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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
キュロス・グラナド伯爵は新しい家族に溺愛される

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悪意のゆくえ②

 

 侯爵は数秒、絶句していた。だがなおも食い下がった。目に涙をためて震えているエラさんを、これが証拠とばかりにビシッと指さして、


「いいえわたくしはこのエラに、自信をつけさせ、社交的になるよう導いてやってくれとお願いしました。それがどうです、ほら見てくださいよ。こんなに震えて可哀想に。これじゃあ今までと変わらない――いや今までよりもむしろひどくなっているじゃあないですか!」

「……そうだな」

「そうだなじゃあありませんよ伯爵、どう責任を取ってくれるのです? 次期グラナド公爵ともあろうお方が、女一人教育もできないと――」


 と、気持ちよく喋っているダリオ様の口上を、キュロス様は片手を上げて制した。とりあえず黙らせておいて、その手で今度は後ろ頭を掻く。そして、


「それなんだが、すまん。無理だった」


 はっきりきっぱり、そう言った。ダリオ様は一瞬ぽかんと口を開けてから、やがて悲鳴じみた声を上げる。


「え――えええっ⁉」

「いや普通に無理だろ、女一人教育って、簡単に言うなよ。人間だぞ。性格って、生まれ持っての特性とか能力とか、今まで生きてきた環境とか積み重なって作られてきたものだ。それを他人が教育だの指導だの――好きなようにできるもんじゃないだろう。無理」


 いちいちごもっとも、正論ど真ん中。わたしはなんだかおかしくなって、クスクス笑ってしまった。わたしにつられてか、腕の中のリサもニコニコしている。キュロス様は、そんなリサの頬を指で撫で、抱き上げた。父親に抱っこされて、リサはますます上機嫌になる。声を上げてはしゃぎだしたのを、キュロス様は眩しそうに見つめた。


「そんな余裕も、今はない。俺はディルツの貴族として、このグラナド城と商会の主として――何より妻子ある男として、優先すべきものがある。よその女性に割けるほど、心も時間もないんだよ」


 侯爵は助けを求めるようにあたりを見回し、今度はわたしに縋ることにしたらしい。祈るように手を重ね、


「ああマリー様、マリー様のお顔色がよろしくなったのは、うちのエラのおかげですよね?」

「……ええ、まあ、いちばん大変な時に、エラさんには助けていただきました」

「でしょう⁉ うちのエラはどんくさいですが、家事と子守の腕だけは一級品なんです。これからも必要不可欠でしょう、どうぞこれからもおそばに置いて――」

「それは大丈夫です。キュロス様のおっしゃる通り、家族だけでやっていこうと思っていますので」

「そうおっしゃらず!」


 どうやら彼の目には、わたしは「押せばなんとかなる女」に見えているらしい。否定できないところもあるけど、今日だけはどれだけ食い下がられても頷くつもりはない。わたしは毅然として、ダリオ侯爵の弁明に立ち向かった。何と言われようとも、揺るがない。


「申し訳ありません、お引き取りくださいませ」

「しかしあなたなら、エラの気持ちがわかるでしょう? あなたは過去、ずたぼろ令嬢なんてあだ名で呼ばれながら、キュロス伯爵に見初められたことでここまで成り上がってきたひとで」

「わたしの過去のことを調べたのですか? 失礼なおひとですね」

「あ――いえ、有名ですから……それはさておき、事実ですよね? ちょうどエラと同じ境遇ではございませんか。エラの話を聞いて共感したでしょう、同情したでしょう?」

「ええ、そうですね。正直自分によく似ているな、と、彼女を見ていて何度も思いました」

「ですよね⁉ でしたらマリー様からひとこと伯爵に言ってやってくださいよ! 気の合うもの同士、良い友達に」

「結構です。気の合うものならば、足りておりますから」


 わたしはきっぱりと言い切った。横でエラさんがヒュッと息を呑む声がしたが、気にしない。わたしはキュロス様の隣に並んだ。娘のリサを、彼の腕ごと抱きしめて。


「キュロス様も言った通り、わたしにはもう、大切なものが両手いっぱいあるのです。今ある大事なものを守るだけで精一杯」


「そ――そんな――」


「助けの手も、これ以上必要ありません。わたし、何もかも満ち足りているんです。もう何も、誰も要らない――ましてや、身分を偽って潜入してきたものになど。ねえ、エラ・フックスさん?」


 ダリオ侯爵と、エラ・フックスの表情が、ギクリと凍りついた。


 反対に、わたしはにっこり笑って見せる。


「もしエラさんを引き続き雇用するならば、その前にダリオ様、ご説明いただけます? 義理の姪を、ただの侍女などと紹介なさった理由。身内の者だと隠すことで、一体どんな利益があったのか」


 みるみる顔色が青くなっていく。それを見て、キュロス様がにやりと笑った。


「あんまりうちを甘く見るなよ」

「あっ、い、いや、その……これはその……」


 明らかに、ダリオ侯爵は焦っていた。額から脂汗をだらだら垂らし、目をぐりんぐりんと四方八方に泳がせて、言葉を一生懸命探している。彼に構わず、わたしはエラさんに歩み寄った。彼女のようすは、ある意味でいつも通り、変わらなかった。俯き、青ざめて、震えている。――そう、彼女はずっとこうだった。身分や情報にいくつか嘘はあったけれど、この言動、性格は、エラ・フックスという女性の本性そのものだ。


 エルヴィン・フックス侯爵の一人娘という、高い身分に生まれながらも、親の愛を受けられなかった。愛されたことが無いから、愛し方がわからない。後妻や連れ子を相手に必要以上に委縮して、自ら家庭を壊してしまう。そんな彼女の手を、わたしはそっと握った。


「……エラさん。わたしは……あなたのこと、何もかもわかるなんて言えません。わたしとあなたに共通するのは、ほんの一部分。まったくの別人なのだから、なにもわからない」


 エラさんの手は、冷たく凍えていた。それをどうにか少しでも温められるよう、包みながら、わたしは彼女に語った。


「わたしにはわからない。結局のところ、あなたがいい人なのか悪い人なのか、それすらも。あなたが何を企んで、この城に来たのかも。あなたの過去をいくら掘っても、わからなかった」

「……は……はい。ごめんなさい……。私……嘘をついて……あ、あなた達を騙して……っ」


 蚊の鳴くような声で呟くエラさん。わたしは首を振った。


「そんなことは、もういいの。――そんなことよりも――わたしはね。エラさん。わたし、あなたが嫌い」


 今度こそ、エラさんは息を飲んだ。わたしはエラさんの手を握ったまま、一言一言、ゆっくりと……自分にも言い聞かせるように、言葉を紡いだ。


「わたしは、あなたが嫌い。わたし自身の、嫌いな部分によく似ているから。わたしがこの城に来てから、必死で直してきた、悪いところだから。


 昔、キュロス様が言ってくださったの。わたしがまだずたぼろだった頃――好きなものは好きと言っていい、そして、自分にとって嬉しくないことも、ちゃんと伝えなきゃいけないんだって。相手が好意でやってくれているからこそ。もちろん言葉は選ぶけれど、嘘をついて喜んでいるふりだけしても、自分も相手を傷つけてしまうの。それはとても失礼なことだって、わたしはこの城に来て学んだわ」


 わたしは視線を落とし、エラさんの手を見つめた。わたしの体温が移り、ほんの少しだけ、桃色に気色ばんだエラさんの手。


 そっと放してみると、すぐにまた真っ白に戻ってしまう。これがわたしにできる精一杯だと理解して、わたしは目を伏せた。


「あなたを許すと、わたしは過去のわたしに戻ってしまう。それだけはしたくないから。だから――ごめんなさい。さようならエラさん。もしあなたも変わることができたなら、その時はまた会いましょう」


「あ……ううっ………」


 エラさんが低い声でうめき、震えていた。頷くことも、首を振ることもせず、その場にただただ立ち尽くす。わたしは彼女に背を向けた。ウォルフガングらが待つ、グラナド城の馬車に向かって。

 キュロス様も歩き出しながら、ダリオ侯爵に視線をやった。細めた緑の瞳は、どこか面白がってすらいるようだった。


「さて、ダリオ侯爵殿。もし良ろしければ、うちの馬車に同乗なさいますか? 国葬の会場までの道々、楽しい雑談に興じましょう。この度はどのような企みをお持ちだったのか――とても興味がある話題です」

「え――あ――いやあ、あはっ、はははは――いや――」

「それともそのお話は後日、私がグラナド公爵の位を正式に継いだのち。裁判所でじっくり伺いましょうか」


 ダリオ侯爵は、やけくそみたいに笑って……不意にシュタッ! と片手を上げた。


「で、ではキュロス公爵、国葬の会場で会いましょう! ありがとうございますさようなら!」


 叫びながらエラさんの襟首を捕まえてダッシュ、彼女を馬車に放り込むと、バターン! と勢いよく扉を閉めた。自ら御者台に乗り込むと、いきなり馬に激しく鞭を打つ。不意に叩かれた馬は機嫌を損ねたらしく、天地を震わすようないななきを上げ、ものすごいスピードで駆けだした。かぼちゃの形に似た、白くて優美な馬車があっという間に遠ざかっていく……。


 わたしとキュロス様は、顔を見合わせた。


「すばらしい逃げ足ですね……」

「古今東西、三流悪役は逃げ足が速いと相場が決まっているものだ」


 やれやれ、と肩をすくめながら笑うキュロス様。わたしも笑って、それから彼の腕に頭をもたれさせた。耳元に、彼の体温を感じると、気を張っていたのが緩んでくる。わたしは急に悲しい気持ちになった。


「……キュロス様、わたし、他人に対して嫌いだって言ったの、初めてです」


 独り言みたいに言うと、キュロス様は「ああ」と頷いた。


「あれで良かったのでしょうか、わたし……本当は、もう少しくらい我慢できたんです」


 キュロス様の、大きな手のひらがわたしの頭の上に乗っかった。そのまま撫でるでもなく、頭皮を温めるみたいに置いたまま、キュロス様はにっこり笑った。


「あれで良かった。もちろん、なるべく幅広い人間と交流し、誰にでも優しく接していけるなら、そのほうがいい。だけどそれはまずは自分自身と、大切なものを守れてから。利き腕でやるべきことをこなせてこそ、空いた手を使って人を救う。優先順位をつけるのも、大事なことだよ」

「……そうですね」

「なんてな。そんな風に思えたのは俺だって最近だけど」


 キュロス様はそう言って、今度こそわたしの頭を撫でた。ついでに、自分も自分もとさっきからおねだりしているリサも撫でまわし、「高い高い」で笑わせる。

 それからリサをわたしに渡すと、ぎゅうっと抱きしめてきた。妻子を慰めるようにあたためながら、自分こそすがるように、強く。


「これからも俺は、全力を持ってマリーとリサを守っていく。だからずっと元気で、俺のそばで笑っていてくれ」

「もちろん!」


 わたしはキュロス様の胸に飛び込み、抱きしめ返した。するとキュロス様も、ぎゅぎゅーっとさらに強く抱いてくる。

 あはは、そんなにしたら苦しいって。抗議の声すら出せない代わりに、わたしは胸の中で、キュロス様に想いを伝える。



 ――ありがとう、わたしの旦那様。こんなにも毎日愛してくれてありがとう。ずたぼろだったわたしを、救ってくれてありがとう。新しい世界を見せてくれてありがとう。わたしと出会ってくれてありがとう。

 どうかあなたも、いつまでも元気で、幸福でありますように。


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