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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
最期まで永遠に

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狙われているような気がします……

 

 キュロス様が帰還されたのは、彼らが去ったあとわずか一時間後。事前に聞いていた時刻よりはるかに早かった。


「港町のほうでちょっと、色々とあってな。朝食も取らず夜明けと共に出立したんだ」


 外套をウォルフガングに預けながら、キュロス様はなんとなく濁した口調で言った。そちらの『色々』も気になったけど、それよりこちらの『色々』を報告しなくてはいけない。わたしはヤン達の来訪をキュロス様に伝え、彼らが置いていった書類を差し出した。

 百枚を超える分厚い書類をべらべらっとめくり、ざっと目を通して、


「なんだこれ!」


 キュロス様は目を剝き、叫んだ。


「めちゃくちゃな内容だ。グラナド商会やマリーへの報酬を謳っているのは三枚目まで、それ以降は意味も無い、歴史や地理についての紹介文。最後のほうで、三枚目までの内容を覆してる。利益はすべてハドウェル商会へ、損が出たら冒頭にサインをした者――マリーの責任だと⁉ こんな小さい字でっ!」


「ええ、わたしも後から精読し、脱力しました……」


 まだ血の気の戻らない手を握って、わたしは呟いた。

 そう、やはり彼らが出してきた契約書は罠だった。意味のない文章で嵩増しされているのも策略のうちだろう。こんなに分厚い書類を渡されたら、誰だって怯む。今すぐ精読しろと言われたらなおさらだ。そこで『責任者からはもう許諾をもらっている、あなたはサインするだけ』と言えば、人はホッとして、ペンを取ってしまいかねない。

 シンプルだけど酷く姑息で、胸の悪くなるシカケだった。

 キュロス様は凛々しい眉を思いっきり吊り上げて、憎々し気に書類を叩く。


「そもそも『人魚の約束』を譲るなんて、俺は約束していない。ハドウェル商会と取引したことは無いし、ヤンなんて聞いたことも無い。何が親友だ。最初から最後まで全部嘘だよ」


 キュロス様はいよいよ不快そうに吐き捨てると、わたしを抱き寄せた。ぎゅうっと強く抱きしめてから、頭に手を置く。


「安易にサインしなくて大正解だ。よく見極めたなマリー」

「は、はい……でもあの、今思えばあなたが帰ってくるまで引き留めておいたほうが良かった……」

「いいや十分、追い返してくれてありがとう」


 ヨシヨシと子どもを褒めるみたいに撫でるキュロス様。大きくて暖かい手に慰められて、わたしの体にやっと血が戻ってくる。するとわたしは欲を覚えて、冷たくなった指先も、キュロス様に差し出した。


「こっちも触って……」


 彼はすぐにわたしの手を取り、ぎゅっと握ってくれる。

 冷えた血と一緒に、不安や恐怖を吸い取ってもらえているみたい。

 わたしはもう一度改めて、ほおーーっと大きく息を吐きだしたのだった。 


「……しかし……ハドウェル商会……か」


 わたしの肩を抱いたまま、キュロス様は低い声で呟いた。

 いつもは甘く垂れた緑の目が、鋭く光っている。


 キュロス・グラナドは背が高い。背丈だけでなく肩幅も胸板も厚く大柄で、ただ居るだけで威圧感がある。だからこそ普段、温和な話し方を心掛けているようだった。だけどこうして苦い表情(かお)をすると、妻のわたしでも怖いくらいに鋭くなる。

 娘にはあまり見せたくない顔だ。リサはちょうどお昼寝の時間で、キュロス様の胡坐(あぐら)をベッドにぐっすり眠っている。


「……実在する商会なのですか? もしかしたらそれも嘘なのではと疑っていたのですけど」

「名を聞いたことはある。確かにオラクルの宝石商で、主はハドウェル・デッケン……燃えるような赤毛の大男だと」

「有名なんですね」

「本人がな。外見が特徴的だから、商会の規模以上に名が独り歩きしているんだよ。赤毛の魔物だの怪獣だのと」

「そ、それは、なんだか可哀想ですね……」


 思わずわたしは呟いた。


 自分を騙そうとした男を庇うわけではないけれど、人喰い猛獣に例えられるほど、獰猛なひとには思えなくて……。いや、言葉を二つ聞いただけで、彼の何を知っているわけじゃないんだけど……。

 わたしのちょっと複雑な思いには気づかなかったのか、キュロス様は肩を竦めた。


「商人が自身を偶像(キャラクター)化し、シンボルとするのはよくやる手法だ。宝石商と猛獣とでは相性が悪い気はするが、実際それなりに成功している。グラナド商会と比べれば、取るに足らない程度だが……」


 キュロス様は嘆息した。

 エリーザベトの、天使のようにくるくると巻かれた髪を、大きな手のひらで撫でながら。


「……実は、港でちょっと、噂を聞いた。たいそう大柄な赤毛の男が、ディルツの綿織物を軒並み買収していると」

「綿織物? ハドウェルは宝石商では?」

「ああ、それにオラクル人がわざわざディルツの綿花を買う理由がない。あちらは東部との貿易が発展していて、そちらで買った方が安いからな。しかし……」


 キュロス様は顎に手を当て、低い声で唸った。


「……ただの偶然っていうには重なりすぎている。嫌な予感がするんだ」

 

 キュロス様は、あまりネガティブなことを口にしない。特にわたしの前では、明るいニュースだけを言葉に出すよう心掛けているように思う。そんな彼から珍しく出てきた文言に、わたしは思わず息を呑んだ。

 ……それに、わたしにも気になることがあった。会談中、ヤンがキュロス様の帰宅予想時間を口にしたような気がするのだ。今夜遅くまで帰ってこないだろう、と。

 結果的に、キュロス様は予定よりも早々に宿を()ったため、ヤンの予想は外れていたけど……。

 もしかすると彼らは、キュロス様が港町に宿泊していることを知っていた? つまり、キュロス様の動向を追っている……とか。


 パチンっと、暖炉の薪が音を立てる。

 ディルツ王国の冬は厳しい。暖炉の火が消えた瞬間、わたし達は凍死してしまうだろう。凍てついた窓の向こうでは、白い雪が降りしきっていた。


 オラクルの商人から手紙が届いたのは、わずか二日後のことだった。


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