ずたぼろだから役に立ちます
床に転がった二人が叫ぶ。
「何するのよ! 痛かったじゃないの!」
「あたしたちを誰だと思ってるの? たかが侍女のくせに!」
ミオは、怒りも笑いもしなかった。
ただ静かに、いつも通りの口調で淡々と。
「あなたたちも侍女です。私は侍従頭でもありますが」
「はあん? 全然別物だわ。私は王宮で、第三王子に従事していたのよ。そして未来の公爵であり、この国一番の大金持ちのグラナド家に引き抜かれてきたんだから」
「……だから、そこの侍従頭が私です」
「あは! ただ古株なだけでしょ? あたしたちはスカウトされたの。この城の旦那様の侍女よ、あんたなんて貧乏男爵の娘のほうに落とされたくせに!」
「……今朝、その采配をしたのは私です」
「オホホホ仕方ないわよハンナ。だって有名よ、公爵夫人は蛮族、路傍の娼婦で、客との連れ子を侍女に仕立てたって」
「あらぁーそうだったかしら? 道ばたに産み捨てられた孤児じゃなかった?」
「さぁーどうだったかしら? 忘れてしまったわ。けれども同じよ、仕方ないわ。名字も無いのに伯爵城の侍女だなんて、初めから身分不相応だもの」
「そうね、その通りだわ。貴族のあたしたちとは命の貴さが違うもの」
彼女らは床に座り込んだまま天を仰ぎ、とても大きな口を開け、大きな声で笑っていた。
ミオはまっすぐ足を揃え、立ったまま微動だにしなかった。ただほんのわずかにだけ、口の端を持ち上げた。
「……なるほど。本物の馬鹿でしたか」
「なっ――なんですって!?」
イルザが甲高い声を上げ、ミオを叩こうと、手を振りかぶった。
あっ、危ない、あなたが! ――と、止めてあげられる間などもちろん無く、イルザは空中を一回転して、べしゃりと床に墜落した。
「――げぐぅ」
カエルが潰れたような声を漏らし、そのまま静かになる。
ハンナは目と口をまん丸に開いて、ただポカンと見上げていたが、
「ついでなので、あなたも」
と、ミオは彼女を担ぎ上げ、廊下のほうまで投げ飛ばす。
そうして満員だったわたしの部屋は、とても静かになった。
ミオはその場の誰よりも低く頭を下げ、わたしに謝罪した。
自分の監督不行き届きで、たいへんな思いをさせてしまった、と。
この荷物はすべて城の方で処分をし、代わりに必要なものはすぐ新品を用立てるとか。今すぐ旦那様を叩き起こして参りますとか。
状況を把握したトマスとトッポは、わたしを慰めようとした。トッポはまたお菓子を作ると言い、トマスは故郷の、元気が出る歌を聴かせてくれた。
だけど、わたしは笑っていた。
「大丈夫。平気よ」
それは、今までのような我慢の苦笑いなんかじゃなかった。
「――ミオも、お詫びなんてしないで。それよりお願いがあるの」
「……はい。なんでしょう……なんなりと」
「ハサミと、針と糸を貸してほしい。わたし、いいこと思いついたんだ」
全員が、きょとん、とする。
その表情が可笑しくて、わたしは大きな声で笑ってしまった。
朝、園庭の花に水をやり、夜、雑草の草むしりをして回る。そして日中は菜園の世話。それが庭師ヨハンの日課らしい。
もちろん一人だけでやってるわけではないけども、この広大な園庭を管理、維持しているなんて、ヨハンは本当に働き者だと思う。
ずんぐりと丸い背中をさらに丸めて、新芽のようすを伺う彼に、わたしはそっと近づいた。
「ヨハン」
声を掛けると、振り向くヨハン。わたしの姿を見て目を丸くする。
「お、奥様……! なぜここに」
「ヨハンの菜園、案内してくれるって言ったでしょう。わたし、どうしても……それが見たかったの」
そう……昨夜、初めて自覚したわたしの『好きなこと』。
美味しい野菜を作って食べること。
家計のため、それしか残っていないから、仕方なく――シャデラン家に居たときはずっとそうだと思っていた。だけど違った。
わたし、好きだったんだわ。食べることも、自分の手で育てることも、土を触って汚れることも。
売れるからっていうのも言い訳だ。独学でなかなかうまく出来なくて、お世辞にも効率的とは言えなかった。それでもやっていたのは、実はすごく……楽しかったからだって。
やらなきゃいけないときには気付かなかった。
禁止されて実感した。わたし――ちゃんと好きなものがあったんだ。
畑に近づこうとすると、ヨハンが慌てて引き止める。
「奥様、いかんです。さっき水を撒いたところで、手や、靴がひどく汚れてしまいます」
「ふふっ、大丈夫よ」
わたしは足下を指してみせた。
今日はドレスじゃなくて、丈が短い部屋着だった。袖をまくり、手には使い古した手袋。膝から下は、汚れ防止のバリケード――古布を靴下の形に仕立て直した、長靴もどきを巻いている。
「これなら、もとがずたぼろだもの。いくら汚れたって平気。それにわたしの物だから、お城に気を遣うこともないし」
ヨハンは困惑し、しばらく眉を寄せていたが、わたしがのしのし土を踏み歩いていくのを見て、何か色々諦めたらしい。
丸い鼻から息を吹いて、
「なんですかい、ただ汚せる靴があればいいだけなら、使用人用のをなんぼでも出してやったのに」
「あっそうか、そうね! そういえばその手があったわ」
「ふ――はじめっからそう言いなされよ。ああ、まあええ。こっち来なさい。次、茄子の摘花を始めるところじゃて――」
「茄子なら上手く作れたわ。わたし、お手伝いしてもいい?」
「ほぉ、お手並み拝見といきましょうか」
ヨハンの口元で、豊かな白髭がモソモソ動く。そして彼は、日焼けした顔を皺だらけにし、わたしにむかってクシャリと笑った。