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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
生命の分水嶺 編

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俺は理解ができないでいる


 深夜――森の木々が擦れ合うざわめきと、夜に活動する鳥の声が、部屋の中まで聞こえてくる。俺はひとり部屋にいながら、なぜか落ち着かない気持ちだった。

 ダリオ侯爵の別荘は、外観からの印象よりも部屋数が多かった。そのぶん一室一室は小さめだが、別に苦にはならない。実を言うと俺は昔から、少し手狭な空間のほうが落ち着いてくつろげる性質(たち)だった。ミオに話すと、「酸欠にご注意ください」なんて言われてしまったが。

 豪奢ではないが清潔に整えられた、心地のいい部屋。それなのに妙に嫌な予感がして、俺はずっと寝ずにいた。しかし何が起こるわけでもなく、夜は更けていく。


 耳を澄ましてみたが、俺以外の人間は眠りについているようだ。

 妙な予感はただの杞憂だったかと考え、俺も眠ることにした。寝間着に着替え、ベッドに入ったまさにその時、扉がコツコツとノックされた。


 誰だ、こんな時間に? 


 俺は警戒し、眉をひそめながらドアへ向かった。


「マリーか? またリサの夜泣きが……」


 話しながらドアを開ける。すると、そこ立っていたのは別の女性だった。

 ――エラ・フックス。

 相変わらず、白灰色の髪を雑に垂らし、陰鬱な雰囲気で、ただその場に佇んでいる。髪の隙間から、わずかに除く表情には不安と緊張が見て取れる。


 ……エラは、戦士ではない。その手に凶器もない。だが俺は誰と対峙する時よりも警戒を強めた。


「こんな時間にどうした」


 声を低くして尋ねると、エラは視線を床に落とした。そのままボソボソと独り言みたいに言葉を紡ぐ。


「ごめんなさい、突然……あの……でもどうしても話がしたくて」

「何の話だ?」

「その、お礼を。私をこの屋敷においてくださり、ありがとうございました」


 長い髪が床につくほど頭を下げて、エラは言った。

 俺は彼女が何の話をしているのか本気で分からなかった。お礼を言われる筋合いはない、それ以前に、エラをこの屋敷に置くよう進言した記憶がない。そういうつもりも願望もない。しばらく記憶の糸を辿りつつ考えこんで、やっとそれらしい記憶に辿り着く。


「ああ、あの時……あれは、俺には反対する権利はないと言っただけだ。この屋敷はダリオ侯爵の物だからな。それで言うと、君をここに置いているのはダリオだろう」

「あ、いえ……でも、もしもキュロス様が本気になれば、私のことを力づくで森に放り出すこともできたでしょうし」

「それは、あの場にいた男性ほとんどが当てはまってしまう。というか、そうしなかったことが恩になるとはどういう理屈だ。当たり前のことだろう」


 俺はそのように説いたが、エラの胸には届かなかったようだ。

 というよりもともと、俺の話をまともに聞いていないだろう。

 俺はそんなに察し男ではない、が、何も知らない年齢ではない。彼女の「お礼」はただの言い訳、それを名目に、本題があっての訪問だと気付いていた。


「そんな用事なら、もういいから帰ってくれ」


 そう言ったが、エラは首を振り、食い下がった。


「いえ、まだ大事な話が。お仕事の話なんです。キュロス様にしかお聞かせできないことです」

「……聞こう。だが扉は開けたままにしておいてくれ」


 エラをソファに座るように促し、俺も座った。だが彼女は一歩も動かず、着座しようとしなかった。

 扉を背にして立ったまま、エラは何かを決意したような目で俺を見つめている。


「実は……私、ご主人様からキュロス様のお世話をするよう言われていて……」

「世話とは、どういうことだ」


 エラは答えない。言わなくても分かるでしょう、という気配を察し、俺は頭を抱えそうになった。


「そんなことをする必要はない。身の回りの世話は侍従がいるし、心の支えには友人がいる。なにより、俺は家族がいる。何に困ることがあって君の出番はないよ」

「でも、ダリオ様からそう言われているんです……」

「それはそっち側の都合だ。俺を悪者にしていいから、君の主人と相談しなさい」

「お――お願いです! 私、どうしてもキュロス様のおそばに居たいのです」


 エラの真剣な眼差しが俺を捕らえる。

 だが俺は、ただ黙って彼女を睨むだけにしておいた。


 ……エラが本当に、ダリオに何を命じられたかはもう明白だった。

 実は過去、こうして若い女が寝室に『派遣』されてきたことはたびたびあった。商談相手の雇った娼婦であったり、愛人まがいの侍従だったり、妻や娘だったこともある。

 もちろん、俺はそのすべてを追い返してきた。そんなことで懐柔し、商売につなげようとする相手との取引など儲からないのが目に見えていているからだ。

 女性達への怒りは無かった。そういったことに使われる性に、ただ憐憫を覚えるだけだった。

 このエラにもきっと、可哀想な事情があるのだろうと思っている。だがそれだけだ。

 俺には護るべき人たちが居る。彼女が近くにいると、俺の家族が不快になる、それだけでエラを拒絶するのには十分な理由だった。


「話の続きは昼間、侍女や執事が居る時に聞く。夜に俺の部屋を訪ねてくるのは、二度としないでほしい」


 エラの目に焦りが浮かぶ。


「でも…でも、私……私もう、他に頼れる人がいなくて……」

「頼りに?さっきは世話をすると言っただろうに。どのみちごめんだが」

「お願いします、助けてください。どうか……助けて……」


 体を小さく縮めて小刻みに震えているエラ。俺の中に、不快感と同情心が同じ大きさでくすぶっていた。不快感の中身は、彼女の背後にはダリオ・アフォンソがいるというただその一点のみだ。もしあの男の存在を知らなければ、俺はまんまと彼女に同情しただろう。恋愛感情が湧くかはさておいても、自分に出来ることをしてやろう、という気になっただろう。間違いなく、エラの涙にはそういう力がある。


 だが――だからこそ――きっぱりと拒絶する。


 俺は彼女に背を向けた。窓辺に寄り、夜の森を眺めながら言い捨てる。


「帰ってくれ。なんのことだか知らないが、頼るなら君の主、ダリオに言うべきだ」

「……ダリオ様には話せません。だって彼は――あの人は――」


 俺の背後でしばらくすすり泣くエラの声――と、衣擦れの音。俺はどうしても気になって、振り向いてしまった。

 そこに白い裸体があった。

 ぎょっとして絶句している間に、脱いだばかりのワンピースが、エラの足元にストンと落ちる。


「なっ――」


 止める間など無かった。意味のない声を出すのがやっとの俺に、彼女はすぐ背を向けた――いや背中を見せつけた。再び絶句する。

 彼女の背中に、夥しい傷があった。

 切り傷……いや、しなりのある鞭で強く叩いた裂傷だ。かなり古い物から、つい最近に付けられたであろうまだ赤く腫れているものまで、肩のすぐ下から腰まで、重なり合うように刻まれている。


「これは! ……まさか、ダリオにされたのか!?」


 思わず、尋ねてしまう。エラはコクンと小さく頷いた。


「任務に失敗すると、こうして折檻をいただくんです」


 俺は激高した。

 俺自身、暴力に絶対反対というほど平和主義な男ではない。軍国ディルツの男子は誰もが剣を握ったことがあるし、学園でも貿易船でも、男所帯になれば諍い事で血風が飛ぶことなど珍しくなかった。

 それでも、エラの傷には血の気が引き、同時に頭のてっぺんまで血が上った。

 ……なんと酷い。女の体にこんなことを……消えない傷がつくほど打つなんて、許されることじゃない。

 どうしよう? そうだ、今すぐ侯爵を顔の形が変わるまで殴ってやろう。俺は一瞬でそう結論付け、部屋を飛び出そうとした。頭の中に、エラの裸体は跡形も無く吹っ飛んでいた。とにかく侯爵を殴ろう、それだけで駆け出したのを、エラに止められた。裸体を晒したまま、俺の腕に絡みついてくる。


「やめてっ、ダリオ様は悪くないの!」

「しかしっ――」

「本当に、あの方は何も悪くないのです。むしろ私が役立たずなばかりに、あの方にはご迷惑ばかりをかけていて……この傷を付けるお手間をかけさせてしまって……」


 俺は硬直した。


 ――傷を付ける手間をかけた?

 ……何を言っているんだ。


「だから、助けてください。私と、ダリオ様を。私のような役立たずに懐かれてしまったあの人を、どうか助けてあげて欲しいのです」


 …………何を言っているんだ?


「お願いします、私を使ってください。それで、あの人は救われる……私も……」


 ……何を……。今、何がどうなっている?

 俺はひたすらに混乱した。本当に、何が起こっているのか理解できなかった。

 きっとそれは、いくら考えても分からないことだ。


 俺はこの年齢になっても、ミオに時々揶揄される。


 ――坊ちゃんは育ちがよろしくて、本気でひねくれた人間の心理と言うものを知らないのですね、それが良いところでもありますが――と。


 ミオの言う通り、俺には理解できない。


 愛する男に命じられて、愛していない、何なら自分を明らかに嫌っている男の部屋を訪ねる女。それを命じた男を愛し続ける女。折檻していただく、彼の手を疲れさせるのが申し訳ないって――その男を救ってくれと?

 ダメだ、俺の理解の範疇に無い生き物だった。


「もうやめてくれ」


 俺は頭を抱えて嘆息した。


「……気分が悪い。悪いがもう、君と同じ空間にはいたくない」

「キュロス様……」

「名を呼ぶな、気持ち悪い」


 俺は本当に吐き気を覚えて、呟いた。チュニカの激マズ料理を食べた時など比べ物にならない、猛烈な嘔気に襲われた。悪臭漂う汚物の塊を喉に詰めこまれたみたいだった。飲み込めず、呼吸も出来ない。

 黙ったまま口を押えている俺の様子に、さすがに本気で拒絶されていると察したらしい。エラはとても悲しそうな顔をした。


「やっぱり、私は要らない子なんですね。ダメな子……なんにもできない、何の役にも立てない。私なんて死ねばいいんだ」


 俺に喋る余裕があれば、「君がダメなわけじゃない」などと優しい言葉を掛けてあげただろう。だがそれもできない。俺はエラを部屋に残し、自分が廊下に出た。エラを追い出すよりも俺が出て行った方が手間が掛からない。


 扉越しに、部屋の中でエラがワアワア泣く声がする。それを無視して、這うように廊下を進んだ。

 ルイフォンの部屋に邪魔しようかと思ったが、やはりマリーの部屋に行くことにする。娘と三人、並んで眠れるほど広いベッドではないだろうが、最悪俺が床で寝ればいいだけだ。

 灯りの無い廊下は真っ暗だったが、それ以上に、俺の心のほうが暗い闇に沈んでいた。


 それはエラへの罪悪感――自分が泣かせてしまったという後悔のような、軽いものではなかった。

 腹の中に納めきれない、猛烈な怖気(おぞけ)に、俺はその場で嘔吐した。


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― 新着の感想 ―
[良い点] キュロスの感覚が普通ですよね。正直気持ち悪くてお付き合いしたくありません。
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