みんな、それぞれ好きなもの
「おおうおうおう、まさか奥様がそんな風にお考えだなんて。このトッポ、思いもよらず」
「ああもう謝らないで。わたしがちゃんと言えば良かったの。ミオがいうとおり特別気に入った物だけ手をつけていれば――ああでもごめんなさい、どれも美味しくて! 嬉しくて!」
「ああああ奥様。おうおう、おう」
また泣き出したトッポを、キュロス様と二人がかりでひたすら撫で回して慰める。
そうしてやっと涙が涸れたのか、立ち上がったトッポは満面の笑み。
「本当に良かった! そうと分かれば、食後のデザートをお持ちいたします! トッポ、ちょうどアップルパイを焼いておりました。バターたっぷりリンゴは五個、生クリームをトッピングした、お休み前のおやつにぴったりの甘ーいスイーツでございますよぉ」
ええっ?
ウキウキと厨房へ行ってしまったトッポに、キュロス様は苦笑いで嘆息した。
「あいつが本当に『思いもよらなかった』のは、その皿数を、自分以外のひとは食べきれないという事実だな」
「あ、あの……わたし本当にもうおなかいっぱいで、デザートまではとても」
「わかってる。大丈夫、君が小食なことはもう伝わった」
小食、って言うほど食が細いわけじゃないと思うけど……リンゴ五個分のアップルパイ、いやそもそも、お休み前のおやつって何?
混乱している間に、料理長お手製の焼きたてアップルパイがドンと置かれた。お、大きい。
ところがキュロス様は平気な顔で、切り分けられたものを受け取ると、さっそくフォークを差し込んでいた。
ぱくっと一口、大きな塊を頬に詰める。
「うん、美味い。マリーも食べた方が良いぞ、明日にでも」
そしてパクパク食べ進めていく。
わたしはポカンとそれを見つめていた。
キュロス様は、わたしと違って夕食を食べ逃しているのだから、お腹の容量的には余裕があって当たり前だろう。だけどこの光景はとても異様で、わたしは恐る恐る尋ねてみた。
「……甘い物、お好きなんですか?」
「うん? 嫌いな人間がいるのか」
質問で返されてしまった。
「えっと……わたしの父はお酒ばかりで、お菓子はほとんど食べませんでしたし、男の人はみんなそうだって。……実際のところは知りません」
「そうか。そういえば俺も、他の男に聞いて回ったことはないな。この城の人間と、友人がみな普通に食べているからそういう物だと思っていた」
「トッポはトッポの作るお菓子が大好きですよぉー」
料理長のトッポがにこにこと、残ったパイを切り分けていく。わたし本当にもう――と困惑したが、トッポもそれは分かっていたらしい。切れ目を入れただけのパイを皿ごと持って、食堂から出て行ってしまった。
「……どこへ行ったの?」
「自分の部屋だろう。これは、自分用のおやつを俺に一切れ分けてくれただけだから」
なるほど。
「マリー用にもちゃんと残しておいてくれるだろう。もしくはまた焼き直すか……心配しなくても食べ逃すことはないぞ」
いや、そんな心配はしていないけども。
やがてまた厨房の扉が開いて、ミオが戻ってきた。片手にひとつずつ、大きなトレイに物を乗せている。たしかお茶を淹れにいったはず……?
「遅いじゃないか。デザートまで食べ終えてしまったぞ」
「仕方がありませんね。私も夕食を食べ損ねていましたので」
ミオは巨大なオムライスを置いた。どんっ、とテーブルが揺れる。巨大である。さっきのアップルパイよりも大きい。
「だったらさっきの、一緒に食べれば良かっただろう」
「あの量では腹の足しにもなりませんので。代わりにお茶は、イイモノをお持ち致しましたよ」
「おっ……なるほど、それか」
キュロス様がにやりと笑う。
なんだろう? 奇妙な物体だった。お湯を沸かすポットだろう、それは一般的な物だったけど、なぜか二段重ねになっている。
「これはチャイダンルックといって、東部共和国式の茶器だ。どんな貧しい家庭にも一家に一台必ずあるものだぞ」
わたしは首をかしげた。
「東部ではお茶は薬に近い物で、嗜好品はコーヒーのほうが一般的では?」
「それは情報が古いな。二百年前の戦争で、コーヒーの税金が上がっただろ? 以来、東部ではお茶のほうがはるかに飲まれている。ただ作り方がちょっと独特でな――」
キュロス様が話し始めると、ミオは「ごゆっくり」と、オムライスを持って去ってしまった。
えっ待って、二人きり?
わたしの焦りなどキュロス様は気にしない。そのまま嬉々として、二段重ねの茶器を説明してくれた。
「まずこの下の段、火にかけるほうのポットでお湯を沸かす。その熱で間接的に上段を温める。上段には茶葉が入っていて、じっくり蒸らされ味が出やすくなっていく」
「へえ……」
「いい頃合いになったら、お湯を上段に注いでさらに待つ。そうして出来上がった濃いお茶を、残ったお湯で割って飲むんだ。王国式の淹れ方とはずいぶん違うが、美味いぞ」
「手元で濃さを調節するのね。それぞれの好みになるまで……」
「そう、だから、客に振る舞うのに向いている。東部の人間は他人との交流が好きだからな。面白いぞ。知らない顔だね家に上がっていけ、買い物をしていたら店主が茶でも飲んでいけと、おちおち歩けやしないのだから」
初めて聞くことばかりだった。わたしの家にあった資料本は、言われたとおりずいぶん古い物だったらしい。それにお堅い地理、歴史の本だったから、生活感には欠けている。やっぱりこういうのは現地を体験しないと分からないものね。
東部共和国式のお茶かぁ。どんな味になるんだろう。
ワクワクしているわたしの前で、キュロス様は上段のポットを下ろし、下段から熱いお湯を注いだ。また重ねて――椅子に腰を下ろした。
そのまま動かない。
――……? ……あっ、そうか、これでさらに待つって言ってたわね。濃く煮詰まるまで……どのくらいかかるのだろう?
「大体、軽い食事が出来るくらいかな」
わたしの疑問を察したのか、キュロス様はあっさり答えた。
軽い食事……それって、結構な時間なのでは。
「じゃあ、普通は食事の前に淹れておくものなんですか?」
「いや。特に何もしないで、ポットを囲んでみんなで待つ」
「えっ」
「言っただろう、交流用だと。これはきっとそのために、わざと時間をかけて蒸しているんだ。その人の好みを聞きながら、より親しくなるよう、お喋りで時間を潰せるように」
お喋り……。
これから、二人だけで? わたしとキュロス様が?
そんなの、一体何を話せばいいの!?
焦るわたしに、キュロス様は目を細めた。頬杖をつき、わたしの顔を覗き込むようにして。
「――仲良くなろう、マリー。君の好きなものを聞かせてくれ」
緑色の瞳が、イタズラっぽく輝いていた。




