チュニカ、すっとばす。
そんな風に、わたし達は侯爵と一緒に楽しく――もとい一触即発と言う状態で共に過ごしていた。
楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。わたし達は談話室に集まって、リサを囲んで寛いでいた。わたしは柔らかな絨毯に座り、リサと布ボール遊びをしていた。途中まで機嫌よく遊んでいたリサが、なんとなくグズり始めた。夕方ごろになると起きる、赤ちゃんによくある現象だった。
向かいに胡坐をかいていたキュロス様も同じことを思ったらしい。窓の外に視線をやって、「もうすぐ夜か」と呟いた。わたしも同じように、空の色を確かめる。
たしかに、いつの間にか窓の向こうはずいぶん暗くなっている。こうなると、リスや小鳥がさえずる昼間の景色とは一変、暗い森は不気味な印象になっていた。
グズるリサを胸に抱きかかえながら、わたしは呟いた。
「トマス、遅いわね……」
そう。ミュージアム用の古城に偵察に出かけたトマスが、まだ帰ってこない。彼が出て行ったのは午前中で、古城はここからすぐ近くだと言われていたのに、もう夕食時だ。
彼はグラナド城の入り口を守る門番で、それなりに鍛えられている。しかも森歩きに強いということだから、任せたけど……時々抜けているところがあって、ちょっと頼りないトマス。お昼にお弁当を持たせておいたとは言え、そろそろ空腹だろうし。少し心配になって来た。
わたしはキュロス様に近づいて、そっと耳打ちした。
「初めての土地を、一人で歩かせたのは良くなかったかしら」
「……ダリオ曰く、迷うような道でも距離でもないとのことだったが……」
「侯爵様にもう一度道を聞いて、みんなで探しに行きましょう?」
「いや待て、それが罠かもしれないからトマスに偵察に行ってもらったんだ。……もう少し待とう」
そんな話をしていた時、突然大きな声が談話室に響き渡った。
「ああーもうっ、夕食はまだですかねえー? ワタクシはもう腹がペコペコですよ!」
隅っこのカウチで読書をしていた侯爵が、本を投げ捨て、癇癪を起したみたいに喚いたのだ。いやこれは不機嫌が極まったというよりも、わたし達――キュロスに対するあてこすりね。「申し訳ない」という気持ちにさせようという魂胆だわ。
わたしはにっこり笑ってお返しした。
「今、うちの侍従が作ってくれています。急かさないでやってください。これだけの大人数を、台所の勝手も知らないものが用意してくれているのですから」
「あーあー、それもこれも、誰かさん達がコックやメイドを連れて行ってしまうからー!」
うっ、それを言われると……。
わたしが委縮するとすかさずキュロス様が侯爵を睨みつけ、黙らせたけれど、こればかりは侯爵のお怒りはごもっとも、真実だった。
ついさっき聞いた話なんだけど、あの場にいた五人の女性達はそれぞれ料理や洗濯など家政婦としての仕事も仕込まれていて、それらを兼ねて雇われていたんだって。
というより、家事が出来る娼婦を募って連れてきたのだろう。もちろん、「彼女たちは何のためにいるんだ」と突っ込まれた時の言い訳ができるように。
それでも事実、女性達をみんな馬車で町まで連れて行ってしまった今、家事が出来るひとは限られている。最初、わたしは自ら家事全般担当を申し出た。料理も洗濯も、シャデラン家では何年もやってきたことだし、それなりに得意のつもりだ。
だけどそれをチュニカが止めた。「マリー様にやらせたら、あとからミオ様に何言われるか分かりませんもの」と言って、家事全般担当を買って出てくれたのだ。
ずっと両手に赤ん坊を抱えている今、正直この申し出はありがたかった。
チュニカは料理人ではないんだから、本職のコックより手際が悪くても仕方ないじゃない……。
そう言い返したいけど、また同じように皮肉で返されるだけだろうなあ。うう。
「はあー本当に、これで不味い物でも出てきたら耐えられませんよ、ワタクシはグルメな男なんでね」
侯爵が腹をさすった、まさに、その時だった。
「ご飯ができましたよー!」
チュニカの声が屋敷中に響く。わたし達は一斉に、「はーい」と声を上げて立ち上がった。
侯爵家別荘の食堂は、屋敷の中心部にあった。
それほど広くはないけれど、十人が座れる大きなテーブルがある。綺麗な飴色の天板には、湯気を立てた料理が所狭しと並んでいた。たくさんの副菜と、真ん中には巨大な鍋が一つ。みんなで鍋を覗き込んで、歓声を上げた。
「おおうまそう! 牛肉の巻き煮込みか!」
「嬉しいな、大好物だよ!」
特に男性陣が大喜び。わたしも、声はあげなかったけれど笑顔になる。
牛肉の巻き煮込み(リンダ―ルラーデン)とは、我が国ディルツの伝統的な家庭料理であり、なおかつちょっと贅沢な一品だった。貧しいシャデラン家では、お祭りの時くらいしか食べられなかった。
なにせ、お肉の美味しいところをたっぷり使う。薄切りにした牛肉に、ベーコン、玉ねぎ、マスタード、ピクルスなどをくるくると巻き込んで、マスタードを塗り、じっくり煮込む。さらに大きく斬った玉ねぎや野菜を追加してコトコト。付け合わせは茹でた芋を添えれば完成――というものである。
巨大な鍋から立ち上る湯気に、わたし達みんな顔を蕩けさせた。生まれ育ったディルツの味、国民ならみんなが大好きな一品だ。
ディルツ王国第三王子、ルイフォン様もニコニコしながら席に着く。
「懐かしい、レザモンド学園の学食でよく食べたな。こういうのって宮廷料理には出てこないから、嬉しいよ」
「同じく、グラナド城でもあまり出されない。トッポの料理は最高だが、たまにはこういうのも食べたくなる」
キュロス様も嬉しそう。ウォルフガングは何も言わなかったけど、お肉をじっと見つめていた。そんな一同の様子に、料理人チュニカもニコニコする。
一方、スフェイン人のダリオ侯爵はしかめっ面だった。
「何だ、この大味な料理は。それも鍋ごと出してくるとは品の無い……副菜も粗末なものばかり。氷室には海鮮もあっただろうに……」
ぶつくさ言っていたけれど、隣にルイフォン様が座り、「嫌なら食べなくていいよー」と言うと黙り込んだ。チュニカもウンウン頷く。
「そうですよぉ。ここにいる男連中、誰もまともに料理できないっていうんですものぉ、私がいなきゃ、赤ちゃん抱えたマリー様が全員分やるはめになっていたんですよぉ」
「それは、俺が面目ない」
「ふふふ、まあ、貴族の男性に期待しちゃあいません。こっちも、美味しいって食べてくれたら大満足ですものぉ」
素敵な笑顔で嬉しいことを言ってくれるチュニカ。わたしは彼女に心から感謝した。
だが、ダリオ侯爵はますます不機嫌になっていた。頬杖を突き、明後日のほうを向いてまだぶつぶつ文句を言っていた。
わたしは彼を無視して、自分のお皿を見つめた。
うん……チュニカのお料理、本当に美味しそうだわ。ディルツの料理はおしなべて色味が地味なんだけど、副菜は野菜をふんだんに使った物ばかりで、彩り鮮やか。それに何より、『加減』がちょうどピッタリ、気持ちいいくらいに揃っていた。程よい焼き加減やバランスのいい盛り付けだ。
牛肉の巻煮込みも全員分、小皿に取り分けてくれたけど、その量がピッタリ同じだった。ソースの広がり具合まで一緒なの。
いつもふわふわっとおおらかそうなチュニカから想像もつかないほど、出来上がった料理はきっちり完璧、几帳面なものだった。
わたし達の感想を感じ取ったのか、チュニカは自慢げに頷いた。
「私、今でこそお風呂を司る侍女などやっておりますけどぉ、もともとは医療美容、薬学に通じておりましたのぉ。美容のための石鹸も入浴剤も、理論は科学と調薬です。料理も同じ、すべての調味料をきっちり計って、わずかな誤差も無いようにつくってまぁす」
なるほど。わたしは素直に感心した。
わたしも、お料理は結構できる方のつもりでいたけれど、誰もしないからやっていたというだけで、きちんと学んだことは無い。それに貧しかったから、その場にある食材と調味料だけでなんとか家族全員分、伸ばして削ってなんとか行き渡るようにするので精一杯。レシピとか分量とか、ちゃんと見ながら作ったことがないかもしれない。
それでも不味いと言われたことは無いから、まあいいかと思っていたんだけど……チュニカみたいにこうやって、きちんと量るのも大事なのね。
今度、チュニカにお料理教えてもらおうっと。
心から反省しながら、わたしはスプーンを肉に差し込んだ。
「それじゃあ、いただきまーすっ」
みんな一斉に一口――パクリと食べて。
全員が、口を塞いで悶絶した。
「――って、不味いんかいっ!」
ダリオ侯爵が一人、大きな声で叫んだ。




