灰かぶり姫
わたしはエラさんの前でポットの蓋を取り、嬉々としてその仕組みを説明した。
チャイダンルック――なんだかすごく懐かしい。ほんの数か月前に、現地でも使用したばかりなんだけどね。でもグラナド城で利用したのは、およそ二年近く前。わたしがこのグラナド城に来て、未だ日が浅いうちのことだった。
そう、貧しい暮らしで心まで痩せて、人見知りだったわたしはあの時、むやみやたらと遠慮ばかりして、人と仲良くなることができなかった。そんなわたしの心を解きほぐしてくれたのが、キュロス様と、このチャイダンルックだ。二段式のポットで茶葉をゆっくり蒸らし、一杯の紅茶が飲めるまでには時間がかかる。それを待つ間、必然、おしゃべりをして時間を潰さなくてはいけない。間を持たせるため、いろんな話題を出さざるを得なくなるの。そうしてちょっと強引にでも、会話の機会を作るのがこの魔法の道具なのだ。
説明を聞いたエラさんは、まだぼんやりと、茶器とわたしの顔とを交互に眺めるばかりだった。
「話……私と、ですか? あの……何をお話すれば……?」
「なんでもいいのよ、例えば、しりとりとか」
「……しりとり。それって、会話でしょうか……」
そ、そう言われたら、確かに、しりとりはゲームであって雑談ではない。でもあの時は確かにそれで、キュロス様と話しやすくなったはずで――ええと。
「そう、『好きなものしりとり』! 自分の好きなものだけでしりとりをするの。そうすれば相手の好きなものをたくさん知れるし、自分で分かっていなかった楽しいことを思い出せたりするのよ」
思わず早口でまくしたてるわたしに、エラさんは「はあ」とテンションの低い返事。うっ、なんだかわたしだけ大騒ぎしてしまった。
でもリサがご機嫌で一人遊びしてくれている貴重な時間、エラさんと仲良くなる最大のチャンスだ。わたしは気合を入れ直し、
「とりあえず、楽しいお話をしましょうっていうこと。最近エラさんが楽しかったこと、なにかあったら聞かせてちょうだい?」
「……特に……ないですね」
エラさんはチャイダンルックを見つめながら、ぼそぼそと呟くように言った。
「侯爵様の御屋敷でも、ここに来てからも、だいたい毎日おなじ……朝から晩までお仕事をするだけで。何も変わったことは起きません」
「お休みの日は? どこかへ遊びに行ったり、趣味のものを買ったり」
「私にはお休みも、お給金もありません。衣食住は侯爵様に面倒を見てもらっていますから」
「ええっ!?」
思わず、わたしは大きな声で悲鳴を上げた。
その声に反応したのか、リサのむずがる声がした。わたしは一度立ち上がり、クーファンからリサを抱き上げる。気を利かせたウォルフガングが手を伸ばして、
「中庭を散歩して参ります。機嫌のよい時間なら、このジジイでもお預かりできますから」
「ありがとうウォルフガング、よろしくお願いします」
ウォルフはいつもの紳士な微笑みで一礼し、リサを連れて食堂を出る。わたしはせめて廊下まではと着いていき、食堂を一歩出たところで、執事と娘を見送った。
そして改めてゆっくり、エラさんと話をしようと振り向いて――。
「――っ!?」
声にならない悲鳴を上げた。エラさんの背中にある、一枚の紙を見つけて。
『汚い白豚女 スフェインの田舎に帰れ』
な……なんてことっ!
わたしはそれを鷲掴みにし、思い切り毟り取った。紙は糊で貼りつけられていたらしく、破れもせず簡単に剥がれた。だけど、本人に気付かれないわけがない。びっくりして振り向いたエラさんにも、侮辱の言葉は見られてしまった。わたしは慌てて背中に隠しながら、
「き、気にしないで! これは冗談……きっと、子どもの、イタズラだと思う……!」
エラさんは座ったまま、きょとん、としていた。貼り紙に書かれた文字は見えたはずだけど、ショックを受けたとか、悲しんでいる様子はない。あれっ、とわたしのほうが首を傾げてしまう。
エラさんはやはりそのまま、平常通りのぼんやりした表情で、問うてくる。
「イタズラ……ですか。なんて書いてあったんですか?」
「えっ――え……と。見えなかった、の?」
「見えました、けれど、私はディルツ語が読めませんので」
なんと、奇蹟! 良かった……!
いや良くはないか。よく考えたら奇蹟でもないわ、エラさんはスフェイン人である。彼女の主、ソフィア様はディルツ人だし、侍女ならばバイリンガルの教育をされていて普通、でも文字の読み書きまでは至らなくても普通だ。
それでもわたしの様子を見て、エラさんは色々と察したらしい。分厚い前髪の奥で、青紫の瞳をかげらせた。
「……きっと私の悪口、ですね」
「あ……」
「私が至らないばっかりに、グラナド城のみなさまに嫌われてしまったようです。不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
ぺこり、と頭を下げるエラさん。いやどうしてエラさんが謝るの!? わたしは慌てて首を振った。
「と、とんでもないわ。本当にただのイタズラ――いや何かの間違いだと思う。わたしが見ていたところ、エラさんはお城のみんなとうまくやっていたし、こんなイヤガラセされる謂れがないもの!」
必死で訴えたけど、エラさんはやはり穏やかに微笑んだまま、首を振った。
「気にしないでください。私がみんなから嫌われるのは、いつものことなので……」
「そんな……こと、ないわ……」
「本当です。私はずっと――生まれた時から――」
そう言いながら、エラさんは白い指で、自身の髪を少しだけ摘まんだ。
白い髪だ。遠目に見れば銀髪に見えたかもしれない、だが艶がないせいで白髪、あるいは灰色に見える。
ディルツ王国の民ならば、それほど珍しい髪色ではない、のだけど……。
「この髪のせいで、家族にも嫌われてきたんです。親だって私を名前で呼びません。ただ薄汚い――『灰かぶり娘』と。そう呼ぶのです」
……あっ……!
どくん、とわたしの心臓が高鳴る。
猛烈な既視感が、わたしの頭と胸の深いところを揺さぶっていた。




