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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
新章準備期間の短編集

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【挿話】春の冗談①

「マリー様。急な話ですが――私はマリー様の侍女を辞そうと考えております」


「――えっ!!!!!」


 突然すぎる告白に、わたしは窓が揺れるほどの大きな声をあげた。


 こんなに大きな声をあげたのは、もしかすると生まれて初めてかもしれない。窓枠がビリビリと震えたのを感じたが、そんなことより何より、わたしは慌ててミオの両手を掴んですがりついた。


「嘘、嘘でしょ? ミオが辞めてしまうなんて一体どうして?」


 わたしにガクガク揺さぶられて、ミオは黒目がちな青い瞳を空中に泳がせた。


「あの――お、落ち着いてくださいマリー様……」

「はっ、もしかしてリュー・リュー夫人のため? 夫人が心配だから、彼女のそばにいたいということ!?」


 わたしがそう言うと、ミオは表情を消して、黙り込んだ。


 ああ……やっぱり、そうなのね……。


 先日、彼女の夫……キュロス様の父親もである、グラナド公爵が亡くなってしまって以来、リュー・リュー夫人は酷く気落ちしているようだった。

 ミオにとって、リュー・リュー夫人は孤児の自分を拾い育ててくれた恩人であり、血縁以上に慕っている。彼女の命で、ミオは一人息子のキュロス様の侍女になった。わたしの侍女となったのは、そのキュロス様の指示だ。実は、正式にわたしの侍女として雇用されているわけではない。


 わたしの全身からがっくりと力が抜けていく。

 ……そう、理解していたことだ。

 わたしは溜息を嚙み殺し、ゆっくりと、彼女から体を離した。


「……そうね。わたしも、リュー・リュー夫人のことは心配だったし……いえ、あなたの選択を否定することはできないわね。引き留めはしないわ……」


 わたしはおとなしく、ベッドに腰掛けなおした。聞き分けのいい言葉とはうらはらに、笑顔を浮かべることはできない。


「ごめんなさい、ちょっと急で、ショックなだけ。納得していないわけじゃないの、すぐに落ち着くわ」

「マリー様」

「大丈夫よ、わたしももう強くなったし。ミオに少し頼りすぎているような気もしていたの。どうか元気で。時々は顔を見せてね」


 と――せめて笑顔で見送ろうとした、その時。

 ミオが、そろそろっと手を挙げた。


「何、ミオ?」

「 嘘です」

「……嘘?」

「はい。冗談です」


 ミオは黒目がちな目をパチクリさせてそう言った。


 嘘……嘘? うそぉ!?


  ひたすら愕然とするわたしに、申し訳なさそうな表情を浮かべて、


「すみません。こんなに簡単に騙されてくれるとは思わなくて」

「こ、こんなの騙されるわよ! いきなり言われて――え、っ嘘? 本当に? 信じられない、嘘でしょ、本当? えっ何、どうなってるの? どっち!?」

「 落ち着いてくださいマリー様、本当に嘘です、冗談です。ずっとおそばにおります」


 ミオはにっこり笑ってわたしの肩をポンと叩いてくれた。


「マリー様……フリューリング・シェルツはご存知ないですか?」

(フリューリング)冗談(シェツル)……?」

「そう、春のこの時期、誰もが嘘を言って人を騙し楽しむという遊びです」


 ミオはいつも通りの無表情、淡々と静かな口調で、わたしに説明をしてくれた。



 フリューリング・シェルツ――この日だけは、どんな嘘をついても怒られない。午前中に騙し、午後にはそれを訂正するのがルールだという。

 その起源はいくつかの説がある。

 魔女狩りのあった時代、処刑をまぬがれようと「自分は魔女ではない」と『嘘』を吐いたのが始まりとする説、春の初めを新年としていた時代、冬の第一日目を正月にしようといきなり改定されたことに反発した民衆が、従来通りの日に「あけましておめでとう!」と祝った説。

 ほかにも色々あるけれど、結局どれが本当に起源なのか、明らかになっていないらしい。


「由緒正しいかはさておき、面白いイベントではありますからね。喪中の今、あちこち 出かけることもできませんので、こういった季節の遊びを少し取り入れるぐらいはしてもよろしいかと思いまして。気を利かせたつもりだったのですが、これほど信じ込まれてしまうとは思わず……」


 ミオはそう言ってから、深々と頭を下げた。


「そういえば、マリー様はあまりこういったイベントごとに参加せずに育ったのでしたね。失念しておりました。大変失礼いたしました」

「 イベント……」


 力なくつぶやき、わたしは思考を巡らせた。

 ミオの言う通り、わたしは王都で流行りのイベント事には疎い。幼少から家事と経営を手伝っていて忙しく、お祭りを楽しむ余裕が無かった。特に春の農家は忙しいから、豊作祈願でもないイベントを楽しむ余裕はないのだ。


「そうだったのね……じゃあもしかしたらわたし、気がつかずにすっかり騙されて信じ込んでいることがあるかもしれないわ」


 わたしがそう言うとミオはクスと笑った。


「今からこの日に出会った人たちに、問い詰めて回らなければいけませんね」

「大変だわ、そんなこと」


 わたしも笑うとミオはいよいよクックッと声を上げて笑い始めた。こんな風にミオが笑うなんて珍しい。もう離れ離れになってしまうことすら覚悟していたので、何だか嬉しくて仕方がない。わたしは意味もなく大笑いしてしまった。




 朝食を終え、部屋で一人になって……わたしは椅子に座り、読みかけの本の続きを開こうとした。が、1ページも読まずに再び閉じる。


「……嘘をついていいのは、午前中だけって言ってたっけ……」


 ……あと二時間。

 平常、この時間帯は昼食まで、誰かが部屋を訪ねてくることはない。わたしはほんの短い時間だけ、扉を見つめて待っていた。しかしすぐに本を閉じ、立ち上がる。

 まず向かったのはお風呂場だった。館のほど近い位置にある、グラナド城自慢の大きなお風呂。そこで 湯番のチュニカが薪の数を確認していた。わたしの気配に気づいて顔をあげる。


「あらぁ、マリー様。どうなされましたあ? 朝の湯浴みでしたらもう少々だけお待ちくださいましね」

「チュニカ……あのね。わたし……」


 背中側に手を回し、しばらくもじもじとしていた。思わずこぼれてしまいそうな笑いをなんとかこらえながら、


「あの――あのね。わたし……髪の毛を切ろうと思うのっ!」


 そう言った瞬間、チュニカが悲鳴じみた声を上げる。その声を聞いてわたしはさらに声を弾ませた。


「もうねっ、バッサリとうなじのあたりまで切ろうかと! あのねほら、やっぱりこれから暖かくなるしこれからの時代はね女性も髪を短い方が、それであの――ふ、ふふ、ふっふふふ」


 話しながら、なんだか声が上ずってきて笑い声へと変わっていく。とうとうわたしは笑い出してしまった。

 髪を切るという、大告白にしに来たと思ったら突然笑い出したわたしに、チュニカは全くついていけなかったようで、ポカンとしていた。


「何ですか、マリー様……どうされたんです?」

「うふふ、ごめんね。だ、騙された? フリューリング・シェルツよ、フリューリング・シェルツ!」


 ネタバラシをしても、チュニカはやはりポカンとして、ちっとも理解していない顔。わたしはいよいよ 笑いがこらえきれず、チュニカの肩をバシバシ叩く。


「あのね、ミオが教えてくれたの! 今日一日は嘘をついてもいいんだって、そういう日なんですって」

「嘘をついてもいい日……?」

「それでねわたし、今までそういう冗談ってあまり言ったことないなって思って――ふ、ふふ。せっかくだから、年に1回のチャンス、生まれて初めてわたしたくさん嘘はついてみようと思うの!」

「ふうん……」


 チュニカは何か、考えるような仕草をした後、ふふっと笑った。


「なぁるほど。いいですね、マリー様はそういう、子どもっぽいアソビを経て大人になるべきだったとは思います。どうぞ今日一日、嘘をつきまくって楽しんでくださいませ」

「ええ、そうする! ありがとうチュニカ、騙されてくれて。じゃあまたね!」


 わたしはブンブンと手を振って、回廊を駆け抜けていった。



 館から、グラナド城につながる渡り廊下。回廊からは、華やかな庭園が見える。そこに、ずんぐりとした丸い背中を見つけた。わたしはスカートを持ち上げ、庭に降り立つ。

 黙々と作業をしているヨハン……後ろから、そっと声をかけた。


「ねえヨハン……」

「ああ、奥様。おはようございます」

「ええおはよう……あのね。ちょっとお願いがあって……あの。奥の花壇にある花――髪飾りに使いたいから全部切り取ってちょうだい!」


 と、とんでもないことを提案してみる。きっとヨハンは目をまん丸にして、なんてことをと怒り出すだろう。そこですかさずフリューリング・シェルツだって明かしたら、きっとホッとして笑い出すわ。ドキドキしながら彼の反応を待っている、と。


「承知。奥の花壇ですな?」


 そう言いながら、ヨハンはポケットから花切りバサミを取り出した。そのまま花園の奥へと歩き出すのを大慌てで止める。


「ちょ、ちょっと待ってダメよ、そんなことをしてはいけない!」

「? 何がですか。この庭園の花は全て旦那様からのご支援をいただき、作られたもの。グラナド城の住人達を楽しませるためにあるのです。花も本望――というよりもとよりそのために咲かせているものですよ」

「で、でもダメよ。この庭園の景色は、わたし達だけでなくメイドやフットマン、この城の住人みんなが楽しんでいるものだわ。すべて刈るなんて酷い、髪や部屋を飾るためなら、ほんの一房で十分よ」

「……はあ。それは、その通りですが……しかし マリー様は先ほどおっしゃったことでは?」


 小首をかしげながら言うヨハン。わたしはペコペコと頭を下げた。


「ごめんなさいごめんなさい、嘘なの、冗談だったの」

「はあ、なんでまた」

「ちょっと、フリューリング・シェルツを楽しんでみたかっただけなの。本当にごめんなさい。これからはもっと考えて嘘を言うようにするわ」


 わたしがそう言うと、ヨハンは数秒間、ぽかんとしたのち、肩を揺らして笑いだした。


「なんだかよくわかりませんが、イベントを楽しむのは良いことですな。そうやって考えながら行動し、失敗するのもまた良い経験でしょう」

「ありがとうヨハン……」

「儂は、マリー様の人生が豊かになることを応援しておりますぞ」


 そう言って、ヨハンは百合の花を切り取って、わたしに手渡してくれた。甘く爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。ヨハンが精魂込めて作り上げた百合の花は、一本だけで十分に美しく、芳しい。

 わたしはヨハンに礼を言って、グラナド城へと進んで行った。


 次にすれ違ったのは侍女見習いの少女、ツェツィーリエだった。


「あっ、マリー! どこいくの?」


 わたしを見つけて、いつも通りの明るい笑顔で駆け寄ってくる。その彼女の前に、わたしは先ほど受け取った百合を差し出して、


「ツェリ、見て! お花の中に妖精がいるのよ」

「……へ?」


 ツェリは怪訝な顔で、なぜか花ではなくわたしの顔を見つめた。わたしは花弁に手で蓋をして、ツェリにそっと囁く。


「静かに覗いてね……逃げ出してしまうから。親指ぐらいの、小さな小さなお姫様 なのよ」

 ――わたしの予定では、ここでツェリは目をキラキラさせて覗き込んでくるはずだった。しかし彼女は腰に手を当てて、フッとシニカルに笑った。


「マリー? あたしね、もう8歳になったのよ」

「え……ええ……」

「いつまでも夢見る乙女じゃいられないのだわ。マリーも早く、オトナになったほういいと思うのよ。じゃあね」

「………………はい」


 踵を返し、すたすたと歩き去っていくツェリ……。


 …………うーん。ちょっと……嘘が雑すぎたかな。…………フリューリング・シェルツ、匙加減がとっても難しいわ。


 次に出会ったのは、門番のトマス。ちょうど出勤の時間だったらしい。あくびを噛み締めつつ、背伸びしながら正門に向かって歩いている。わたしは大きな声で呼びかけた。


「トマス――何やってるの! 今日は朝番でしょ、大遅刻よ!」

「えっ嘘ぉっ!?」


 トマスはその場でびょいんと飛び上がり、大慌てて走り出す。さすが、青年の全力疾走! わたしがネタバラシの声する間もなく、あっという間にいなくなってしまった。

 ……どうしよう……。

 …………まあ、いいか!


 グラナド城に入ってすぐ、出会ったのは、背筋の伸びた老紳士だった。わたしは思わず息を呑む。


「……ウォルフガングっ……」


 わたしに気付いたウォルフは、薄い唇の端を品よくニコリと持ち上げた。


 ――ウォルフガング・シュトロハイム――キュロス様の専属執事。彼は貴族の世話役と言うよりも、グラナド商会の秘書のような役割にある。幅広い知識を持つだけでなく、観察眼に優れ、頭が切れる。

 ……生半可な嘘じゃ騙せないわね……。

 ウォルフガングが、ありえると思うくらいリアリティのある嘘……でも、雨が降って来たわよなんて嘘じゃ、騙せたとしても面白くない。かといってショッキングすぎても笑えない。

 うぅん……ウォルフが信じてしまう説得力……それでいてウィットに富んだ嘘……。


「どうなさいました、マリー様。僕の顔に、何かついておりますか?」


 ニコニコしている老執事。ええい、ままよっ。


「ウォルフガング――あのね。この花を見て!」


 わたしは、彼の孫にそうしたのと同じく百合を突き出した。ウォルフは視線だけで花を確認し、小首を傾げた。


「白百合ですな。美しく咲いているようですが、これがどうなさいました?」

「実はねっ、このお花は新種なの。ヨハンが一生懸命に品種改良して作り出した、今までにない、世界にたった一つの花なのよ」

「ほう……」


 ウォルフガングは少し興味深そうに、豊かな眉毛は跳ね上げた。

 腰を曲げて、まじまじと花弁を凝視する。


「なるほど、それは素晴らしい。ヨハンは本当に勉強家ですね。グラナド城が誇る、稀代の庭師です」

「ええ、本当に。わたしもそう思うわ」

「しかし申し訳ございません、僕はあまり花に詳しくは無いもので、従来のものとどう違うのか分かりません。いったいどの辺りを改良したものなのでしょう?」

「こ、これはね……切り取ってから時間がたつごとに、色がだんだん変わってくるの」

「ほほう?」

「もうすぐ花びらが黄色に変わるわ。やがて緑に、そして青に。しかもね、水ではなくミルクにつけるとまた 白く戻るのよ。どう、面白いでしょう?」

「なるほど、それはそれは……」


 ウォルフガングはフフフッと笑った。よし――騙せたっ!

 内心で飛び上がって喜ぶわたし。ウォルフは、ニヤニヤ笑いを噛み殺しているわたしの手から、そっと白百合を奪った。花弁に鼻先を寄せて、香りを楽しみ……笑顔のまま、同じ声音でこういった。


「――面白いものですね、ふだん嘘を吐きなれていないひとに、騙されてみるというのは」

「あああああ……バレちゃったかぁ」


 わたしががっくり肩を落とすと、ウォルフはさらに大笑いした。

 落ち込むわたしを慰めるように、百合をそっと髪に差してくれる。


「お上手でしたよ。誰も傷つけず、信憑性があって、もし本当にこうだったら面白いなと思わせられる、程よい具合の嘘でした。マリー様も、冗談がお上手になられましたな」


 わたしは顔赤くした。あっさりと見破ったひとから褒められると余計に悔しい。


「もう、何ですぐに分かったの? ウォルフって花にも詳しいのね」

「そうではございません。マリー様の所作から、嘘を言っていること、またそれが悪意あってのことではないと察したまで。きっと何かの遊びなのだろうと……そして確か北西の島国で、そういったイベントをやっていると聞いた記憶がありましたので」


 なるほど、やっぱりウォルフは手ごわかったか……。

 …………ん? 

 なにか猛烈な違和感を覚えて、わたしは顔を上げた。

 ――今――ウォルフは何か、変なことを言った気がする。

 ――博識で、ディルツの歴史や文化にも精通している執事――そんな彼が、今……こう言ったわ。『たしか、外国で、聞いた記憶がある』――って。

 あれ? でも確かフリューリング・シェルツはディルツ王都で親しまれている風習だって、ミオが……。



「あの、ウォルフ、今……」


 と、その時。


 カーン、カーン、カーン……。


 遠くから聞こえる鐘の音。あっ……いけない!! 正午を告げる鐘だわ!

 わたしは走り出した。


「マリー様、どうなさいました急に、そんなに急いで――」


 後ろからウォルフガングの声が聞こえてきたけど、応じている暇はない。フリューリング・シェルツで嘘を吐いていいのは午前中まで、わたしはまだ……どうしても騙してみたいひとがいるの!!



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