わたしのほうこそごめんなさい
エラさんはスプーンを使い、鍋の端っこ、おこげのついた米を小さく掬って口にする。
もぐもぐ、ゆっくりと咀嚼……。エラさんの表情は晴れない。
あ、あれっ、もしかして口に合わなかったかな……と心配になったころ、エラさんはぽつりとつぶやいた。
「美味しい、です。すごい、本場スフェインの味がします」
「ほんと? 良かった!」
わたしは破顔した。
同じくハラハラしながら見守っていたトッポも破願し、頬を紅潮させて、エラさんの周りをくるくる舞った。
「トルティージャも食べてね! トッポの自信作なの!」
「そうそう、わたしも味見したけどすごく美味しいのよ。料理長のトッポは、本当に腕のいい料理人なの。美味しい料理を作るために世界中を飛び回ってたんだって」
「すごい……そうなんですね」
「それに門番のトマス、エラさんも会ったことあるわよね? 彼と、厩番のアダムはルハーブの出身でね。彼の実家は民宿をやっていて、わたしも一度泊まらせてもらったんだけど、そこで女将さんから教わって――」
調子よくわたしが喋っていた、その時だった。
「ウッ」
と、エラさんは呻き、口を抑える。二度三度、ゴホゴホと咳をして、
「うべえぇっ」
――と、口の中のものを吐き出した。
咀嚼され、形を変えたものがパエーリャの皿にボトリと落ちる。
……えっ……。
エラさんは、そのまま激しく咳き込んで、お腹に入れたものまで吐き出した。まだ湯気を立てていたパエーリャがみるみる吐瀉物にまみれていく。食べ物と一緒に涙を出しながら、彼女は謝った。
「すみません、ごめんなさい……私ったら、なんてことを!」
言いながら、フォークを再びパエーリャに突っ込んだ。己の吐瀉物に汚れたそれを、食べようと口を開く――。
「なっ、何するの!? ダメよ!」
わたしは慌てて、エラさんの手から皿を奪い取る。
「た、食べてもらえなかったのは、残念だけど。美味しくなかったなら仕方ない――」
「いいえごめんなさい、不味かったわけじゃないんです! 私が悪いんです……トマトを食べられない、こんな体質に生まれた私が悪いんです」
トマトが食べられない体質?
あっ、と声が出る。
そうだ……チュニカから聞いたことがある。特定の食べ物に強い拒否反応を示す体質があるって。
それは生まれつきのものもあるし、大人になってから突然発症する場合もある。今の科学ではまだはっきりしてはおらず、食後に死亡しても、謎のショック死としか思われていない恐ろしい病だ。チュニカの見立てだと、子供の頃から長い間頻繁にそれを食べすぎたり、体に傷があるところに塗り込むと、その病にかかりやすいらしい。だから入浴剤やボディクリームは、いくら効果的だからって同じ素材のばかりを使わないようにしているのだと言っていた。
この病にかかった人にとっては大好物だって毒物のようなもの。味、好き嫌いとは全く別物なのだ。
迂闊だった……。わたしはきちんと確認しなかったのが悪い。エラさんに、好き嫌いではなく食べられないものがないかと聞いておくべきだった。エラさんの、何でも好きですという言葉を鵜呑みにして、体質のことまでは気が回らなくて。
でも……だけど。
エラさんはスフェイン人で、伝統料理パエーリャの作り方は知っているはず。エラさん、このパエーリャを見た瞬間に分かっていたんじゃないの? トマトが入っていること……自分がこれを食べられないこと。無理をして食べたって、どうせ吐き出してしまうということを……。
わたしは、もしかすると酷く冷たい表情をしていたのかもしれない。エラさんはわたしを見上げて、血の気を引かせていた。青い顔で、涙目になって、吐瀉物にまみれた皿を抱え込む。
「私が悪いんです。みなさんが私のために一所懸命作ってくれたから、私、断れなくて」
「…………っ……!」
「本当にごめんなさい。気にしないでください、私、責任持ってコレ全部食べますので――」
「やめてよっ!!」
なぜか、強い言葉が飛び出した。まるで怒鳴りつけたみたいに。エラさんの顔がますます青ざめた。そして。
「ごめんなさい……」
顔を覆って、彼女は号泣した。
……エラさんは、可哀想なひとだ。
見知らぬ城に突然連れて来られて、仕事を押し付けられて、一所懸命働いて。
城主の妻に呼びつけられたと思ったら、毒を食べさせられた。たまりかねて吐き出したら、怒鳴りつけられて。何も悪いことしていないのに、責められているみたいで……。
エラさんは、可哀想な被害者だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「いえ………いいの。いいのよ………」
わたしは言った。優しい声にはできなかった。
「トッポが作った、トルティージャのほうは、どう……食べられそうかしら」
「は、はい、ありがとうございます。こっちは大丈夫です」
「良かった。じゃあ夕食にはそれを召し上がって。……わたしのほうこそ、ごめんなさい………」




