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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
新章準備期間の短編集

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267/320

薬を呑むなら毒までも③

 

 ……酔っ払い、だろうか?

 

 いや、どちらかというとめまいでも起こし、収まるまでやり過ごしているって感じかな。

 

 ……なんだろう。馴染みの娼婦に出入り禁止を言い渡されてめちゃめちゃ落ち込んでるとか? 


 だとしたらぜひお話を聞きたい。そんなの面白いに決まってる。私はニヤニヤしながら、男の前にしゃがみこんだ。


「もしもぉし、だいじょーぶです? なんか悲しいことでもありましたぁ?」


 男は顔を上げた。私は思わず、「わぉ」と声を上げる。


 なんという……はちゃめちゃ美男子!


 想像以上に若い――十七、八といったところか。私よりも少し年下、まだ少年である。だけどそんなことお構いなしに男前だった。彫りが深く凛々しい顔立ちに甘く垂れた目元、白肌信仰の強いディルツでは忌み嫌われる肌色も、むしろエキゾチックな色気に感じられる。黒々としたまつげに縁どられた、緑の瞳が艶めかしい。


 年下は趣味じゃないけど、これだけ美少年ならば観賞しがいがありますなあ。

 心配そうに見下ろすおねえさんがそんな不埒なことを考えているとは露知らず、少年はしかめっ面のまま立ち上がり、頭を振った。


「……ああ、いや、別に、何もない。どうもありがとう」


 あらまあ、とっても背が高い。私もチビではないのに、見上げて首が痛いほど。背丈だけではなく肩も胸も肉厚で、鍛えられた体をしている。

 この子、相当な資産家の息子だ。美容にはお金がかかる。目鼻立ちは持って生まれたものだとしても、肌や髪は、生活環境がモロに出る。清潔な寝室で安寧に眠り、健康的な食事をたっぷり摂って、上等な石鹸や香油を使い毎日磨き上げているに違いない。それに着ている服も、この市場では手に入らないような高級品だった。黒色なのになぜか華やかに感じる生地に複雑な模様の金刺繍、超一流の職人による一点ものだとすぐわかる。


 ……やだ、私ったらドキドキしちゃう。

 この出会い……もしかして超ミラクルビジネスチャンスでは!?


 私は改めてにっこり、全力全開の笑顔を張り付けた。


「それなら良かったですぅ。ではどうしてそんなところに? 何かお困りでしたら言ってくださいまし」


 たいていの人間、とくに男性は、この笑顔で一気に心を許す。ところが彼は顔をしかめた。明らかに機嫌を損ねた、低い声で言う。


「要らない。ほっといてくれ」

「あら……どうしましたぁ? 私、なにか失礼なこと言っちゃいました?」


 逃がしてなるものか。裾をつまんでみたが振り払われ、彼はさっさと路地から出た。大通りをのしのし歩く。うーん、足が長くて歩くのが早い。

 私はトコトコ小走りでついていく。


「出禁喰らったんです? それともハズレ引いちゃった? 好みのタイプとか聞かせてくれたらご案内しますよぉ。私このあたりで長年商売をしているので、ちょっと詳しいでぇす」

「俺は娼婦を買いに来たんじゃない」


 これまた超不機嫌に言い捨てられた。確かに、これほど資産家の美少年ときたら、娼館に通わずいくらでも愛人を作ることができるだろう。だったらどうしてこんなところに……?

 ちゃんと答えるまで私が離れないことを察したか、少年は吐き捨てるようにつぶやいた。


「……むしろ逆だ。少しは女遊びでもしてみろと、親と侍女に連れてこられた」

「あら、まあ」

「縁談を断り続けているので業を煮やしたらしい。自分がいかに綺麗事に囚われたロマンチストか、歴戦のお姉様に教えてもらえとのことだ」

「ほほぉう、ほうほう」


 それはそれは。つまり彼は、婚姻が義務化されるほどのお家柄、その跡取り息子だと。

 ……ん? というか、もしかしてこの少年……。

 私は歩みを早め、彼との距離を詰めた。


「それで、おうちの人を撒いて逃げてきたんですかあ? でも夜にはお家に帰るんなら、また明日にでも連れ出されるだけなのでは」

「う……うん。実はここ数日ずっと」

「しまいには寝室にデリバリーされちゃいそぉ。いやあ、おぼっちゃんは大変ですねえ」

「ん……」


 なんとも複雑な声で返事をしてくれる。


「それならもう諦めて、ほんとに楽しんでしまえばいいんじゃないですか。私のお得意さん、貴族紳士も御用達の高級娼館で、品のいい美女揃いですよぉ」


 その時――私の視界に、黒ずくめの女が一瞬映った。少年の背後二十メートル先の路地を、たしかに見覚えのある三つ編み頭が横切ったのだ。私はとっさに少年の手を引き、路地に引き込む。代わりに自分が飛び出していった。


「おぉーぅいそこの、黒ずくめのおねえさーん!」


 自分から声をかけ、注意を引く。少年のいる路地へ視線を向けていた女が、私のほうを注視した。


「……あなたは……先日、『花吹雪』でお会いした……」

「はい! くすりやペンドラゴンの娘でぇす。偶然ですねえ、今日は何のご用事で?」


 へらへら笑って尋ねてみると、女は表情らしいものがない顔をほんのわずかだけ、不機嫌の形に歪めた。


「例によってまた人探しです。先日は結局夜になって(うち)に帰ってきました。今日また連れてきて、また脱走されてしまいました」


 女は小さく嘆息した。表情は、困っているというよりはただひたすら面倒で、呆れ果てているようだったが。私はまた大げさに、


「あらあらまあまあ……目撃情報は集められたんです?」

「ええ、このあたりへ駆けて行ったと。……見かけませんでしたか? 異国の血が入った、黒髪に長身の少年です」


 あら――やっぱり。私はフリフリ手を振った。


「それならむこうの裏路地から、今あなたが来た方へ戻っていくのを見ましたよ。行き違っちゃったみたいですねーぇ」

「……そうですか」


 女は意外と、それほど残念そうにしなかった。もしかしてあまり本気で探してないのでは? というより、香街に連れてきてるの自体、乗り気じゃないのかも……?

 私の視線を察したのか、女は振り向いた。一歩前に出て、至近距離で向かい合う。そうすると、女が意外なほどに小柄なのに気が付いた。どこを見ているのかよくわからない、つぶらな目が私を見上げ、捕らえている。小ぢんまりとした唇をわずかに震わせるようにして、女はぼそぼそと……だがよく聴こえる声で言った。


「坊ちゃんのことはもう結構です。それより、あなたに少しお伺いしたいことがあります。先日の美容石鹸――あなたがおつくりになったものですね?」

「えっ? ええ、はい」

「わが主がたいへん気に入ったとのことです。製品の購入はもちろん、他にもおすすめがあればぜひ定期購入をしたいと」

「……主って?」

「色よい返事がいただけるまで名乗れませんが――相当なお家柄の貴婦人です。前々から、この国の石鹸は肌に合わないと悩んでおられました。東の大陸から取り寄せて、どうにかしのいでいたところだったのです」

「東……確かに、私の石鹸は東部の美容医学に基づいて調合していますけどぉ」

「なるほど。それはそれは、すばらしいめぐり合わせ」


 女はこれまでになく機嫌を良くしたように、にやりと邪悪な笑みを浮かべた。


「それならば、我が主はきっとあなたを我が城に招待したがるでしょう。私と違い美容に詳しい侍女を探していましたしね」

「……城?」


 突然出てきたメルヘンな単語。さすがの私も、ぽかんと口を開けて絶句する。その様子を見て、女は何か満足そうに頷いていた。


「そのうち、正式な打診を持ってくすりやペンドラゴンをお訪ねします。それまでは大人しくしておいてください」

「……大人しくって、なんですか? なぁんか、ひとがしょっちゅう悪いことしてるみたい。人聞き悪ぅい」


 私の抗議に、女は何も答えなかった。ただ何か意味ありげに、その青い目をすうっと細め、私の目を見つめていた。


 とりあえずその場は「考えておきますー」と適当に追い払って、お別れする。人ごみに紛れていく彼女の背中を見送って……。


「ただいま~」


 と、私は手をフリフリして、物陰に居る少年に声をかける。私がひきつけている間に逃げてりゃいいのに……律儀な性格なのかしら。私に気付くと、彼はすぐに立ち上がった、


「助かった。ありがとう……この恩はいずれ、必ず」


 そんな畏まったことまで言う。私はもう一度手を振って、


「なんてことないですよーう。それよりあなたのおうち、ものすごーい大金持ちみたいですねえ――?」

「……ミオと話したのか」


 俯き、ため息を吐く少年。それからいきなり、私の前で腰を折った。


「庇ってくれてありがとう。助かった」


 あら、あら。私は正直とても驚いた。質実剛健をモットーとしプライドの高いディルツ男子が、女に頭を下げるなんてめったにないことだ。ましてや貴族が。私は慌てて少年の顔を見上げた。


「そんな、大したことは何も」

「いや、いつかこの恩を返しに来る。近いうちに、必ず」


 宝石のようにきれいな緑の瞳で、真摯に見つめてくる。私はなんだか居心地が悪くて、へらへらと笑ってしまった。


 それから、数日の間……私はベッドに寝転がるたび、クスクス笑っていた。

 もしかしたらお城勤めが出来るかもしれないから――ではない。

 無表情で黒づくめの女と、長身で凛々しく、腰の低い美少年という組み合わせも面白くて。

 ――もともとそんなに欝々としたものじゃなかったけれど、彼らのおかげで夢見が良くなった。ニヤニヤ笑いながら、眠りにつく。

 そんな私に、父が言う。


「チュニカ、チュニカ……最近おまえ、やけに機嫌が良いようだな」

「ええ、まあ」

「まさか、男が出来たんじゃあるまいな? この家を出ていくなんてことは……」

「えーっ無い無い、あはは」


 私がそう言うと、父はしばらく無言だった。それから二度、「本当に男はいないな?」と問いかけ、次は「まさか体を売っていないだろうな?」と三度聞いた。


 すべての問いかけを同じように否定し、父はやっと納得して床につく。こんな問答はいつもの儀式、おやすみのあいさつみたいなものなのでどうでもいい。

 狭いアパートでは、父と寝室を分けることもできない。いつもは耳障りな父の寝息も、楽しい気分で眠りにつけば気にならなかった。


 ……そんな小さな幸せは、ある日突然、糸が切れるように終了した。


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