仲良くなろう
その日から、ツェリはわたしの部屋に来てくれなくなった。
いつも、侍女見習いとしてわたしの髪型やドレスを選んでくれたり、日中はリサの遊び相手になってくれたりと、わたしの癒しだったツェツィーリエ。もちろん、探し出して謝ろうとしたけれど、どうやら避けられてしまっているみたいで……部屋を訪ねても、扉を開けてくれなかった。
彼女の祖父、ウォルフガングにも相談してみたけれど、彼は静かに首を振った。
「今回の件は、あの子のワガママでございます。それですぐに謝って、機嫌を直すならばまだしも。マリー様が部屋まで訪ねてきてくださっているのにこの態度では、僕も庇いきれません」
「でも……ツェリはまだ子どもだわ」
「八歳は、十分に分別がつく年です。もう少し態度が軟化すれば僕が仲裁役になりますので、マリー様はあまり、孫を甘やかさないようお願いいたします」
にっこり笑って、ウォルフガングはそう言った。
そう言われてしまっては、わたしも待つしかない。
自分の部屋、ベッドの上でリサとゴロゴロしながら、わたしは悩んでいた。悩み事はエラさんのこと――彼女の人間関係について、だ。
……悪いひとじゃない。良いひと、だと思う。良く働いてくれているし、優しくて思いやりがあって、腰が低くて、謙虚で。
誰かを攻撃するなんてありえない。むしろエラさんこそ虐めまがいのイヤガラセをされたり、不条理なことで絡まれても、自分が悪いと恐縮している。
……うん、エラさんは何も悪くない……だけど……その態度がむしろ、他の侍従達との軋轢を生んでいるのかもしれない……。
まんまるの青い目に涙をいっぱい溜めて、走り去っていくツェリィーリエ。今回の件はあの子が悪い――けれどツェリだって、悪い子なんかじゃない。
……人の良し悪しは、周囲とうまくいやっていけない理由にはならない、のかもしれない。
ツェリの背中を思い出すと、そんな気がしてならなかった。
……悪いひとじゃないのに、なかなかこの城に受け入れてもらえないエラさん。こんなに一所懸命やってくれている彼女が報われて欲しいと思う。きっとキッカケが必要なんだわ。まずは女城主であるわたしから、どうにかして彼女と仲良くなって、他の侍従達に繋いであげられたらいいんじゃないかな。
……よし、エラさんと仲良くなろう!
まずそこのハードルが高いけど! わたしも友達いたことないしっ!
クッションでリサとキャッチボールをしながら、わたしは思考を巡らせた。
仲良くなる方法、好きになってもらう方法……。
趣味の共有? エラさんって本を読むのかな。いや、ディルツ語は話せるけど読み書きができないっていうくらいだから、お勉強に類するものはあまり好きじゃないのかも。
ほか分かりやすいところでいうと、贈り物かしら? シャデラン家に居た時と違い、今のわたしなら女性が喜びそうなものをたくさん持っている。アクセサリーとか雑貨とか……いや、それをエラさんに渡すのはよくないわ、ほとんどはキュロス様を始め、他人様からもらった物だもの。プレゼントの横流しなんて、くれたひとにもあげるひとにも失礼だろう。わたしも手放したくないし。
だったらわたしのお小遣いで買えるもの……あるいは手作り……とか。
わたしが作り出せる、彼女が喜びそうなもの――とは……。
そこでふと、先日、チュニカと話したことを思い出す。
「あっ……そうだ!」
わたしは小さく呟いた。
「スフェインの郷土料理を作る?」
「……奥様が?」
キョトンとして聞き返してくるトマスとアダム。
そっくり同じ、明るい茶色の目が四つ、丸くなってわたしを見ていた。その様子がなんだか面白かったのか、リサがキャッキャと笑いだす。娘を抱っこでくるくる回しながら、わたしは頷いた。
「ええ、そう! スフェイン出身のエラさんに、故郷の味を食べさせてあげたくて。あなた達のお母様、テンダーママのパエーリャを作ってみようと思うの」
「かーちゃんの?」
トマスとアダムの声が再びハモる。
ふふっ、こうして並んでいるとそっくりだわ。
そう――この二人、二歳違いの実の兄弟。ルハーブ島から一緒に海を渡ってやってきた、テンダーママの息子達なのである。
小麦色をしたトマスの髪と比べ、アダムの髪はダークブラウン、身長は一回りほど小柄だ。兄弟と言われたら確かに似ているところも見つかるのだけど、二人はあまり、兄弟だと明かさない。特にアダムが、「兄貴の弟だなんて思われたくない」とのことで、わたし達もなるべく兄弟扱いしないよう心掛けている。
そんな二人、故郷の母の名前を聞いて、さすがに郷愁を覚えたらしい。アダムも表情を和らげた。
「かーちゃんのパエーリャかあ。そういやずいぶん食ってねえなあ」
「僕ら二人とも、何年も島に帰っていないから。母の味なんて正直うろ覚えですよ。レシピもわからないし」
「大丈夫、レシピは現地で教えてもらったから! あなた達には出来上がったものを味見してほしいの」
わたしが言うと、兄弟は「そういうことなら」と頷き――は、しなかった。腕を組んでウーンと唸り、難色を示す。
「味付けはともかく……このディルツで作るには、材料を手に入れるのが難しいかも。こっちでスフェイン料理店に入っても、結構違いますし」
「材料? というと、特殊なスパイスとか調味料……」
「いえ、それらは王都の中央市場にでもいけばだいたいのものが揃います。それより、新鮮な魚介類ですね」
あっ、そうか……。
ここディルツ王国は、もともと内陸の国。五十年前の戦争で、港町まで領土を拡げはしたものの、あまり漁業は行われていない。切り立った崖、潮が早く水が冷たすぎ、漁は危険とされていたのだ。
近代、そんなディルツ領海でも漁ができるほど頑丈な漁船が製造されたけど、時は戦時中。その技術は戦艦や貿易船に流れ、海辺が汚れた。そうしてディルツでは新鮮な魚料理という文化自体が廃れてしまったのだ。今、ディルツで魚介といえば塩漬けや干物、港であらかじめ加工されたものを意味する。わたしがルハーブ島で食べたような、ピチピチと活きのいい魚や海老など、港町ですらほとんど食べられない。
「王都中央市場なら、売ってないってことはないんですけどねえ。生きたままってのはさすがに……」
「貝や海老は、見たこともないな」
「そっかぁ……」
しゅんと肩を落としたわたし。
「なんとかして、エラさんを元気づけたかったんだけどなあ……」
俯いていると、ふとトマスの視線を感じ、顔を上げる。彼は何か、怪訝な表情でわたしを見つめていた。何か言いたいことがあるのかしらと促してみると、かなり話しにくそうに、ぽつりとつぶやく。
「マリー様、なんであの人のこと、そんなに気に掛けるんです?」
「え? それはもちろん、お世話になっているから。それにダリオ侯爵様からお預かりしているひとだし」
「十分な給金と待遇は与えてるんでしょう? 本人から要望もないのに、そんなにしなくていいと思いますよ」
……何? なんだかトマスらしくない言い方。わたしは戸惑いながらも、自分の心情を明かした。
「そうね……なんだか昔のわたしを見ているようで、ほっとけないんだと思う」
「昔のマリー様……」
「ええ、そっくりじゃない? わたしとエラさん」
トマスはさらにしかめっ面になった。てっきり、そうですねと明るく相槌を打ってくれると思っていたのに、むしろすごく嫌そうな……いつも明るい彼が、滅多にすることのない表情だった。人好きのする丸い目を歪めて、吐き捨てるようにぼそりと呟く。
「全然似てないですよ」
「えっ、そ、そう?」
「やたらと自己評価が低いところは共通してますけど、それくらいじゃないですか」
それくらいって。それこそが根本的なところだと思うのだけど、どうしてそんな事を言うのだろ。
「もしかしてトマスも、エラさんのことが嫌いなの……?」
恐る恐る、そう尋ねてみると、トマスはまた首を振った。
「嫌いじゃない――嫌いになれないですよ。あんな風に、これ以上ないほど腰が低くて、いつも汗だくで全力で頑張ってて、それでいてあんまりうまくいってないひとって、つい応援したくなるんですよね。まして女のひとだと……下世話な言い方すると、僕が守ってあげたなくちゃ、って。僕も男ですから、惹かれちゃうんです」
そこまで言いながらも、彼の口調はやっぱり苦々しいものだった。
「でも、なんかそれが――気持ち悪いんです。自分の意思じゃない気がする。なんか……この好意は無理やり植え付けられたものみたいな――『好きにならなくちゃいけない』って、誰かに強制されてるような。そんな……嫌な感じなんです」
トマスは、あまり弁の立つ青年ではない。言葉は抽象的で、あまり要領を得ないものだった。実弟であるアダムは首を傾げていたし、わたしもよくわからない。
……好意が無理やり植え付けられる? 自分の意思で好きになったわけじゃない……。どういうことだろう……?
長い沈黙に、トマスは心地悪かったのだろう、わざとらしいくらいに明るく笑って手を振った。
「とにかく、僕はマリー様に似てるとは思わないって、それだけです。同じ城で働く仲間ですから、この機会に仲良くなれたらいいとは思っています。スフェイン料理作り、僕も全力で協力します」
「そ……そうね。ありがとう!」
「とにもかくにも、食材集めですよね。グラナド城の厨房なら大体揃いそうだし、特殊なスパイスは僕が市場に行ってくるとして、問題はやっぱり海鮮……」
腕を組み、うーんと考えてくれている。しばらくしてから、不意にドンッと胸を叩いたのはアダムだった。
「オッケー奥様、俺がなんとかしましょうっ」
「なんとかって……?」
「ディルツの港にもまったく揚がらないわけじゃない。早馬を飛ばせば、朝とれたものを数匹仕入れるくらいはできると思うっす」
「早馬って……馬車じゃなく馬に直接跨って、道なき道を走るんでしょう? 危険だわ、一体誰が――」
「もちろん俺が行きますよ!」
アダムは再び胸を叩いて頷いた。
「俺の仕事は乗馬じゃなく、厩番ですけどね。馬を運動させるのに、裸馬に乗って庭園を散歩なんて毎日やってます。なるべく手荷物軽くすれば、港町まで往復半日もかからない。さすがに生食は無理だろうけど、パエーリャの材料ならそれで十分、かーちゃんの味を再現できますよ!」
反り返るほど胸を張ったアダムに、隣のトマスも頷いた。わたしは飛び上がって歓声を上げた。




