俺はただ、出来るだけのことをする
顔を洗い、歯を磨いて、寝間着に着替え、ベッドに転がる。
そこには細長い形の枕があった。ぎゅうと抱きしめ、俺は小さく呟いた。
「……はー……。マリー。可愛い」
「旦那様」
「うぁごっ!」
飛び起きた拍子に天蓋の柱に頭を打って、俺は悶絶した。
「ミオ、いたのか!?」
「いました」
「声をかけろよ!」
「今、かけました」
淡々とした口調に、いつも通りの無表情。本当にいつものことなので、俺はもう逆らわない。
明日の仕事着をキャビネットに置いて、ミオはしばらく無言だった。
なにか話があるらしい。待っていると、唐突に彼女はぽつりと言った。
「旦那様。今日、四日ぶりにマリー様を見られてどう思われましたか」
「好きだ」
「違います」
即答する俺に、即ツッコむミオ。
「……可愛い。いや、どちらかというと美人系かな」
「そうではなくて。……五日前……旦那様はお仕事に出られる前、私にこう言われましたね。『マリーには最高級のもてなしを。本来の彼女にふさわしい、貴族令嬢らしい扱いを』と……」
「ああ。マリーは自分に自信がなさ過ぎるからな」
俺は断言した。
シャデラン男爵家で、姉妹の扱いが違うのは明らかだった。美しい姉と、可愛くないと罵られている妹。
兄弟姉妹間での上下身分は、貴族でも庶民の家でも、よくあることだ。生まれた順や性別、誰の種や腹の子かで扱いが変わる。俺自身、公爵にとっては四人目の子、それも庶子なのに男児というだけで跡取りに指定されている。それについても思うところは多々あるが、むやみな争いを産まないための、先人なりの知恵だろう。
だが、マリーはそれとは違う。次女だから、妹だからではなく、見目が可愛くないからというのはただの虐めだ。
否定してやりたかった。
自分は綺麗だと理解させたかった。
理不尽に対する怒りが半分。もう半分は、俺個人の下心で。
ミオは大きく嘆息した。
「……マリー様が、自分に自信を持てば、旦那様の言葉が響くようになる――この作戦そのものは間違っていないと思います」
俺は頷く。その確信は揺らいでいない。だが……成果は上がっていなかった。
「……足りないのか。なら、王都中から財宝を集める。それと社交界に連れて行く、いやこの城でパーティーを開くか。国中の貴族を呼んで、マリーの美しさを褒め称えさせる。――それでマリーが笑うならば」
「それでは駄目なのです、きっと」
ミオは断言した。俺も同意だった。
なぜか、はどうしても分からなかった。煌びやかな贅沢品や美味しい料理を、マリーは本気で喜んでいた。その瞬間の笑顔に嘘はないように思う。それなのに、ふとしたときに瞳が翳る。なぜあんなにも、不安そうな顔をする……?
旦那様、旦那様、と、ミオは二度呼びかけた。深く、頭を下げてくる。
「私は、名字もない子供でありながら、公爵家で育てていただきました。物心つく前からのことなので、マリー様とは違うでしょうが、少しばかりは分かる気がしています」
「……そうか。では、どういうことか教えてくれ」
「ある日突然、魔法使いから頂いた物は、いつか解けて消えてしまう。信じられるのは長い年月、自分の手で作り上げたものだけです」
……意味が分からなかった。
彼女は実際に男爵令嬢だし、美しい。
俺は彼女自身に惹かれたし、この城のすべてはもう彼女のものだ。魔法って一体何の話だ?
ミオは苦笑した。
「旦那様は、それでいいのです。これからも、当たり前のことを当たり前に、真実だと思っていて下さいませ」
「……なにかの皮肉か、それは?」
「いいえ、褒めています。心の底から」
どうやら本当にそうらしい。
ミオのいうことはおそらく正しい。俺は女心全般がわからないからな。わからんものはわからん。
――じゃあ、どうする? わからないままでもいい、どうにかしなくてはいけない。
俺の下心は横に置いて、それよりまず彼女の緊張をほぐしたい。新たな住処となったこの城で、心地よくくつろいで欲しいのだ。
考え込む俺を、ミオは黙って見つめていた。表情はいつも通り、しかし明らかに、マリーに肩入れしている。
俺はマリーに恋をしたが、一緒にいた時間はまだごくわずかだ。数日間、そばにいたミオのほうがマリーに入れ込んでいるのかも知れない。
ハンナとイルザ……彼女らを雇ったのは、もちろんマリーのためだった。この城には俺が気に入った侍従しかいない。俺はどうにも貴族ぶった暮らしは肩が凝るので、使用人はよく言えば気さく、あえて悪く言えば身分をわきまえず馴れ馴れしい態度の人間ばかりだ。
今まで不遇だったらしい、マリーのことを「ちゃんとした令嬢扱い」してやりたくて、貴族令嬢なんてものを引っ張り込んだが……。
「ミオ。明日からまた、俺は仕事で城を留守にする。どうしても数日はかかると思う」
「はい。マリー様との婚約式および新婚生活に向けて連休を取れるよう、めちゃくちゃがんばっていらっしゃるところですものね」
「うんそう。だからその間、マリーのことをよく見てやって欲しい」
「畏まりました」
「その間、お前の主人はマリーだ。俺が事前に与えた指示よりも、マリーの希望を優先しろ」
「はい。――マリー様が明確にお言葉を口にしなかった場合には?」
「適宜お前の判断で、マリーが本当に快いように。城の使用人達にもそう伝えておいてくれ」
「……人事も、私が審査してもよろしいでしょうか」
「任せる」
「畏まりました。……ありがとうございます、旦那様」
ミオは俺に、お礼を言った。
まさしく、その言葉が欲しかったのだと言わんばかりに。