旦那様はお疲れですか?
あの舞台を観覧した、翌週のこと。
「――と、いう感じで。本当に居た堪れない思いをしました……」
わたしがそう言うと、姉は大笑いした。ついでに娘のリサまでキャッキャと笑った。
隣にいる彼女の夫、ルイフォン様も同じ反応。てっきり共感してくれたのだと思ったが、どうやら二人とも、わたしの反応のほうを面白がっていたらしい。笑いながら、わたしを慰めるように肩を叩いて、
「気にしない気にしない。自分と同じ名前の、創作物語を見てる気持ちでいればいいの」
「で、でも……」
「僕もアナスタジアに同感。その脚本も読ませてもらったけど、事実と違う所や逆に赤裸々すぎて公にされたくない所に淡々とチェックを入れて、サクッと返して終了したよ」
「……心地悪くなかったのですか?」
「いやあ、もうそんな感覚も無いや。王族として生まれた瞬間から、僕のこと変に美化した逸話や所縁の品が、さんざん商品にされてるんだもの。今更」
「あたしもよ。シャデラン家に居た頃から肖像画が出回ってたらしいわ。結婚してからはなおさら。貧乏男爵の娘と王子様の恋愛結婚は、遠い異国で物語になってるらしいわ」
あっさりそう言うお姉様。そうか、アナスタジア主役の物語もあるんだ……観たい。
舞台はもう終わってしまったとしても、小説とかなら……。姉の口ぶりからして本人は持ってなさそう? ルイフォン様ならご存じかも。いや姉の前で聞いたら姉が口止めしそうだわ。
キュロス様経由ででも、どうにかして聞き出す機会はないかしら。わたしは思わずそわそわした。
そんなわたしに、アナスタジアは何か、真剣な目を向けてきた。向かい合うように座りなおし、じっとわたしの目を見つめて、呟く。
「あの脚本、あたしも読んだ。伯爵のこと、前よりもちょっと、ちゃんと理解できた」
「……ローラ夫人の一件ですか?」
「……そうね。過去もだけど、どうして伯爵がマリーを見初めたのかって、分かった気がする。そこんとこさ、実は未だに結構不安だったんだ、あたし。……あっ、伯爵を悪く言いたいわけじゃないのよ、むしろすごく真面目で、瑕疵ひとつない人だって思ってたからこそなんだけど」
言いながら、アナスタジアは何度も目を閉じ、言葉を詰まらせて、言い回しを選んでいるようだった。どう応えていいか迷っているわたしの、膝に置かれた手を取って、姉は穏やかに苦笑した。
「あの人にとって、家族はかけがえのないもので、マリーのことも大切にしてくれるだろうってのが、よくわかった。この間は嫌なこと言っちゃってごめんね」
この間、というのは、ふた月ほど前、アルフレッド様の訃報が届いた日のことだろう。アナスタジアはキュロス様を不審がるようなことを言ったのだ。
キュロス様は、『可哀想』なわたしに対しての庇護欲を愛情と混同してるんじゃないかって。わたしが強く明るくなったことで、その愛が冷めてはいないか、と。
わたしは首を振った。姉の発言はわたしを心配してのことだし、わたしが否定するとすぐに疑惑を撤回、謝罪もしてくれた。わだかまりなんて何もない。
微笑むわたしにホッとするアナスタジア、その横でなぜかルイフォン様が仏頂面になっていた。
「それでいうと僕は、アルフレッド公爵のほうに不信感だよ。リュー・リュー夫人を側室に迎える前に、ローラ夫人とはきっちり別れるなり、せめて話をつけておくべきだろうと」
「ミオから聞いた話だと、夫妻は完全な政略結婚で、普段のローラ夫人の態度から愛妾に嫉妬するようなことはないと想定していたらしいのですが……」
「嫉妬とかとはまた別だろう。ましてや生まれた子どもに爵位を継がせるとか。自分の居場所を完全に奪われる形になる。リュー・リュー夫人やキュロス君だって居た堪れないだろう。……亡くなった人のことをどうこういうのは良くないけど、キュロス君はもっと、父親に憤っても良かったはずだよ」
ああルイフォン様、珍しく語気が強いと思ったら、キュロス様のことを慮っていたのね。この方は大体いつも飄々として掴みどころのない笑顔だけれど、親友のキュロス様が絡むと分かりやすく一喜一憂する。
一連の出来事について、わたしも思う所が無いわけじゃないけど……一応、義父のフォローをしておく。
「時代的に、公爵ほどの地位のある方ならば愛妾を数人持つのは当たり前だったはずです。そんな世で迎えたのはリュー・リュー様おひとりだけならば、むしろ誠実なほうかと」
「当時だって批判はされていたよ、誰も表で言わないだけで。現代よりも王侯貴族の権威が強くて、不敬罪で処刑なんてのもあったからね」
「今は王子様も、騎士に説教される時代だもんね」
「部下とフラットな関係を築いている優しい上司、と評価してくれたまえよ」
あはは。この夫婦は相変わらずだ。
アナスタジアに茶化されても気を取り直して、ルイフォン様は肩をすくめた。
「それでもアルフレッド公爵が聖人扱いされてるのは、正妻との間には娘しかおらず、リュー・リュー夫人が男児を生んだからだな。世継ぎのため、家督と領民を守るためだったと受け入れられた」
「――だからこそ、リュー・リュー様は未だに愛妾でしかない、などと主張する輩がいるのです」
――と。唐突に、クールな声が飛んできた。振り向くと、栗色のおさげ髪の侍女が、いつの間にか背後に立っている。
「ミオ。……あれっ、キュロス様は?」
ミオは、ルイフォン様達の来訪をキュロス様に伝えるため、彼の部屋に向かったはずだった。しかし彼女の隣にキュロス様の姿はない。ミオはぺこりと頭を下げた。
「申し訳ありません。旦那様はちょうど仮眠を取っておられまして」
「あら、そうだったの」
「もちろんいつもの通り叩き起こしはしたのですが。しかし今日は相当お疲れがたまっておられたようで、どうにも。逆さ吊りにしてもダメだったので、いったん諦めて氷室から氷を持ってこようかと……」
「そ、それは仕方ないからもういいと思うわっ!」
わたしは慌ててミオを止めた。
逆さ吊りって何? キュロス・グラナドは背が高い。小柄なミオが彼を逆さ吊りって、いったいどうやって――まさか窓から吊るしたなんてことはないわよね!?
わたしは冷や冷やしたけれど、幼馴染のルイフォン様は全く別のところに反応をした。
「珍しいね。キュロス君、ちょっと寝汚いところはあるけど、有事にはちゃんと起きるのにな」
あっ、たしかに……。
そう言われると、わたしは急に不安になった。もしかしてキュロス様、体調を悪くされているのかしら……。
アルフレッド様の国葬が済み、平常通りの仕事に戻ったキュロス様。
わたし達の娘、リサことエリーザベトも成長し、リュー・リュー様の助けもあって、手がかからなくなってきた。たまの夜泣きはわたしだけでも対応可能で、キュロス様にはしっかり休んでもらっている。睡眠は十分取れていると思うんだけど……。
わたしはずいぶん心配そうな顔をしていたらしい、姉がドンっとわたしの背中をどやしつけた。
「いいわよ別に、寝かせておけば。あたし達はただ遊びに、それもどちらかというと、あたしがマリーに会いに来ただけだし」
アナスタジアはそう言って、跳ねるように立ち上がった。わたしの前でスカートを翻し、振り返ると、ニッコリ笑った。
「これからしばらく、忙しくなるの。当分グラナド城にも来れなさそうだから、マリーとリサの顔を見ておきたかったのよ」
「どこか、ご公務でお出かけですか?」
「いや、釦屋ノーマン――もとい『仕立屋アナスタジア』の仕事」
アナスタジアは肩をすくめながら、それでもどこか嬉しそうにそういった。
曰く、しばらく前の社交界で世界各国の貴婦人と交流した際、特殊な衣装のデザインを多数引き受けてしまったのだと。針仕事は下請けに出すとしても、最終的な調整はアナスタジアの手作業になる。今、その工程が一気にやってきたとのことで。
すごいわ。お姉様はもういっぱしの服飾職人になっているのね。わたしなんかが「頑張って」というのはおこがましくて、ただ「お疲れの出ませんように」と労わりの言葉を掛けた。
アナスタジアはケラケラ笑う。
「あたしは大丈夫。それより、良かったら相方の暇つぶしに付き合ってあげてよ」
「相方?」
「うちの旦那様。女房が居なくて、寂しさのあまりに死んじゃうだろうから」
「僕はウサギか?」
すかさず仏頂面で突っ込むルイフォン様。あはは、相変わらずの夫婦関係。
アナスタジアにも笑われて、ルイフォン様は肩をすくめた。
「まあ暇なのは確かに。国祭の類は、公爵の喪で休止してるし。なんとなく王都全体が静かで、騎士団の出番がないんだよね」
「でしたらまたの機会に、旦那様を訪ねてあげてくださいませ」
ミオがそんな、珍しいことを言った。
ルイフォン様も違和感を覚えたらしい、眉を顰めて、彼女を見上げる。
ミオの表情は大体いつも平坦だけど、本気なのか冗談なのかくらいは見て取れる。今の表情は、本気のやつだった。
「……やはり、父親が亡くなられたからでしょうか。旦那様は少々、気落ちしておられるようです。親友のルイフォン様がいつものように馬鹿面を見せてくだされば、きっと良い気分転換になることでしょう」
ミオ、馬鹿面って言った!? ディルツ王国第三王位継承者の訪問を馬鹿面見せるって言わなかった!? 怖いので確認しないけど!
しかし言われたルイフォン様は全く気にしていない様子、それどころか目を細めて、
「僕がお役に立てるなら、なんなりと」
と、はにかみながら言うルイフォン様。ご自分が顔を出すとキュロス様の励ましになるのが、本心から嬉しくて仕方ないのだろう。それでいいのかしら……まあいいか。
それからわたしと王子夫妻はしばらくそのまま雑談に興じた。姉の仕事と、リサの健やかな成長をお互いに祈りあい、別れる。その日リサはずっとご機嫌で、わたしは久しぶりに、姉と満足するまでお喋りが出来た。
特に何が、充実していたわけではないけど、良い日だと思っていた。
――その間、夫が頭を悩ませていたことなど知りもしないで。




