灰色の侵入者②
本日二回目の更新です
「――つまり、国葬の日まで彼女をうちで預かってほしい、と?」
キュロス様の問いに、侯爵は頷いた。
その表情は一応、神妙なものだった。物憂げですらある。長い睫毛を半分伏せて、後ろのエラさんをちらりと見た。
「……ええ。すでにご存じの通り、このエラは貴殿の姉にして我が妻ソフィアの侍女なのですがね。これまたすでにご存じの通り、どんくさくて……」
「……ひぅ……」
エラさんが悲鳴とも抗議ともつかぬ、弱弱しい声で呻いた。
料理は下げ、代わりにお茶が並べられたテーブル。エラさんのぶんも置かれたが、彼女はそれに手を付けず、それどころか席にも座らなかった。侯爵の後ろで小さく小さく身を縮めて、ただ俯いているばかり。
「決して無能ではないのですが、地味な見た目も相まって、妻の神経を逆なでするらしいのです。毎日毎日エラのことを、辛気臭い、陰気、灰かぶりだと罵って……もはや虐めと言っていいほど」
「それは、私も目撃しております」
わたしの隣の席で、そう言うキュロス様の声には少し、憐憫のようなものが混じっていた。侯爵の話は真実、ということだろう。正直わたしにもその状況は想像できる。
侯爵の言う通り、エラさんはなんとも、覇気のない女性だった。無口で無表情、他人の一挙手一投足にビクッと肩を跳ねさせて、落ち着きがない。見た目も地味で、優雅さを好む貴族の好みには合わないだろう。侯爵は小さく嘆息した。
「可哀想には思うのですが、なまじ当たってはいるだけに、私も庇いきれなくて。なんとか妻の好みに合うレディへと、エラを育てられないかと考えていたのですよ」
「……なるほど。それで、なぜグラナド城に?」
キュロス様の問いに、侯爵はニヤリと笑った。
「有名ですよ。グラナド城の侍従は身分の差異もなく、伯爵とは家族同然に暮らしているのだと」
「……。ええ、まあ」
キュロス様は複雑な表情で頷いた。
「確かに、うちには平民や外国人も多く働いています。けれど別にむやみやたらと雇い入れているわけではありませんよ。高い能力と健全な思想の持主かどうか、侍従頭が審査して――」
「そう、その侍従頭っ!」
侯爵は突然大きな声を出し、エラさんがビクッと震えていた。
「ミオ、という名でしたかね? 卿の侍女でもある。伯爵や公爵夫妻に仕えているところを、何度か見かけたことがあるのです。なんとも親密と申しましょうか、主従らしくないと申しましょうか。とにかく異常な距離感だと感じました」
「否定しません、そう見えるでしょうね」
「私はそれを見て、どこの貴族令嬢かと思い、妻に尋ねてみました。妻の答えは私の想像の真逆でした。親の名も分からぬ孤児、本来ならば伯爵と口を利くのも許されない身分だと。それなのに伯爵の侍女であり、グラナド城の侍従頭――それも堂々と、のびのびと、明るく働いている! あまりにも異常な関係です!」
…………む。なんとなく、もやっとする。
いや、ダリオ侯爵のいうことは正しい。確かに、グラナド城の主従関係はかなり特殊だ。普通、貴族は一般従業員……家政婦や下僕を労うことなどない。没落貧乏男爵であるシャデラン家でも、庭師は屋敷内に入ることすらできなかった。そのくらい当たり前のことなのだ。
だけどキュロス様は違う。側仕えである執事と侍女だけに限らず、門番でも厩番でも労うひとだ。これはとても稀有な光景だと、わたしも思っている。
でもそれと、ミオが侍従頭に取り立てられたのはまた別の理由だった。ダリオ侯爵に答えるキュロス様の声には、少し不機嫌さが滲んでいた。
「ミオと私は、姉弟のように育ちました。誰よりも信用できる人間だから侍女になり、能力面で信頼のできる侍従だから最高責任者に任命しました。なにも異常なことなどありませんが」
「いえ普通はもっと委縮をするものです。しかし彼女は堂々としている……なんなら主人よりも偉そうでふてぶてしく見えるほどに」
あはは、それは本当に否定できない。わたしはちょっと笑ってしまった。
「なぜあれほどに堂々と、主に対し進言ができるのか……そして親しげでいられるのか。妻とエラとの関係を思うと、それが不思議でならないのです。できることならあの二人にも、あなたがたのような親密な関係になってほしいのです」
…………はあ。なるほど。
「要はその、主従関係を見習いたいからエラを潜入させて、こっそり観察させようと画策したわけですか」
「ええ、そういうことです。それでエラが少しでも、自分の殻を破ってくれたらと」
そう言ってから、侯爵はまた目を潤ませて、口元にハンカチーフを当て、ヨヨヨと泣きだした。
「そうしてくれないと、我が家が心地悪くて仕方がないのです。私の朝はソフィアの怒鳴り声とエラの泣き声で始まります。たまには小鳥のさえずりと、婦人たちの和やかな会話で目覚めたい……」
正直、わかる。当たり前だわ、人間だもの。機嫌の悪い人のそばに居るというのは、つらいことだ。
侯爵の境遇には同情できる。けれどそれと、侍女をこっそり侵入させる理由にはならないだろう。概ね状況を理解して、キュロス様はいよいよ嫌そうな顔をした。縦ジワの浮いた眉間を揉みながら、低い声で呻く。
「……ならば、初めからそう言ってください。国葬までの一か月間、うちで預かってくれと言われたら断りませんでしたよ。荷物に紛れてこっそり侵入させるなど……それこそミオが見つけていたら、城の屋上から放り出されてますよ」
「ぴぃっ」
エラさんが奇妙な悲鳴を上げた。
侯爵は不思議そうな顔をし、それから「ご冗談を」とけらけら笑った




