【閑話】灰かぶり女の言い分
革の鞭が背中を打つ。
私はギャッと悲鳴を上げ、その場に突っ伏し、悶絶した。
「お、お許しください。お許しください」
泣いて許しを請うても、彼の鞭は止まらない。服が裂け、肌に傷がついてもさらに続く折檻に、私は涙とよだれを垂らしながらひたすら悲鳴を上げ続ける。
いつの間にか失神してしまったらしい。次に目を覚ました時にはベッドの上で、傷だらけの体を彼に抱かれていた。
「すまなかったエラ。少しやりすぎたようだ」
彼は謝罪をし、私を胸に抱き寄せた。私は目を閉じ首を振る。
「いいえ……大丈夫、です、ダリオ様。このくらい。私が悪いので……」
私がそう言うと、彼は切なそうに目を細めた。優しく微笑み、私の耳元に唇を寄せると、甘く蕩けるような声で囁いてくる。
「ああそうだ、おまえが悪い」
蜂蜜みたいに甘く、ねばっこく耳の奥に入り込んでくる言葉。
「おまえは俺の命令をなにひとつ成し遂げなかった」
「ごめんなさい、私が無能だから」
「違う、おまえは本気を出さなかったのだ。おまえが本気で縋れば、落ちない男などいないのに」
「そ――そんなことは。それに、伯爵はお忙しくてなかなかお城にいなくて、いる時はほとんどマリー様かリサ様と一緒にいて、私と二人きりになれる時間なんて、全然……」
延々と言い訳を並べようとした唇に、ダリオ様が噛み付いた。皮膚の薄い肉に歯を立てられ、背骨が痺れるほどの痛みが走る。
「ひぎっ……!」
「女房はともかく、赤子がそばにいたからなんだというんだ。そこで寝室に入り込めるよう、乳母になったんだろうが」
「ひぅ――う、う。ごめんなさい」
「おまえからキュロスの部屋を訪ねなくてどうする。仕事のことでも人間関係でも、相談したいといえば良かっただろう」
「でも、でも……ごめんなさいごめんなさい」
穴の開いた唇を絞るように摘ままれて、私はひたすら謝り続けた。叱られることがつらいのか、痛みのせいか、涙が止まらない。零れた血と涙を舐め取って、ダリオ様は微笑んだ。
「まあ、いい。急ぐことはない。アルフレッドの次期公爵の座は、さすがに無理だろうと諦めていたからな」
私の背中の傷を爪でえぐりながら、彼は機嫌良さそうに笑っている。
「キュロスの次世代……あの夫婦に、世継ぎとなる男児が生まれる前ならば。キュロスの跡継ぎは宙に浮いた状態になる。エラが男児を生めば、次期公爵位は俺の管理下へやってくる」
「あ、の……ダリオ様……」
「早いもの勝ちだ。エラ、さっさとキュロス・グラナドを落とせ。それで孕むことができずとも、俺が仕込んでやる。生まれた男児がキュロスの子だと言い張ればいい」
ダリオ様……私、嫌です。あなた以外のひとに抱かれるなんて。
もしもその言葉を言ったならば、彼は機嫌を損ねるだろう。私は言葉を飲み込んだ。代わりに別の言い訳を口にする。
「私で務まるでしょうか。キュロス様は、今の奥様を深く愛しておられるようでした。あの方……マリー様は本当にお美しいひとでした。賢くて優しくて、みんなに好かれていて……私が敵うところなんて、何一つありはしなかった」
「それでいい。それが、おまえの魅力だ」
私の唇に滲んだ血を、ダリオ様は美味しそうに舐め取った。
「何もできない、誰からも愛されない駄目女。そんなおまえだからこそ、頼られた男は必ずおまえに夢中になる。おまえにはそういう魔力がある」
魔力……。
ダリオ様のおっしゃることは、私にはほとんどわからなかった。
魔性の女、悪魔の子――今まで生きてきた中で、そう呼ばれたことは何度かあった。意味がわからない。物心ついた頃から、私はただ他人に迷惑をかけないよう、謙虚に生きてきただけ。嫌われないよう、隅っこで小さくなって、人目に付かないようにしていただけだ。
それでなぜ、魔性だなんて言われなきゃいけないんだろう。あのマリーと、いったいなにが違うんだろう。
ダリオ様から、マリー・シャデランという女の経歴について聞いていた。美しく誰からも愛される姉と、姉に夢中の両親。醜くて無能なマリーは誰にも愛されず、雑用、家事、年の離れた弟の世話も押し付けられて、ずたぼろと呼ばれるまでこき使われていたって。
私とよく似ていると思った。それなのに、どうしてあのひとは今、あんなに明るく笑っていたんだろう。夫や従僕からも愛されて、仲良く過ごしているんだろう。
私には誰もいないのに。
……ずるい。酷い。あの人が笑うことは、私への虐待だ。
マリーのことを考えると、胸にドロドロと黒い渦が生まれる。奥歯を噛み締めた私を、ダリオ様は優しく撫でた。
「そう、それでいい。おまえは何も考えなくても、ただそばにいるだけで、優しい人間の心を壊す。マリー・シャデランに対しては、何もしなくていい……」
「……でも、グラナド城からはもう追い出されてしまいました。これからどうすれば?」
「次の手を考えよう。だが今度こそ失敗は許されないぞ、エラ。必ずキュロスを陥落しろ」
「はい……がんばります」
「もしまた失敗したら、こんな傷では済まないからな」
そう言って。彼は私の背中に指を這わせ、見つけた傷跡に爪を立てた。痛みに悶えた私を見つめ、視線を蕩かせる。
「ああ……エラ。おまえには本当に、悲鳴と涙がよく似合う……」
私は彼に、ありがとうございますとお礼を言った。
ダリオ様は、いつもこうして私を褒めてくださる。彼の他には誰もそうしてくれなかった。
父は、母の亡きあと、幼い私を下女に預け、ろくに帰ってこなかった。やがて新しくできた継母は、私に安っぽい媚を売るばかり。かと思えば、やがて私を遠巻きにするようになった。義理姉は私がわざと服を破いたり、お皿を割ったりしても、叱りすらしなかった。ただ不快そうに眉をひそめ、私と会話しないよう距離を取るばかりだった。
この子を連れて行ったら、ほかの貴族達を不快にさせてしまうからと、社交界には置いてけぼりにされた。その間に家事や育児、労働を、すればするほど毛嫌いされた。
反面、婿や子ども達は私に同情し、優しくなった。エラを虐めるなと義母や義理姉を叱り、一家は喧嘩が耐えなくなった。私はそれが申し訳なくて、ますます孤立していった。
……誰も、私のことを叱ってなんてくれなかった。その拳を痛めて殴ってくれなかった。誰も私を愛してくれなかった。ダリオ様だけだった。彼だけが、私を折檻してくれたの――。
彼の胸に頬を寄せて、私は囁く。とても幸福な気持ちだった。
「ありがとうございます、ダリオ様。私……あなたのために尽くします。たとえ頭から灰を被って、汚れても。この命に代えても、あなたのために」




