俺は楽しく仕事する①
ディルツ王国最南端、グラナド公爵領の港町。
ここへやってくるのはずいぶん久しぶりだった。海風が心地よく、船の帆が街並みの向こうで風をいっぱいに受けているのが見える。
「おっ、グラナド商会の旦那じゃないか!」
街に入るなり、漁師宿の店主に声を掛けられた。
「ようこそ港へ。仕事かい?」
「ああ、仕入れにな。船着き場の倉から、王都へ商品を持っていく」
「なら船出はせずに宿を取るってことだな。ウチなら良い部屋が開いてるぜ!」
両手に魚をぶら下げ喚く店主に、俺は手を振った。
「いや、街外れの民宿を予約している。今回はあまりくつろぐ時間は無いので、馬が置ける所がよくてな」
「そりゃ残念、またの機会に。そういえば旦那、子供ができたんだっけ?」
「ああ、もう一歳になった。この間、パパと言ってくれたんだ」
「おお、めでてえ! こいつを持っていきなっ!」
店主は持っていた魚を投げよこしてきた。出産祝いらしい。俺は笑って受け取り、背後にいたウォルフガングに渡す。執事は一瞬だけ、かなり嫌そうな顔をした。
「そんな顔するなよ。せっかくの頂き物だ。今の季節なら持ち歩いたって腐ることはないだろう」
「……手が生臭くなります」
ウォルフは溜め息をつき、馬車に魚を置きに行った。その様子が可笑しくて、俺は笑ってしまった。
「この街に来ると、いつもこうなる。次からは袋を持ち歩くか」
ディルツの民はシャイでストイックで、不愛想なのが国民性だと言われている。だがこの港町ではいつもこんな感じだった。俺がグラナド家当主だとは知っているが、その上で、どこにでもいる若者扱いしてくれる。幼い頃、母と共に身分を偽り、町民の世話になっていたせいだろう。
俺の母親で、アルフレッド公爵の妻リュー・リューは、イプサンドロスの旅芸人だった。ドレスを着て屋敷のメイド達に傅かれる生活は、相当窮屈に感じていたらしい。時々粗末な服を着て平民のふりをし、大味な下町料理を食べ歩くのを楽しんでいた。俺もそんな時間が大好きだった。
正直今でも、自分が公爵という、王家に次ぐ上級貴族の大領主という自覚はあまりない。公爵ってあまりやることがないしな。領地が大きすぎて、当主ひとりの采配で管理をするのは絶対不可能、ゆえに下位の貴族を地方領主として置いているのだ。俺の元には、よほどの大事件でもなければ報告も来ない。そして公爵領――いやこのディルツ王国は、泰平の世。よほどの大事件など起こりようがなく、俺は一介の商人として、以前と変わらぬ毎日を過ごしている。
それは、俺にとって喜ばしいことだった。
……社交界の空気は居心地が悪い。
ここ港町やイプスの、粗野で無礼で陽気な連中が好きだ。このまま貿易商として一生を過ごしたい。娘がもう少し大きくなったら、イプサンドロスにも連れて行って……。
そんなことを考えながら、グラナド商会の倉庫へ到着する。すると、何か違和感を感じた。見慣れた風景がどこか違って見える――棚に空きが多い。在庫が少ない?
俺は帳簿を確認してから、作業中の倉庫番に声をかける。
「なぜこんなに在庫が少ないんだ? 帳簿通りなら、前回の半分ほどしか仕入れできていないな」
「は、はい……すみません。最近の仕入れがうまくいっておりませんで」
倉庫番は申し訳なさそうに答えた。
「なぜ? どの段階で躓いている?」
「イプスの商人が売り渋りをしとるのです。職人に発注したものも納品されず、こちらが発注したものを揃えられなかったと。船倉が半分しか埋まらない状態で戻ってこざるを得なかったと」
俺の後ろでウォルフガングが呟く。
「……船倉の半分だと、すべて売れたとして利益は人件費、運搬費と同程度。ギリギリ黒字、というくらいでしょうな」
「どこかライバルの貿易商が先に、イプスの職人を取り込んだのだろうか? うちと張り合えるくらいというと、世界中でも指折り数えるほどしかないはずだが」
俺も顎に手を当て、唸った。倉庫番がさらに困ったように眉を垂らし、
「私どもの調査ではそこまで明らかにすることができず。申し訳ございません」
俺は首を振った。倉庫番を責めても意味がない。問題はイプサンドロスで起きているのだから。
貿易商にとって、商品不足は深刻な問題だ。それを運ぶことで利益を得る商売なのだから。
イプサンドロスは東西の大陸を繋ぐ中間地点、そして世界有数の職人街を抱えている。自然災害で農作物壊滅、ということもなく、国民はおおむね貧しくて製品を消費しない。つまり物が余ることはあっても足りなくなることは無い……はずなのだが。
「……マズいな」
ウォルフガングと顔を見合わせ、呟いた。
「特に綿織物、衣料品が不足している。うちの主力商品じゃないか」
「しばらくはグラナド城にある在庫で賄えますが、再来年には売るものが無くなりますな」
「次の便に調査員を乗せよう。場合によっては俺自身も行く」
「ではそのように準備をいたしましょう」
ウォルフガングが一礼した。
商売の世界は常に変動している。それでこそ面白く、楽しい。だがそう言っていられるのはあくまでうまくいっているうちだ。深刻な問題には、俺だって笑っていられなかった。
他の倉庫や売店、貿易船のチェックを終えた頃にはすっかり日が暮れていた。昼間に予約した宿――馴染みの漁師宿に入ると、食堂の方から名を呼ばれた。
「おーいこっちだ、キュロス卿!」
この声……いや、この大声は、まさか。
お世辞にも小奇麗とは言えない、下町の食堂である。油で薄汚れたテーブルに、まったく似つかわしくない衣装の人間がいた。
中肉中背、目鼻立ちはさほど色男とは言えないが、明らかに庶民とは違う。髪の艶も肌の清潔感も、上級貴族丸出しのこの男は――。
「リヒャルト王子っ!?」
意外過ぎて叫ぶ俺。その様子を、リヒャルトはやけに嬉しそうに笑って眺める。
リヒャルト・ニールセン・ディルツ。この王国の第二王子であり、俺の親友ルイフォンの実兄。グラナド家とは多少の因縁もある男だった。
なんで王子がこんなところに!? ――という動揺が収まりかけた頃、彼の隣の席を見て、さらに大きな声が出た。
なんと、女性だ。それも若い……十五歳になるかどうかといった少女である。まさかあのリヒャルトが女連れとは。
かなり動揺しながらも、驚いて見せるのは失礼だろう。俺は何食わぬ顔でリヒャルトに近付き、少女の顔を間近で見て、今度こそひっくり返った。床に転がったまま叫ぶ。
「――クローデッド姫!! 嘘だろ!?」
「なにが嘘か。正真正銘、フラリアの王女殿下だよ」
こういう反応は予想していたのだろう、やはり楽しそうに言うリヒャルト。俺はもう声も出なかった。




