフガングが顔を出す。
わたしは突然大きな声を出してしまった恥ずかしさで赤面し、とりあえず着席してから、ウォルフの淹れたお茶をいただいた。
それでいったん気を落ち着かせて、話し始めた。
わたしの思いついた作戦――というほどでもない、とてもシンプルな発想。
すなわち、『綿が無ければ毛を使えばいいじゃない?』……である。




