灰かぶり女の呪いは解けない
いつの間にそこにいたのか、グラナド城の湯の番人チュニカ・ペンドラゴン。
いつもフワフワニコニコ掴みどころのない笑顔を浮かべている彼女だけど、今その目が笑っていない。異様な迫力に、エラだけでなくわたしやキュロス様までがたじろいだ。
「チ、チュニカ……?」
チュニカはテヘッと小さく舌を出した。
「ごめんなさぁい。すわシュラバかとワクワクで盗み聞きしてたんですけど、あんまりお話が面白いもんで、我慢できなくっちゃいましたぁ」
チュニカはそう言うと、床に這うエラに近づいて行った。膝をつき、顔を覗き込むようにして、優しく囁く。
「エラさん。さっきから聞いていたら、ご自分が虐められるのは不細工なせい。マリー様が愛されるのは美しいから――って言いたいみたいで。合ってますよね?」
「…………正しいでしょ」
エラが言い返すと、チュニカはニコニコ頷いた。
「うんうん、一理あると思います。恋愛感情、特に男性から女性への恋は大部分、外見から入ります、これは事実、真実ですわぁ」
チュニカは何を言いに来たんだろう? まさかエラの味方をしに……と怪訝に思った次の瞬間、チュニカはガシッと、エラの手首を掴んだ。
「――ということで、あなたもキレイキレイになりましょぉ。私にお任せくださぁい」
「え――え? えっ?」
「美の魔法使いチュニカ・ペンドラゴンの、ビューティーアップフルコース! いちめいさまごあんないー!」
「えっ? え……ええええええ」
本気で困惑しているエラの手を引いて立たせると、引きずるように部屋を出た。扉越しに聞こえるエラさんの「えええええー?」という悲鳴が、遠くなっていく。
やがて、
「――わぁお、やっぱり着痩せするタイプだぁ。ご立派ぁー」
「ぎゃああああああ!」
ものすごい悲鳴が聞こえてくる。
無言で耳を塞ぐキュロス様。
えっと……ど、どうしよう。
ビューティーアップタイム? エラを美しくするとか言ってた?
チュニカは一体なにを考えているんだろう?
わたしは心配というより好奇心で、こっそり風呂場に向かった。
とはいえここはダリオ侯爵の別荘で、風呂もグラナド城のように広くはない。わたしもこの二日間使わせてもらっているけど、ディルツの富裕層家屋では一般的な、人間一人浸かれる程度のバスタブとお湯を溜めた甕があるだけの風呂場である。
そこにチュニカはいつもの美容グッズを持ち込んで、エラさんを風呂に浸けたようだった。
扉越しに、チュニカのご機嫌な声が聞こえてくる。
「さーまずはこの特製の入浴剤で、お肌キレイキレイにするところからですねえ」
「な、何? なんなのよぉ」
「材料はミルクとハチミツ。保湿効果が高くて、お肌をウルウルにしてくれますぅ」
「素材を聞いたわけじゃないわっ」
「それとカモミールの花。炎症を抑え、肌を穏やかに。それから硫苦パウダーですねぇ」
「りゅう、く?」
「はぁい、瀉利塩とも呼ばれます。お塩じゃないんですけど。難しい言い方だと硫酸マグネシウム」
「……???」
「これが筋肉の緊張をほぐし、お肌を柔らかくしてくれまぁす。それからラベンダーの精油でリラックス効果。とにかく全部ふにゃふにゃにするセットでーす」
「…………えっと。あ……あの、私コレ、入らなきゃダメなんでしょうか……」
「はい、入らなきゃダメです」
ものすごい勢いで即答されて、エラはもう何も言わなくなった。
……あとは、盗み聞きしなくても展開が分かる。
その後、チュニカはエラに美容術のフルコースを施す。まずはスクラブで古い角質を取り除き、その後、アロマオイルを使ったマッサージ。その間、とろみのあるトリートメントで髪を包み、クリームで顔を潤し……メイクとドレスアップが始まるのだ。
間違いなく数時間かかるのを確信し、わたしはその場を後にした。
『エラ』と再会したのは、その日の深夜のことだった。
みんなが集まる食堂。チュニカに集合をかけられたわたしたちはみな席に座って、お茶を飲みながら、事件が起こるのをただ待つ。ふと、ラベンダーの香りがした。ハーブティーを淹れたのかと思い、ウォルフガングを見上げたが、彼は首を振った。
そして、扉のほうを指さした。
「チュニカさんが、エラさんをお連れしたんですよ」
そう――扉口に、エラがいた。チュニカに手を引かれるまま食堂に入ってくる。
……『侯爵の別荘』程度の施設には、およそふさわしくない女性だった。
というか……誰?
わたしの知らない女性がいる。
魅力的な女性だった。
ふんわりと、柔らかく広がる白銀の髪。やや外側にハネが強い髪質だが、紫色のドレスと相まって、まるで雪の結晶のよう。ふっくらした頬を縁取って、華やかに開いている。
可愛らしい、愛嬌のある顔立ち。純白の肌はファンデーションにより滑らかに整えられ、染みひとつなく輝いていた。小さな唇に塗られた紅は薄めの桃色で、そのぶん彼女の、鮮やかな紫の眼が際立って見えた。
大きく丸い目元は、無垢な少女のようにナチュラルなメイクで。豊満な体つきを隠すことなく、むしろウエストマークで強調し、白く柔らかそうな肌が映えるよう、肩まで出した紫のドレス。
足下には、リスの毛皮で作られたものらしい、素敵な靴が履かされていた。
あの五人の美女の誰かが置いて行ったものだろうか、穿き慣れていないらしく彼女は何度もつまずきそうになった。
そのたびチュニカが支える。そうしてどうにか、彼女はわたし達の前にたどり着いた。
ゆっくり、ゆっくり。
エラは歩きながら、辺りを見回す。
そのたびに前髪が揺れ動き、彼女の顔が露わになる。わたしはそれをぼんやり眺めた。
わたしはぼんやりと、『彼女』を眺めていた。
――綺麗。
……誰?
男性陣からも、「ほおー……」っと熱っぽいため息が漏れていた。そんな反応も仕方がないと思う。だって彼女はまるきり別人みたいだったし、何よりものすごく綺麗だったんだもの。女も見惚れてしまうほど、本当に、エラは綺麗な女性だった。
エラはわたし達の反応を見て、怯えたような表情をしていた。あたりをキョロキョロ見渡している。それを見て、わたしは彼女の手を引いた。
「鏡の前にどうぞ」
「…………これが私?」
エラは鏡の前に立ち、美しく着飾った自分の姿を見つめていた。
彼女の姿を大きく変えたのは、ドレスよりもヘアセットの力が強かった。ボリュームがありすぎた灰色の髪は、トリートメントで艶を帯びたことで銀髪に近い輝きを取り戻した。顔の半分を隠していた前髪は眉の少し下までカットされ、神秘的な紫の瞳が露わになっていた。
「会心の出来ですわぁ」
わたし達の反応を見て、チュニカはにんまり笑った。
「どうですか、エラさん。これだけ美人になったなら、もう嫌われることはないし、いじめられることもないですよね」
「……あ……」
エラさんの表情が強張った。
硬直した肩を抱き寄せて、さらにニコニコ、チュニカは囁く。
「ご両親も愛してくれるし、友達もできるし、恋人も出来る。キュロス・グラナドはマリー・シャデランなど捨てて、あなたを愛し、求めてくれる。他のみんなも優しくしてくれる」
「…………え……あ。あの」
「それですべて、あなたの人生は上手くいく――自分でそう言ったわよね、エラ・フックス」
チュニカの声がわずかに低くなった。その次の瞬間、
「やめてよ!!」
エラは絶叫した。
突然、エラは何かが弾けたように暴れはじめた。爪を立てた手で全身を掻きむしり、自らのドレスを引き裂き始めた。シルクの布地が破れる音が部屋に響き渡る。紫色のドレスは一瞬で無惨な姿に変わり果てた。
部屋中に飛び散る布の切れ端が、彼女の怒りと絶望を物語っている。
エラの手は頭髪に向かう。綺麗にセットされていた髪は乱暴に掻き混ぜられ、崩れていく。髪飾りが床に落ち、髪の毛が乱れて顔にかかる。美しく整えられていた髪は、今や乱雑な塊となった。
半日をかけてチュニカが磨き上げたものがすべて、台無しにされていった。
すべての「美」が床に落ちた時、彼女はようやく静まった。エラは崩れ落ちるように床に座り込み、涙を流し始めた。
「こんなの頼んでない。ひどい、ひどい。みんなひどい」
わたしはただぽかんとして、彼女を見下ろしていた。
「私が着飾ったって意味が無い、それがわかってて晒しものにしたんでしょ。身の程を知れって言いたいんでしょ。わかってるわよ、私なんか、私なんか」
またワアッと泣き出す彼女。わたしは本当に虚を突かれた。
「何を言っているの? あなたは綺麗よ、エラ」
心からそう言った、しかしエラはギロリとわたしを睨み、呪詛を吐いた。
「おまえが言うな」
――低くしゃがれた声に、呑まれる。
「おまえが言うな……自分のほうが綺麗だって分かっているくせに」
そんなことは無い。無いけれど、たとえそうだったとして、だから何になるんだろう。わたしにはエラの怒りがわからない。
エラはゆらりと立ち上がった。幽鬼が漂うように、わたしに歩み寄ってくる。
「自分が一番だって、思ってるんでしょう? それなのに、自分より醜い女を綺麗だなんて、嘘つきめ」
「嘘なんかじゃ……わたしは本当に、あなたを綺麗だと思ったのよ。そう思うこととわたしの容姿に何の関係があるの」
エラは鼻で笑った。
「自分が一番のくせに、二番以下のひとを心から褒めるわけないじゃない」
わたしはもう絶句してしまった。
静まり返った空間に、クスクスクス――と、朗らかな笑い声がする。
笑っていたのはチュニカだった。
「こういうのを、『悪口は自己紹介』って言うんですよねえ。自分がそうだから、他人もそうだと思い込むってやつぅ」
「…………?」
「あはっ、本当にわかんない顔してるのオモシロ。こういうところが、あなたとマリー様との決定的な違い。たとえ見た目が世界一の美女になっても、ひとから本気で愛されることなんてないでしょうねえ」
チュニカの言葉を聴いた瞬間、エラの顔色が変わった。
それは今までの、たおやかで儚げで、みんなの憐れみを誘う表情ではなかった。あるいは装いが美女のそれになったため、哀れに見えなかったせいかもしれない。
エラの眼に涙は無かった。ただ憎々し気にわたしを睨むと、低い声で吐き捨てる。
「死ね」
一言、そんな呪詛だけを残して、彼女は駆けた。引き留めようとした男達の手を叩き、門番に体当たりをして、その場から飛び出していく。
慌てて後を追ったけど、鬱蒼とした森の木々は彼女の姿を覆い隠し、吞み込んでしまった。
――そうして、エラ・フックスは消えた。
自ら放り投げた、リス革の靴をその場に残して。




