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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
新章準備期間の短編集

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薬を呑むなら毒までも④

 

 本当にいつも通りの朝だった。

 朝起きて、父と朝食を摂り、指示通りに薬を作る。それを家から出てすぐに廃棄する。隠しておいた石鹸や入浴剤を籠に入れ、香街を売り歩く。いつもの私の日常だった。

 一番のお得意さん、『花吹雪』を訪ねたのは昼日中。いつものように裏口から入り、「ごめんくださーい」と声を上げた――その時だった。


「チュニカちゃん駄目ッ、逃げてーっ!」


 女将の悲鳴じみた声。

 反射的に、私は逃げるどころか身をすくませてしまった。強張った手首を後ろから掴まれ、捻り上げられる。私は悲鳴を上げながら、視線だけなんとか背後にやって、暴漢の顔を確認する。そしてもう一度悲鳴を上げた。


「――ディルツ騎士団!?」

「チュニカ・ペンドラゴンだね?」


 鉄兜(フルフェイスメット)の騎士が、意外と優しい口調で囁いた。無言でうなずくと、騎士はほんの少しだけ、拘束の手を緩めてくれた。素直に認めたのが良かったらしい。それでもがっちり私の手首は握ったままで、騎士は淡々と申し伝える。


「君に逮捕状が出ている。騎士団の砦まで同行してもらうぞ」


 ……。私はゆっくりと息を吸い、吐き出した。

 まあ、いつかはこうなることって分かっていたかな……。


「ま、待って、待ちなよ騎士さん!」


 大きな声を上げたのは私ではなく娼婦だった。私の前に立ちふさがって、騎士に食ってかかる。騎士の顔が歪んだのを見て、私は慌てた。


「姐さん、私のことはいいから」

「チュニカちゃんは黙ってな! どういうことだい騎士様、チュニカちゃんが何をしたって?」

「騎士さん、逮捕状ってのは、この子の父親の間違いじゃないですか」


 続けて、娼館の主が前に出てきた。


「あの親父のことは、俺ァ昔から知ってますがね……チュニカちゃんの前で言うのはなんだが、ありゃぁロクデナシだよ。医者気取りで、妙な粉やらお茶っ葉やらを薬だと(のたま)って……それでも支えてた嫁さんを、感謝どころかぶん殴って追い出しやがった」


 亭主の横で、娼婦も顔を歪ませていた。彼らは父を蛇蝎のごとく嫌っている。娼婦のほうは元同僚と私への同情で、旦那は商品(しょうふ)を台無しにされ大損した恨みがあった。


「そうそう、連行するならあの親父の方だよ。どうせまた変なもんを薬だと触れ回ってたんだろう? さっさとしょっぴいて、拷問でも処刑でも好きにしな!」


 いやあ、騎士さんも好きで犯罪取り締まりをしてるわけじゃないと思うけど。

 姐さんの威勢のいい二人に、私は思わず笑ってしまった。

 笑いながら……諦めていた。


 父が新医師法に反し、薬モドキを売り歩いていたのは数年前までのことだ。今になって騎士が連行することはない。

 それに、そういった事案ならば動くのは警察機関のはずだった。王国騎士――それも鎧で武装した騎士がやってくるのは、一般の警察官では制御しきれない可能性がある凶悪犯相手のみ。つまりこの騎士は私のことを、凶器を持つ攻撃的な人物と疑って、武力で制圧しにきたのだ。


 ――ということは、つまり、もう終わりってことなんだ。


 詰め寄る娼婦たちに、騎士はゆっくりと首を振った。柔らかな声で、簡潔に言う。


「いや、容疑がかかっているのは間違いなくこの娘、チュニカだ。容疑は、殺人未遂」

「……えっ」

「殺人……?」


 『花吹雪』が重苦しい沈黙に覆われる。私だけが笑っていた。

 騎士は腰元から書状を取り出し、丁寧に読み上げて説明し始める。


「――容疑、尊属殺人未遂。被害者および通報者は実父、マイアス・ペンドラゴン。チュニカは病床にある実父マイアスに対し、長期にわたって毒物を盛り、殺害しようとしていた。今朝未明、マイアスは娘の素行を疑って、娘が仕事に出た直後から、その私物を漁っていた。そこで衣類の下に隠された薬品を見つけた。それはマイアスが近年、手の震えを治療するための薬としてチュニカに飲まされていたもので、こんなところに隠しているのをいぶかったマイアスは、猫に飲ませてみた。すると猫はたちまち倒れ、動かなくなった、と」


「猫に……飲ませて検証したんですか、あの男……」


 わたしは舌打ちした。

 馬鹿め。猫と人間とじゃあ体重も体質も何もかも違う。お互いに、毒になるものとそうでないものがあるのだ。そんなもので検証した気になるなんて……つくづく、父は愚かで、医師の風上にも置けない男である。

 私の憤りを、何か別のものと誤解したのだろうか。騎士は慰めるような顔になった。


「猫は可哀想だが、現在のディルツで動物殺しは罪にならない。でも、実父を毒殺殺害を試みたことは、極刑に値する重罪だ」


 わかっているよな、と念を押すような口調に、私は素直に頷いた。むしろニコニコしたまま言ってみる。


「承知しましたぁ。では、裁判所までデートですねぇ」

「そんなバカな! こんなバカな話ないよ!!」


 再び大騒ぎを始めた娼婦たちに、私は手を振った。


「大丈夫ですよ姐さん、近年、ディルツで死刑までいった事件は数えるほどしかないですから。きっとなんとかなりますよぉ」

「駄目よ、そんな……前科のついた女が生きる道が、どんだけあると思ってんだい」

「ええ、まあ、姐さん達よりも生きにくくなるだろうとは思いますけど……なんとかなりますよ。私は生きてるだけで……」

「駄目ぇ――っ!」


 娼婦は泣きながら、騎士に飛び掛かった。全身鎧の騎士に抱き着き、全体重をかけてぶらさがる。騎士は「おおっ!?」と慌てたが、市民女性を本気で振り払うわけにはいかないらしい。さらに亭主までが飛び掛かって、騎士を地面に引き倒した。


「ちょ、うわやめろなにをするっ」

「チュニカちゃんを連れて行かせないぞぉお!」


 叫ぶ娼婦と亭主、悲鳴を上げる騎士の三人が、娼館の店先で絡み合う光景。もうもみくちゃのぐちゃぐちゃだ。私はそれを、しばらくポカンと見送ってから、慌てて姐さんたちを止めた。


「だ、だめだよ姐さん! 騎士様に逆らったら、みんなも――!」


 だがそんな制止も振り払われる。二人は興奮しきっていて、私の声も耳に入らないようだった。


「離せえええっ!」

「離すかああああっ!」


 いけない、本当にヤバイ。罪人を庇うのは時として罪人以上の罰を受ける。それに騎士は下級とはいえ貴族、その職務執行を邪魔したら現場で切り捨てられても文句を言えない。

 今、この優しい娼婦と亭主が無事でいるのは、騎士が温情をかけてくれているからに過ぎない。それだって時間の問題だ、私のせいで、二人の身が――。


「やめて!!」


 私は叫んだ。誰も聞かない。


「やめてよ! どうしてそんな馬鹿なことをするの? どいつもこいつもっ――馬鹿ばっかり、もうやめて。やめて!」


 叫びながら耳を塞ぐ。「チュニカちゃんはわたし達が守る!」なんて、甘い言葉に鳥肌が立つ。

 二人の優しさは、嬉しくなんかなかった。嫌で嫌でたまらなかった。馬鹿な奴らだとしか思えなかった。


 本当に、どいつもこいつもみんな馬鹿だ。もっと賢く生きればいいのに。

 人生なんて適当に仕事して、適当に愛想良くしてればうまくいくんだ。昔雇っていた娼婦の子のために、命を懸けるなんてばかばかしい。

 医者もそうだ。救世主だ英雄だと祀り上げられて、人を救うのが天命だと思いあがるから、犯罪者まで落ちぶれる。働きもしない男をいつまでも捨てない女も馬鹿、その子供を食わせるために身を売るなんて愚の骨頂。

 本当に、馬鹿ばっかりだ。みんな馬鹿だ。自分にも他人にも甘くて、優しくて――。


「……どうして? 私の周りには、馬鹿ばっかり……」


 私の呟きは、騎士の怒号で掻き消された。とうとうブチ切れたらしい、騎士は「いい加減にしろ!」と叫んで、腕をひと薙ぎした。それだけで二人の市民は吹っ飛んだ。

 この騎士、これまで相当手加減してくれていたんだな。

 しかしさすがにフルアーマーでの乱闘はしんどかったのか、面当てを上げ、汗だくの顔を晒した。思いのほか若い、中性的な顔立ちだった。色素の薄い肌を真っ赤にして、ぜーはー息を乱した騎士は、腰の剣に手を掛けた。

 耳障りな音を立てて、金属の刃が引き抜かれる。


「――ひいっ!」


 娼婦たちが震え上がった。


 ――それは、のちになって思うと、ただの牽制だったのだろう。だけど私は血の気が引いた。頭が真っ白になっていた。気が付くと、私は駆けだして、娼婦たちの前に居た。

 剣を持った騎士に向かい合い、両手をいっぱいに広げて――。

 ――と。


「――ちょっと待ったぁっ!」


 突如、女の声が鳴り響いた。




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