【閑話】俺は一人では行きたくない
コツコツ、静かなノックの音とともに、ミオの声が届く。
「失礼します、旦那様。ルイフォン様達がお帰りになりました」
俺はすぐに返事をした。
「ああ、対応をありがとう。……すまない、嘘を吐かせてしまって」
ミオは無言で首を振った。
「嘘を吐くのは侍女の仕事の本懐です」
「……そうか?」
「主を心地よい気分にさせるためならばいくらでも、御伽噺を語ってさし上げますよ」
……なんかやっぱり言外で責められているような……。
俺が半眼になっていると、今度こそミオはキッパリと批判するような視線を向けてきた。
「しかし、どうしたことでしょう? 親友のルイフォン様を門前払いするだけならいざしらず、マリー様にまで嘘を聞かせるなんて。喧嘩でもなさったのなら普通に、今はおまえの顔を見たくないとでも言える仲でしょうに」
「そういうんじゃない、俺があいつやマリーに、この顔を見せたくなかったんだ。……愛想笑いすらできそうになかったからな」
そういって俺は、デスクに広げたままにしていた手紙に、再び視線を落とした。ミオもそばにより、見下ろす。そしてすぐ奪い取るように、自分の手元に引き上げた。
「……差出人……ダリオ・アフォンソ……!?」
青い目に鋭い殺気がこもる。
そう、それはダリオ侯爵からの招待状だった。
ミオは血管の浮き出た手で手紙を握りしめ、低い声で手紙を読み上げる。
「親愛なる義弟、キュロス公。先日はグラナド公爵の位を叙任されたとのこと、心よりお喜び申し上げます。――同時に、前公爵アルフレッド様のご逝去に置きまして、私ダリオは大変胸を痛めております。ご存命の間に、その功績をもっと世に広め、讃えておくべきだったと。自身が異国に在住しているからと、アルフレッド様との交流をおざなりにしていたことを大変後悔しております次第です。その懺悔といたしまして、このたび私が所有しております別荘を、グラナド公爵家のミュージアムにしようと計画しております。つきましては実子である貴殿の見解を参考にしたく存じます――」
「――ので、同封しております招待状の日時通りにお越しください……と。静かな土地で厳かに慰霊をしたいので、お身内のみで。警備の私兵など連れてこられませんように、だそうだ」
「なんですかこれ。妖しさコンテストの優勝候補じゃないですか」
「妙な言い回しで茶化すな」
とりあえず突っ込んではみたが、笑いにでも変えなければやってられないという気持ちはよくわかる。俺も、これを受け取ってからの数時間、眉間にタテジワを入れっぱなしで跡になっていないかと不安だった。
長々と、慇懃無礼な挨拶交じりでわかりにくいが、要約するとこういうことである――『俺の根城まで、妻子を連れて来い』と。
ミオはますます渋面になる。
「嘲笑でもしなければ破いてしまいますよ。今更、アルフレッド様を讃えたい、だなんてどの口が言うのかと。これが手紙で来たのが残念です。口頭だったら、顎を蹴り上げて舌を噛み切らせてやれたのに」
またずいぶんと物騒なことを言う。だがミオが毒づきたくなるのも仕方ない。俺の義理兄――長姉ソフィアの夫ダリオ・アフォンソは、真摯とは言い難い婿だった。アルフレッドの存命中、ソフィアの里帰りに付いて来たことなど数えるほどしかない。異国で領地を統治しているからと仕方ない、と言ってやりたいところだが、それにしても不義理すぎる。
それに、噂によるとグラナド家の名を借りて贅沢三昧、あちこちに別荘を建てているという。この手紙を読む限り、それは真実のようだ。
「徹頭徹尾、妖しさしかありませんね。大体、エラ・フックスを潜入させて何やら企んでいたのもつい最近のことだというのに」
「もちろん信用などできない。だが、断るのは難しいな」
俺が言うと、ミオは半眼になった。本気でイラついている時の表情である。俺は苦笑して、手紙をひらひら振った。
「もちろん俺も、遊びに来い、とかなら今すぐ暖炉に放り込むけどな。実際上手いことしてやられたよ。すでにグラナド公爵位を継いだ俺を、異国の侯爵が呼び出すならばこれしかない。故アルフレッド・グラナドの霊を慰め、その名誉を讃えるためと言われたなら動かざるを得ない」
「…………しかし、警備もつけず、マリー様やリサ様をあの男のもとに連れていくわけには……」
「ああ、それが分かっているからこそ『おひとりで』ではなくあえて身内でと書いたのだろう。妻子を連れだすわけがない」
――つまり、俺はたった一人で行かなくてはいけない、ということだ。
ミオが無言で、俺の目をじっと見る。まさか行かないよな? と言いたいのだろう。俺は彼女の視線には何も答えず、後ろ頭をワシャワシャ掻いた。
「さて、どうするかな。あんな優男におめおめと暗殺されてやるつもりはないが。ひとりで行くと言えばマリーは心配するだろうし、リサから離れたくもない」
「……それでいうと、グラナド城に置いていくのもリスクがあります。旦那様の不在を狙って、良からぬ輩を潜入させるつもりかも」
「そうだな。前回のエラのことを考えたら、俺の方が陽動で、マリーへの加害が本命という可能性すらあるか」
「戦力を分散させるのは危険ですが、やむをえません。旦那様の警備には、御者に化けたウォルフガングを。グラナド城はこの私が……」
――と。言いかけたところで、ミオはぴたりと言葉を止めた。
ほんの、ごくごく短い沈黙。それから、彼女はニヤリと笑った。
……なんだ? ものすごく嫌な予感がするのだが。
「――旦那様――いえ、坊ちゃんと私って、実の姉弟みたいなものですよね?」
いきなり、そんなことを言い出す。
…………ん?
「えっと、そう、だったか? 幼少は、それに近いもんだったとは思うが」
「何度かミオお姉ちゃんと呼ばれたことがあったと記憶しております。私も、もし弟がいたらこんな感じかなと思ったことがありました。累計で二秒ほど」
「それは実の姉弟のようにと評するには程遠い距離感だと思う」
「しかし事実、アルフレッド様には私もよくしていただきました。旦那様より先に生まれたぶん、私のほうがアルフレッド様と過ごした時間は長く、親しい身内同然といってもいいでしょう」
……なんとなく、言いたいことはわかってきた。
俺もにやりと笑った。
「それならウォルフガングもだ。俺が生まれるより前から公爵邸で働いていたのを引っ張ってきたからな。アルフレッドのチェス友達だったはず」
「おやそれで言うならば、ここグラナド城で働く従業員はみな、旦那様の家族では? アルフレッド様の息子の家族なら、アルフレッド様にとってのお身内では?」
「確かにその通り。トマスは門番としてグラナド城の看板みたいなものだし、チュニカはマリーのかけがえのない存在で……」
俺とミオは顔を突き合わせ、ふふふと邪悪な笑みを浮かべながら、二人合わせて二十本ある指を折り曲げていった。
――やがて、しばらく時が経ち――。
三台の馬車からぞろぞろと降りてきた『俺の家族』に、ダリオ・アフォンソは悲鳴を上げたのだった。




