薬を呑むなら毒までも⑤
涙でびしょびしょになった娼婦と、娼館の亭主、剣を抜いた騎士、その間に立つ私。
四人が振り向いた先――店の入り口には、男女のペアが立っていた。男のほうは、褐色の肌に黒い髪、背の高い美少年。その横には小柄で三つ編みの女。それぞれ知った顔だ。
二人の顔を見て、騎士は目をぱちくりさせた。そんな表情をすると、騎士が少年と呼べる年だとわかる。悪戯っ子の面影を十分に引きずって、騎士は素っ頓狂な声を漏らした。
「……あれ。キュロス君に、ミオちゃんじゃないか。どうしてここに」
知り合いだろうか。
だが二人は騎士の問いに答えることはなかった。褐色肌の少年は、現場を一瞥すると、「ケガ人はいないな?」と呟く。なんとなく、その場の全員が頷くと、彼は後ろの女性に目配せをした。黒ずくめの小柄な女――先日、私が石鹸を売りつけた女だ。こちらの方が弁が立つらしく、早口で一気にまくしたてる。
「任務お疲れ様ですルイフォン様。しかしその娘、チュニカ・ペンドラゴンを、連行するのはお待ちください。こちらの方で身柄を預かります」
「えっ、何、どういうこと?」
「彼女は無罪だと言っているのですよ」
端的な物言いに、騎士は肩をすくめた。
「……。なにやら相当な事情があるんだろうけど……一応、こっちも仕事でね。いくらキュロス君の進言でも、アラそうでしたかで解放するわけにはいかない。彼女は尊属殺人未遂という重罪人だ」
「容疑者です」
「まあそうだけど、それなりに現場検証はしてきたよ。チュニカが実父に飲ませていた薬は、間違いなく毒物だった。少量ならば末端部を痺れさせるだけだが、短時間で大量に飲ませれば命に係わる――」
「長期的に少量ずつならば末端部を痺れさせるだけで、命に係わらない。そうだな?」
騎士の言葉を遮って、少年が言う。……その名はキュロス? 今、初めて聞いたけれど……なんだか聞き覚えがある名前のような。いやそれでいうとこの白っぽい騎士、ルイフォンって名前も……。
私がどうでもいいところを考え込んでいるうちに、両者の話は進んでいく。
「……猫は死んだよ」
「人間は死んでいない。猫を毒殺した罪を問うなら父親のほうだし」
「彼女に、父親を殺す気は無かったと?」
「その通りだ。本気で殺す気だったら、短時間で大量に飲ませている。さっきおまえ自身がそう言ったぞ、ルイフォン」
「…………。それじゃあ……ええと。命までは奪うつもりはなくて……」
騎士は天井を見上げ、しばらく思考に耽った。
「……父親の手足を、痺れさせただけ……?」
「そういうことでしょうね」
「なんのために?」
騎士はもう一度、大きく首を傾げた。
……それを見て、私はほんの少し、笑った。
――そう――それが私の罪。そして娼婦たちを制止し、素直に騎士に連行されようとした理由だ。
この国の科学は発展している。そして法の整備も、市民に優しく出来ている。きちんとした裁判にかかり、きちんとした科学的検証がされれば、私は処刑まではされないと分かっていた。
私は無言でいた。きっとその方が、騎士の心証も良いだろうから。
黙ったままでも、案の定、黒ずくめの女が話してくれる。
懐から取り出した、小さな紙包を騎士に差し出した。
「彼女の自宅、『くすりやペンドラゴン』の軒先から発見しました。あなたにも見覚えがありますね、チュニカ?」
私は頷いた。
「あなた自身が、毎日のように調合し、そして廃棄していたもの。父マイアスが、『お茶』としてあなたに作らせていたもの」
もう一度、頷く。
「こちらの成分は、警察局で調べ済みです。作り方は私も存じ上げませんが――間違いなく、阿片だと」
「阿片……だって!?」
今度は騎士様が大声を上げ、飛びついてきた。恐る恐る手のひらに乗せてからじっと見下ろす。
「こ、これが? 本当に? 初めて見た……」
私は思わず笑ってしまった。それはそうだろう。現在ディルツ王国では、その売人と使用者は、即極刑という厳しさで取り締まられている。一見するとただの粉末、だが手のひら一杯分もあれば、町ひとつ壊滅させることが出来るのだから。
私は嘆息した。愕然としている騎士の手から、ひょいと紙包を奪い取り、振りながら。
「阿片の原材料は、東洋が産地。父は東洋医学を学んだ薬師として、その調合方法にも、材料を仕入れるルートにも通じていました」
「そ……それじゃあ君は……いやマイアスは、麻薬の売人!?」
「いいえ、父はそれを麻薬と知りませんでした。阿片はもともと、医療用の麻酔薬。父が学んだ古い医学書では、ただ苦痛を取り除ける万能薬とだけ……」
私の言葉に、騎士はむしろ目つきを厳しくした。透き通った、アイスブルーの瞳が、憎悪すら込めて私を睨む。
「だけど、君は知っていた」
私は素直に頷いた。
そう――だから、隠した。
……父がいつから、コレを作っていたのかは分からない。母親がいなくなってしばらくしてから、この匂いを感じだした気がする。
父の手が震えだしたのは、酒のせいではなく、この薬の匂いのせいかもしれない。やがて体が言うことを効かなくなった、チュニカが代わりに作れと命じられた。
調合指示書を読んで、すぐに気が付いた。この薬は人を不幸にする、と。
「……私は父親を止めたかった。不味いだけのお茶を配って、小銭を稼ぐだけのヤブ医者であってほしかった」
実際に、そう願った。何度も何度も、父に懇願した。
それでも父は聞かなかった。これは人に感謝される万能薬だと言い張った。そしてコレで飯を食っているくせに文句を言うなとも言った。
その時私は立ち上がり、父に言った。
――なら、私が稼ぐ。お母さんと同じ仕事をすればいいんでしょう!?――と。
その瞬間、父の顔色が変わった。私は父に背を向け、家を飛び出そうとした。後ろから襟を掴まれた。引きずり倒された勢いで、衣服が乱れた。私の背中があらわになる。
剥き出しの肌を見おろす父、その手には硝子の瓶が握られていて――そこには絶対に触ってはいけないと言われていた、臭い液が入っていて――。
じゅう、という音がした。
「……裁判所より一足先に、ご覧になりますか?」
胸元のボタンをつまんで、私は言った。
「構いませんよ、ここで晒し物になったって。どうせ嫁に行けない、売り物にもならない体ですもの」
まだ十代だろう、若い騎士の顔が歪む。それで勝利を確信し、私は手を止めた。
キュロス少年が呟く。
「彼女は無罪だ。横暴な父親の、言いなりになるしかない状況だった。しかし彼女は屈しなかった。作った薬は即座に廃棄、無害な石鹸や入浴剤、美容品で生計を立てていた」
「そして、父親の体調が回復しないよう、微量な毒を飲ませ続けた」
黒ずくめの女が続ける。
「ルイフォン様は、彼女を賞賛しなくてはいけませんよ。古今東西、薬物によって町が『壊れた』歴史は数え切れません。彼女の采配が無ければ、この職人街、いやディルツの王都が崩壊していたかもしれない。……ですよね、チュニカ?」
「ええ、まあ……」
「謙遜をするな、あなたこそがディルツの救世主だよ」
う、うーん? な、なんだか大げさというか。こんな男前にそんなふうに言われると、照れるというか。
とりあえず私は何も答えずに、頬をぽりぽり掻いてみた。とたんに、娼婦と亭主がガバッと抱き着いて来る。彼女らも私が無罪だと思ったんだろう、わあわあ泣きながら縋りついてくる。ちょっとうるさいなあ、暑苦しいなあ。
なんとなくハッピーエンドの雰囲気が漂う中、若い騎士はまだシリアスだった。私の手から阿片を取り返すと、大事そうに懐に仕舞い、改めて私の手首を掴んだ。
「……一応、始終は承知した。だがこれで無罪放免とはいかない。君が阿片を作っていたこと、実父に毒を盛ったという事実は変わらないんだろう?」
「ええ、まあ、そうですねえ」
私の返事が軽すぎたせいか、騎士は一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐにまた引き締めた。
「一度は騎士団の砦に来てもらう。もちろん、父親も強制連行だ」
「了解ですぅ」
「…………何らか罰は、避けられないぞ」
「極刑が避けられたらオッケーですよぉ」
私は笑って即答した。
愛想笑いではない、真実心からそう思って言った。
だってずっと、覚悟していたことですもの。
騎士の言った通り罪は罪だし。それに、私が物心ついたころからもう、父は犯罪者だった。母の仕事だって、厳密には合法ではない。私はそんな家に生まれ、そうやって稼いだお金で生きてきたもの。まともな仕事についてまともに恋をして、まともな家庭を築いて行けるなんて露ほどにも思っちゃいない。
それでも、生きているだけで。それだけで、十分。
手を差し出す騎士。私は素直に微笑んで、騎士の手を取った。そして共に歩き出した私、その左右に、少年と女が並んだ。
二人は私を挟んで、独り言みたいに言い捨てる。
「彼女の無実を証明する資料はまだまだあるぞ。書類を渡すのはもちろんだが、俺自身の口頭弁論のため追従させていただく」
「えっ、いや裁判はまだ先だよ、これから砦で話を聞くだけ……」
「そう言ってあなた方、劣悪な牢獄に入れて尋問とは名ばかりの拷問にかけ精神を摩耗させ自供させようとするでしょう。させません」
「そんなことしないよっ。ていうかそれを禁止したのは僕自身なんだけど」
「おまえ騎士団長就任はまだ暫定で、実質見習い程度だろうが。騎士団にはまだまだライオネルに洗脳された鉄頭がウヨウヨしている。心配だから俺が着く」
「その心配、対象はチュニカちゃんだよね、僕じゃないよね?」
「うるさいですよルイフォン様、さあ、行きましょうか」
黒ずくめの女はそう言って、私の背中をポンと押した。私はもう何も言えなかった。
ただぼんやりしながら、騎士団の紋章が入った馬車へと乗り込む。走り出してからも中空を見つめていた。
「大丈夫か?」
若き伯爵が問うてくる。私はやはりぼんやりしながら、ぼんやりと、彼らに問いかけた。
「あのう……そういえば、いまさら、なんですけど……。お二人って、なんかこう、すっごく身分の高いおうちのひとたち、ですよねえ?」
「ああ……そういえば、申し遅れたな。俺の名はキュロス・グラナド。まだ学生だが、貿易商を営み、昨年に伯爵位を賜った。アルフレッド・グラナド公爵家の嫡男だ」
………………えっ。
私は今度こそ絶句した。
グラナド公爵家……って。……王家に次ぐ最上級の大貴族……?
続けて、隣の女はその家の侍従頭、ついでにさっきの騎士は親友で、第三王子だと聞かされた。もう、なにがなんだかわからない。雲の上の住人すぎて、実在が信じられないレベルの人達ですよ。そんな人たちが今隣に座ってるなんて! っていうか、本当に今更だけどこの人たち、なんであの場にいたの!? あのタイミングで、あれだけの証拠品も持って。もしかして私のこと、助けに来てくれたのでは!?
「な、なんで、あなた達はあんなことを……私なんかを助けても、何の得もないでしょうに……?」
私が問うと、彼らは一瞬、不思議そうな顔をした。あっさり答えたのは黒ずくめの女から。
「主の命令ですね。我が主……グラナド公爵夫人が、あなたの石鹸をとても気に入って、城に連れ帰るよう言われておりました。牢獄に収監されては困ります」
「そ、そんな理由で? 私の周辺を探って、大掛かりな調査まで……」
「それと、俺からのお礼だ」
キュロス・グラナド伯爵が続ける。今度は私がきょとんとする番だった。
……お礼……何の? 私、この少年に感謝されるようなこと、なにかしたっけ……?
ぽかんとしている私を見て、少年は不意に、クスッと笑った。
「余計なお世話だったかな?」
挑発的に問われる。私は、鼻で笑った。
「っていうか……馬鹿だなあって、思いました」
そう答えると、はははっと声を上げて大笑いする。
だって、そうじゃないの。何のお礼だか知らないけど、超上級の貴族様が、木っ端市民の容疑を晴らすために娼館まで出向いてさ。これだけの時間本業に従事していれば、どれだけお金を稼げたことだろう。非効率的もいいところ。損切り計算が下手すぎる。貿易商なんてひたすらに損得勘定、効率重視、頭のいい人しかなれない仕事だと思っていたわ。
端正な顔に悪戯っぽい笑みを浮かべて、私の顔を見つめて、にやにやしている。そうしたまま、今までと何も変わらない、当たり前の口調でこう言った。
「馬鹿さ加減なら、あなたに負ける。あなたは誰よりも、我が身を犠牲にして、たくさんの人を助けてきた。父親が薬物売人にならずに済んだのも、この街の治安が保たれたのも、あなたの采配のおかげだった」
「へっ? ……そ……そうでしょうかねぇ。はは……」
「そうだとも。俺は、あなたに感謝している。そして尊敬している。……今日までよく頑張ってくれた。見事だった」
まっすぐに目を見て言ってくる。
……そうかな。そうなのかなあ。
なんか、変な感じだ。だって私、そういう人がずっと嫌いだったもの。誰かを助けたいなんて、思ったことない。自分さえ良ければいいと思ってたよ。
他人のために尽くすなんて、馬鹿のやることだ。
私は馬鹿のふりをしていただけだった。言いなりになったふりで薬を作ってたのは、殴られたくないからで、それを隠していたのは自分の罪が見つからないようにで……。
石鹸を売ってたのはお金のため。……父に毒を盛ったのは……父を止めたかったのは……そんな父親でも、一緒に暮らし続けたのは…………。
私は……私は。
「はは……馬鹿馬鹿しい。……ばっかじゃないの……」
うつむいた顔から、雫が落ちる。濡れた手をぎゅうっと握りこんで、私は馬車に揺られていた。




