久しぶりにほっこりしています
「はぁあああ。気持ちいいぃぃ……」
たっぷりのお湯に肩まで沈めて、わたしはホオッと息をつく。
「こんなにゆっくりお風呂に入るのって、久しぶり……」
「私も、マリー様のお身体を洗わせていただくの、久しぶりですわあ」
手の中で泡をもこもこさせながら、とても機嫌のいい声で言うチュニカ。
グラナド城の美容隊長――もといお湯の番人。このお風呂場を司る侍女である。
泡は洗浄用ではなく、マッサージのためのものだったらしい、わたしの体に塗り込みながら、チュニカは大げさに嘆息した。
「うわああ、首も肩もガチガチ。まるで肉体労働をしている人みたいな体ですぅ」
「赤ちゃんといっても何キロもあるからね……ほとんど一日中抱っこしてれば、こうなっちゃうの」
「髪もお肌もこんなにくすんで……! グラナド城に来たばかりの頃、とまでは言いませんけども、婚約式のピカピカマリー様とは比べ物になりませんよ。おいたわしや」
「そう言わないでよ、仕方がないことなんだから」
わたしは苦笑いし、チュニカの膝に頭を乗せた。
「睡眠不足は美容の大敵って、本当ね。細切れで仮眠は取っていたんだけど、それじゃやっぱり疲れが抜けきらないみたい」
「昼夜逆転も良くないですよ。早寝早起きは万能薬です」
「そう、なんだか思考もぼんやりしてきちゃって。化粧やコルセットをつけたまま、うっかり寝てしまったことが何度も――」
「二度としないで」
にっこり笑って言う、チュニカの声がとても怖い。こんなに怖い笑顔って、わたし、生まれて初めて見たわ。はいわかりましたと素直に頷いて、彼女のマッサージに身を預ける。
首の強張りにオイルを塗りながら、チュニカは呟いた。
「リカバリーできるギリギリセーフっていうところで、来てくれて良かったです。エラさん様々ですわあ」
わたしは頷き、肯定した。
エラさんが、夜の係を名乗り出てくれてから1週間――わたしも日中はリサのそばにいるけれど、夜は別室で、まるごと寝かせてもらえることになった。
キュロス様も、仕事から帰ってきてからわたしとリサにキスをして、自分の寝室に入る。朝食時の顔色は良く、眠れたおかげで体力があるからと、リサとたっぷり遊んでから出発するようになった。
エラさん曰く、
「おかげ様で、夜もよくお眠りでいらっしゃいます。私もそんなに大変ではないですよ」
とのことで。
それはこちらを気遣ってのことかと思ったけれど実際に、先週よりもずっと朗らかな表情をしていた。昼夜逆転で多少睡眠不足ではあるだろうけど、それでもなお肌艶がいい。きっと他のメイドたちと断絶させたことで、気苦労がなくなったせいだろう。
人によっては一日中赤ちゃんと二人きりでは息が詰まり、鬱々となってしまう人が多いそうだけど、エラさんはもともと人見知りで子ども好き、むしろとても気が楽だと言ってくれた。
エラさん自身にも、わたし達夫婦にも、そしてリサにも笑顔が増えた。
本当に何もかもがうまく回っている。エラさんが乳母になってくれて良かった……。
そう話すと、チュニカはちょっと不満そうに唇を尖らせた。
「あのエラさんってひとこそ、何とかしたい気はしますけどねえ」
「美容隊長的に?」
「美容隊長的にぃ。特に髪の毛。髪質が悪いのは仕方ないとしても、カットとセットでどうにでもできるでしょうに」
うん、それはわたしもそう思う。ボリュームのある灰色の髪をたっぷり前髪を取って、目の下まで伸ばしているものだから、顔がほとんど見えないくらいだもの。
「服装も、大は小を兼ねるみたいにダボダボさせてて、もったいない! あれ絶対服の下にすごいの隠し持ってますよ。それでいて腰は細いしヒップの位置も高くて」
「……チュニカってエラさんとはすれ違ったくらいの接点だよね? よくそこまで……」
「一目見れば分かりますとも!」
とても楽しそうに笑うチュニカ……一体何が面白いんだろう。
「まあ実際、あの方が来てくださったのは助かりましたけどもねえ。私ももう少しお手伝いできればよかったんですけど」
わたしの指先まで揉みながら、チュニカは呟いた。
「生後六ヶ月から九ヶ月っていうこの時期、赤ちゃんが一番人見知りを激しくする頃ですから。離乳食終わったくらいになれば、私でも大丈夫だと思うんですけどねえ」
「えっ、チュニカにも育児経験があるの?」
驚いてわたしが尋ねると、チュニカは「まさか」と首を振った。
「この城に来る前、『香街』に住んでいましたから。同じアパートの住人から、お小遣いもらって子守を任されることがよくあったんですよぉ」
香街――と言うとわたしも地名だけを知っている。王都最大、国公認の歓楽街……いわゆる花街のことだ。
職人街の一本裏通りにあり、普通に生活しているぶんには目につくことはない。
夜は市場以上に賑っていて、住宅も多いと聞くけど……暮らしているのはほとんど香街の関係者、娼婦や女衒という職業のひとたちで。
なぜチュニカがそんな街で暮らしていたのか――正直、悲しい想像をしてしまった。もちろんそんなこと聞き出せるはずもなく、わたしは微妙に話題をずらして、彼女に問うた。
「あの……チュニカはどうして、この城で働き始めたの?」
チュニカは、ニヤーッと笑った。あっこれ、わたしが考えたことバレてるな……。それでも彼女は気分を害した様子もなく、むしろニコニコと楽しそうに話し出した。
「スカウトです、スカウト。うちで働きませんかって、グラナド城の使者がうちを訪ねて来たんですよぉ」
「スカウト……美容の腕を買われて、ミオかリュー・リュー様に?」
「いいえ、旦那様の夜伽の相手として」
わたしはお湯に勢いよく突っ伏し、吹き出した。巨大な湯柱が立ち、チュニカにまで飛沫が降りかる。水浸しになりながら、チュニカはニコニコ変わらぬ笑顔で手を振った。
「冗談でぇす。嘘、嘘。そんなわけないじゃないですかぁ」
「そ、そうよね!? いやでもそういう冗談は趣味が悪いと思うわっ!?」
「あはは、ごめんなさぁい。私、これでミオ様によく叱られるんですよねえ」
あんまり悪びれていないようだけれども、確かに、チュニカって前からこういうところがあるわよね。わたしも本気で信じたわけじゃなく、怒ってもいないので追及しないでおいた。
「マリー様のおっしゃった通り、リュー・リュー様の美容と健康のため、ミオ様にスカウトをされました。でも最初は娼婦と間違われたっていうのは本当です。若い女であの街を歩いているのは だいたい みんなそうですからねえ」
「チュニカは今と同じようなことを、香街の女性たちに施す仕事をしていたの?」
「はあい、そういうことです。ついでに特製の薬効入浴剤や美容石鹸が大好評で。グラナド商会づてに評判を聞いたミオ様が、買い付けにやってきたのが出会いですねえ。そこからなんだかんだとご縁がありまして この城に雇い入れてもらうことになりました」
「へえ……そういえば、初めて聞いたわ」
チュニカとも結構長い付き合いになるし、毎日のように顔を合わせているのにね。
考えてみればわたし、チュニカのことをあまり知らない。他の侍従達のことも、その過去までは詳しく聞いたことはなかった。
わたし自身、過去のことを聞かれても楽しい話ができないし……他人に聞くのは失礼になるかも、と、漠然と考えていたのだ。
そう話すと、チュニカは首をかしげた。
「そうですねえ、たしかにこの城には、過去を話したくないひと、知られると困っちゃいそうなひとも多いでしょうけれど……」
少し考えて、ニコッと笑った。
「でも、聞かれたこと自体を嫌がることはないと思います。マリー様が、知りたいと思ってくださったことが嬉しいですから」
「そうかしら……」
納得しかねるわたしに、チュニカは間違いないですと断言する。
「普通、城主が侍従に話しかけることすらありえないですからねえ。気にかけてもらえたっていうことが、私達一般庶民には光栄で、喜んじゃいますよ」
――そういわれると、わたし自身も思い当たるところがある。キュロス様にあまり話したくない出来事も、何かあったのかと聞いてもらえるとホッとするもの。そうか、無理に聞き出そうとしつこくしなければ、問いかけても大丈夫なのね。相手が言いよどんだらすぐに退いて、楽しい話だけすればいい。キュロス様がわたしにそうしてくれたように。
この城には外国人が多い。懐かしの故郷について語り合えたら、仲良くなれるかもしれない。
もこもこの泡にもまれながら、わたしは一人でウンウン頷いていた。




