カチコミです!
「――なんでそんなに大人数なんだあああっ!?」
初夏の森に、ダリオ・アフォンソ侯爵の悲鳴がこだまする。
わたしは呟いた。
「良いところですねー」
「ほんとですわぁ」
「ええまったく」
「寒冷なディルツでこんなに緑が茂る森は珍しいですねー、僕の故郷を思い出しますよ」
侍従達が賑やかな相槌を打ってくれる。
うんうん、本当に良いところだった。
彼の別荘は、ディルツ国領において南東の果てにあった。
瀟洒なお屋敷である。おそらくは二階建てで、スフェイン人であるダリオ様の指示なのか、あるいはこの地がかつてスフェイン領だったからなのか、白壁に鮮やかな青い屋根のスフェイン様式。寒冷なディルツでは珍しい、柔らかな新緑の森の中、木漏れ日のなかにポツンと建てられている。
あたりに他の建築物は何もない、けれど、寂しさは感じない。葉擦れのざわめき、鳥のさえずりで、わたしの耳は常に楽しい。
すぐそばには小川がサラサラ流れており、清らかな水の匂いがする。
わたしは深呼吸をした。木陰のせいか、初夏にしては少し空気が冷たい。だけどそれがまた心地いい。
「ほんと素敵。ダリオ様、お招きいただきありがとうございます」
「ありがとうございま―す!」
「――招いてないっ! 私はおまえらなど呼んでないぞぉおおっ!」
皮膚がビリビリ振動するほどの大声で、別荘の持ち主が絶叫した。
わたしは気にせず、リサを抱っこしたままあたりを見回す。
「あっリスだわ! 可愛い」
「まあ本当ぉ。グラナド城の園庭に居るのとは、ちょっと種類が違うみたいですねぇ」
わたしの隣でチュニカが言う。その後ろからトマスがヒョコっと顔を出し、
「あーそいつ、大航海時代に西の大陸から連れて帰ってきちゃったやつですよ。食害がヤバくてスフェインでは害獣です」
この言葉を引き継いだのは、馬を休ませていたウォルフガング。
「ディルツ王都にも結構います。在来種が脅かされているので、見つけ次第駆除するよう、国が推進しております」
わたしは彼らに応えた。
「へえ、そうなんだ。それじゃあ罠をかけましょうか。今夜の食材にちょうどいいし」
「マリー様さっきこのリス可愛いっておっしゃってませんでした?」
「えっ、だってリスって美味しいのよ。本当は秋が食べごろなんだけど。さっきの子は良く太っていたから、きっと食べ応えは十分かと」
そんなわたし達の前で、ダリオ侯爵は地団太を踏んだ。
「――誰だおまえらああああ!!」
「うるさいなあ。せっかくの森林浴が台無しじゃないか」
暴れだした侯爵の襟首を、後ろからひょいとつまんで引いたのは、キュロス様――ではない。
ディルツ王国第三王位継承者、ルイフォン・サンダルキア・ディルツである。
ルイフォン様に摘ままれると、ダリオ侯爵は「ひいっ」と縮み上がった。キュロス様相手だと不遜な態度を見せていた侯爵も、王族には脅威を感じるらしい。みるみるうちに意気消沈、小さくなって黙り込む。
その様子に、ルイフォン様はおかしそうに鼻を鳴らした。
「僕がここに居てなにかおかしいかな? グラナド家はもともと王家の傍系、アルフレッド公爵やキュロス君は、僕と親戚関係にある『身内』だよ」
「二百年前の傍系だから、もう名前を付けられないくらい遠いけどな」
ルイフォン様の横で、キュロス様が笑って言った。ルイフォン様も楽しげに目を細める。
キュロス・グラナドは背が高い。ただ長身であるだけでなく、服越しに見て取れるほど分厚い肩と胸の筋肉は、エメラルドグリーンの瞳や褐色の肌とも相まって、戦士の迫力を纏っている。
ルイフォン様は、キュロス様よりはわずかに小柄。それでもかなりの長身で、一見細身ながらも、その凛とした所作から鍛え上げられているのが見て取れる。白い肌よりなお輝く、白銀色の髪にアイスブルーの鋭い目。触れれば切れる、氷の刃のよう。
対極のようなカラーリングの二人だけど、こうして並んで、同じような笑顔を浮かべていると、鏡映しのようによく映えた。
――さかのぼること数日前。
キュロス様は、やけに神妙な表情で、一枚の招待状をわたしに見せてきた。差出人はダリオ・アフォンソ。その文面は明らかに妖しかった。
ここでいう『キュロス様の身内のみ』とは、わたしと娘のリサ、またはリュー・リュー様を含めたごく少人数のことだろう。
間違いなく何かの罠、キュロス様ひとりで行かせるわけにはいかない――だけどわたし達が行ったところで彼を守れる? かえって足手まといになりかねない。キュロス様はきっと、わたし達の同行を許さない。自身の危険を推してでも一人で出かけてしまうだろう。
いったいどうすれば……?
困惑するわたしに、キュロス様はこう言った。
「マリー、俺は物心つくかどうかの頃に生家の公爵邸を離れ、以後二十年ほど、このグラナド城で育ってきた。この城の従者は皆、俺にとって実の親兄弟も同然なんだ」
「……? ええ、そうですね。存じております」
「そして君にとっても、ミオやチュニカは同じように、大事な家族、身内も同然だよな」
「その通りです」
「…………ということで。この手紙にある『ご身内』に、みんな入れて連れて行こうと思うのだがどうだろう」
「えっそれってありなんですか!?」
ギョッとしてわたしが言うと、キュロス様とミオが同時にウンウン頷いた。
「ダメって言われてないからいいかなと」
「い、いいのかなああ」
わたしは頭を抱えた。
もちろん侯爵の言いなりになるわけにはいかないけれど……いいのかな、変に逆なでしちゃったりしないかしら?
「いいんですよ、もともと不条理な指定なんだし」
きっぱり言い切るミオ。うーん。
わたしは悩みながら、改めて手紙の文面を見せてもらった。
同封されていた招待状とやらには、日時と待ち合わせ場所の指定があった。場所はディルツ王国最南西部、サンダルキア地方の森林緑地。侯爵の別荘がそこに建てられているという。
「……ん? サンダルキア?」
どこかで聞いたことがある、と思ってミオを見ると、彼女は簡単にああと頷いた。
「その名の通り、ルイフォン様の所縁の地ですよ。王族に限らず、貴族の多くは特定の土地や民族と友好関係を結んだ際、その名をミドルネームとしていただくんです。意図としては政略結婚と同じですね」
「まあ。ルイフォン様のお名前にそんな由来があったのね」
「まあそんなわけで、あいつも関係者ってことにした。先ほど早馬で、参加してくれると返事があったよ」
「えっ、ルイフォン様も来られるんですか!?」
思わず大きな声を上げてしまうわたし。キュロス様とミオは、また同時にウンウン頷いて、それからニヤーッと笑った。
わたしが二人と知り合って、二年以上。今までで一番、邪悪で、いたずらっ子みたいな笑顔だった。
――といういきさつで、この場に立ったルイフォン様。
彼はいつも飄々として、朗らかな笑顔を浮かべている方だけど、それにも増してニッコニコ。とにかく楽しくて仕方がないという顔だった。
「いやあ、この地にはいつか来てみたかったんだよね! なにせ生まれてすぐミドルネームをもらっただけで、通り過ぎたことすらなかったんだもの。今回は良い機会だった。ご招待いただき本当にありがとうね、ダリオ侯爵っ」
なんだか恋占いで良い結果が出た少女みたいにはしゃいだ声で、ルイフォン様は侯爵の手を握りブンブンブンブン、縦横斜めに振り回す。侯爵はもう、魂が抜けたような顔をしていた。何も言わないまま口を半開きにし、視線が明後日のほうを向いている。
「もちろんただ遊びに来たわけじゃない、僕も協力するよ。グラナド公爵のミュージアムだって? 任せておいて。こう見えても第三王子、王族のルーツはすべて把握している。グラナド家は王家の傍系だからね。アルフレッド公爵の功績についても、多分キュロス君より詳しいよ」
調子よく話すルイフォン様の後ろで、キュロス様もウンウン頷いていた。
「さすが頼もしい。我が父のために、来てくれてどうもありがとう」
「気にするなよ親友、言っただろ、公爵家は僕にとっても遠縁、いやわずか二百年前には兄弟だったんだから、君は僕の親戚、身内そのものさ!」
「おおそういえばそうだったな。そして我が妻マリーの実姉、アナスタジアはルイフォンの愛妻。実際親戚関係と言って間違いない――いやまさに身内そのものだ」
二人で肩を組み、はっはっはと高笑い。
…………。な、なんだろう。先日観た舞台より、ずっと舞台演技っぽいというか……。
お二人とも、本気を出せばもっと上手に演技が出来る、嘘もお得意のはずだった。このわざとらしい棒読み、脚本があることがバレバレの演技は、多分、わざとだわ。ダリオ侯爵をおちょくるため、いや、「おまえの策略などお見通しだぞ」と牽制するために。
ダリオ侯爵は、しばらく呆然自失としていた。が、なんとか意識を取り戻したらしい。半開きになっていた口を、顎下から叩いて塞ぐと、にこっと紳士の笑顔になった。
「み、みなさま、どうも、ようこそお越しくださいました。すぐにその、お部屋と、お茶の支度をさせますので、ひとまずはこの屋敷の中へどうぞ……」
そう言って踵を返し、屋敷へと入っていく。キュロス様を先頭に、ぞろぞろついていくわたし達。侯爵は扉の前で振り返り、ドアノブを引きながらにこやかに、
「――ではまずは食堂でおくつろ、ぎぃいいいいやあああっ何かまた居るうううっ!?」
そこにいたミオの姿に飛び跳ねて、猛烈な勢いで後退した。ダリオ侯爵の踵が擦って舞い上げた土埃の中、ミオはいつも通りの無表情で、しっとりと優雅なお辞儀をした。
「お帰りなさいませ、ダリオ様」
「どうしてここに居るうううううう」
「先ほど、ダリオ様が旦那様達を迎えるため出てきた際、開いた扉にスルッと、横から入り込みました」
「どうしてとはどうやっての意味ではない、なぜと理由を聞いたんだっ!」
「旦那様達が入る前に、危険を排除するためですよ」
――と、言いながら、ミオは後ろ手に何かを引っ張りだした。どさどさっ、と地面に落ちたものを見て、わたしは思わず悲鳴を上げた。男性陣も「うわっ」と呟き、後ずさりする。
ミオが屋敷から追い出したのは、五人の女性達だった。年はそれぞれ、十五から三十過ぎくらい。肉付きや顔立ちの雰囲気はみんなバラバラ、だけど全員それぞれに美しく、そして下着に近い半裸という格好であった。
「いっ、いきなり何するのよう!」
「こんな乱暴に転がして、あたしの肌に傷でもついたら賠償もんだからねっ?」
キーキーと声を上げてミオに抗議する女性達。その言葉遣いは、貴族の娘のものではない。そしてこの美貌、伴侶でもない男性の前でも恥じらうことなくこの格好……。
ミオは彼女達を無視して、遠くまで逃げていたダリオ侯爵を睨みつけた。呆れたように、半眼で呟く。
「スフェインの娼婦ですか。見た目はともかく人間性の質がよくないあたり、あまりお金を掛けずに連れてきたみたいですね」
「お金なんてもらってないわよー! まだ」
一番年長らしい女性が叫んだ。
「あたしはただ、伯爵だか公爵だか、すごい金持ちの良い男と出会わせてやるって聞いただけ。上手いことやってコドモ出来たら玉の輿、大きなお城で一生遊んで暮らせるって――」
「あああああ馬鹿ぁあああ!」
ダリオ侯爵は猛ダッシュで戻ってきて、女性の口を手でふさぐ。
もちろん、何もかも手遅れだ。それを見た他の四人も騒ぎ出す。
「馬鹿って何よぉ。オジサンがここに連れて来たんじゃないのよぉ」
「何? 何? どういうこと? ここってどこ?」
「いっぱいいるじゃん、誰を誘えばいいわけ? 女も含むの?」
「私あの茶髪の子が好み、若くて可愛いっ。おじいちゃんもいいな、渋くてカッコイイっ」
…………。
とりあえず、わたしはリサの目と耳を塞いでおいた。
無垢な赤ん坊に見せてはいけないでしょう、この光景。
わたしに両目を隠されて、キャッキャと笑い声を上げる娘。いないいないばあをしてるんじゃないんだけどなあ。
そうしながらチラリと男性陣のほうを見てみると、みんなすごく嫌そうな顔をしていた。特にキュロス様とルイフォン様は、青ざめてすらいる。二人で俯いて、吐き気を抑えるようにしていた。
「……こういうの久しぶりだな……マリーとの穏やかな暮らしで忘れかけていた」
「僕は今すぐアナスタジアの顔が見たい」
……なんだか、深いところにあるトラウマを呼び起こしてしまったらしい。
つらそうな二人の背中を、ウォルフガングとトマスが擦ってあげていた。
一方、わたしを含め女性陣は妙に冷めた気分だった。
だって思っていたよりもずっと平和なんだもの。不健全ではあるけれど、とりあえず身の危険はなさそうで。
わたしの横で、ミオがぼそりと呟いた。
「屋敷の中を探索しましたが、『彼女』はどこにもいませんでした」
……。わたしは思わず息を呑んだ。
『彼女』の顔を思い浮かべただけで、身体が強張る。
……いや、大丈夫。
わたしは縮みかけた胸にいっぱいの空気を入れて、にっこり笑って見せた。
「そう。だったら安心ね。たとえ『彼女』と再会しても、もう負けるつもりはないけれど」
わたしが言うと、ミオも笑った。
「こんな大人数で来る必要なかったですね。ただの色仕掛けなら、旦那様がなびくわけありませんし」
「ええ、まったく。心配しすぎだったみたい。なんだかホッとしちゃったわ」
わたしが答えると、ミオは「フッ」と声を漏らして笑った。
「え、何? わたし何か変なこと言った?」
「いいえ別に。むしろ極めて健全で、夫婦仲が良好なようで何よりです」
なんだろう? わからないけど、ミオはとても嬉しそうだった。
それから彼女は一度、やれやれと言って肩をすくめ、女性達の方へ向かった。まだ地面でもみくちゃになっているのを無理やり立たせ、自分が乗ってきた馬車へと引きずっていく。
「さあ、あなた達のお仕事はこれでおしまいです。もう用は無いのでお引き取りください」
「な、なんなのよぉーっ」
「押さないでよ痛い痛い、なにこの馬車、どこへ連れてく気!?」
「あなた達の家や勤めるお店。もしくは最寄りの都市までお送りします」
そう言って馬車に蹴り入れると、問答無用で扉を閉めて、外鍵をかける。
そしてミオは屋敷に侵入し、大量の荷物を抱えてきた。彼女たちの私物だろう。それを荷台にポイポイっと放り込み、自身は御者台に乗り込む。
「では、私はこれで。遅くとも二、三日のうちには戻ります」
「よろしく頼む」
キュロス様が手を振った。ミオは頷くと、キュロス様のそばに並ぶ侍従達を一瞥する。
「まだなにか、罠が仕掛けられているかもしれません。ウォルフガング、トマス、チュニカ……くれぐれも、油断しないように。旦那様達をお願いいたします」
「お任せあれ」
ウォルフガングが紳士の一礼をしてみせる。ミオは頷くと、馬に鞭を入れた。
ガラガラと轍の音を鳴らして、森の道を進む馬車……わたしとキュロス様は、その背中に手を振った。それから、ダリオ侯爵を振り返る。
……絶世の美女を五人、言いくるめて連れてくるのはそれなりの労力がかかったのだろう。ダリオ侯爵は、地面に両膝をつき、燃え尽きたような表情をしていた。憐れみすら覚えるその様子に、わたしはちょっと毒気を抜かれてしまった。
「ダリオ様、屋敷に入りましょう。お召し物が汚れてしまいますよ」
そう言って、開きっぱなしの扉を自らくぐる。屋敷の中に危険――すなわち、キュロス様を籠絡せんとする美女は、もういないはずだ。
「おっ、思っていたよりも中は広いな。それにきちんと掃除も行き届いているじゃないか」
「調度品はスフェイン製のが多いね。それでもいい調和が取れている」
「なかなかいい趣味してますねえ。お風呂はどこかなあ」
「ダリオ様、厨房をお借りしてよろしいですか? 旦那様方に、旅の疲れを癒すハーブティーを淹れて差し上げたいのですが」
「…………はい。もう、好きにしてください……」
ダリオ・アフォンソは床に座り込んだまま、ただぼんやりと頷いた。




