来客は突然に①
アルフレッド・グラナド公爵が亡くなって、二週間後。
春の暮れに、わたしの二十歳の誕生日がやってきた。
しかし、それが祝われることはない。公爵の国葬が行われるまでの四か月と、その後七日間、ディルツは喪に服さねばならない。すなわちお祭りや社交界、結婚式など、『祝う』イベントは全面禁止なのだ。
もちろん市民の個人宅や、王都から遠く離れた農村ではひっそりと、誕生日くらい祝われているだろうけど……わたし達は親族。グラナドの名を冠するこの城で、「おめでとう!」とやるわけにはいかなかった。
「――国の法で縛られるまでもなく、そんな気分にはならないけどね」
気持ちだけのお祝い――テーブルに置かれた薔薇の花――を指でくすぐって呟くわたし。それを聞きつけたチュニカが、わたしの背後で「えーっ」と叫んだ。結いかけの赤毛をくるくる指でイタズラしながら、唇を尖らせる。
「そんな、もったいない。待ちに待った二十歳の誕生日、こっそりお祝いしちゃいましょうよぅ」
「要らないって。それにわたし、もともと誕生日をお祝いする習慣がなかったし」
「だからこそですう!」
チュニカはリボンを編みこみながら、なんだかぷりぷり怒っていた。
「マリー様、御実家ではずっとそんな扱いで、去年は出産のためにってイプスに居て、やっとこさの今年でしょぉ? 侍従達みんな、この日を楽しみにしていたんです。サプライズも色々考えていましていましたしぃ」
「まあ、本当? 気持ちだけでも嬉しいわ」
「冗談じゃないですって。婚約式は王侯貴族のおもてなしで手一杯で、楽しむって感じじゃなかったですし」
……そ、そうだったかしら? 確かに侍従達はみんな忙しくしていたけれど、宴が落ち着いてきたころには、みんなもりもり食べて飲んで騒いでいたような気が。
まあ、チュニカの言うことも分かる。
だけどわたし含め全ディルツ国民は、それに不満を抱いていないだろう。アルフレッド・グラナドは、それほどの人物であったから。
遡ること二百年。グラナド家の始祖、ジークフリートは、時のディルツ王の弟だった。分家をしたのは百八十年ほど前のことである。
時は戦の真っ最中。ジークフリートは王命により、敵対国スフェインへと出兵した。まずディルツ国土の最南端、敵対国スフェインとの国境ぎりぎりに堅固な城塞を築き、自らを辺境伯と名乗って滞在した。ここを拠点に兵力を蓄え、南方面、スフェイン領へと進行。土地を占拠するごとに拠点を拡大し、結局、大陸の南端までも勝ち取った。グラナドの名前は当時のその地の名前である。グラナドの名は姓ではなく、英雄の勲章なのだ。
スフェインとの和平が成立し、戦後五十年、泰平の世――ほとんどの国民が戦火の熱さを忘れた現代。グラナド公爵家は、南部の膨大な土地を治めながらも、政治の表舞台にはほとんど出てこない。それでもジークフリートの英雄譚は神話のように、絵画や小説、舞台になって、面白おかしい脚色が付きながらも、全国民に親しまれている。
その末裔、アルフレッドもまた、同じく。
そんなわけで、長い時間喪に服すことに不満など無い。ただひとつだけ……キュロス様がとても忙しく、グラナド城を留守にしがちであること。そこにわたしを連れていってくれないことを除いては。
「寂しいですねえ」
わたしの気持ちを代弁するように、チュニカが大きな声で言った。
「仕方がないわ。キュロス様は喪主として、国葬を取り仕切るのですもの。きっと目が回るほどお忙しいはず。それでもほとんど毎日、帰ってきてくれているのよ」
「逆に、数日間詰めてでもさっさと用事を完了させた方が効率的な気もしますぅ」
「それはきっと、わたしを眠らせるため、だと思う。リサはわたしかキュロス様の抱っこでないと、夜通し泣き続けるから」
――そう、子育ての最難関は夜の寝入りにあり。深い眠りにつくまではとにかく抱っこ。眠りの深さが足りないと、クーファンに置いた瞬間泣き始める。
今まではミオが昼間、しっかり遊んでくれていたからまだ良かったけれど、彼女は現在キュロス様と一緒に出て回っている。子育て経験の豊富なメイドにも頼んでみたが、ミオの他に、リサをあやせるひとは誰もいなかった。
リサが特別、気難しいこというよりは、生まれてからずっと両親べったりだったせいだろう。仕方なくわたしひとりで面倒を見ているのだけど……。もとより体力に自信があって徹夜に強く、産後の肥立ちが順調だったわたしも、連日の完全徹夜はさすがに堪えた。
それが分かっているキュロス様は、どれだけ夜遅くに帰ってきても、わたしの部屋に直行して様子を見に来てくれる。それでリサがぐずっていると、寝かし付けを交代してくれるのだ。いわく、「俺は城を出ている間、馬車でもどこでも寝ているから」って……。
――深夜、ふと目を覚ました時、必ずと言っていいほどある光景……真っ暗な部屋の隅に立ち、大きな体で、赤ん坊を抱いて揺さぶっている男の背中。
子育ては大変だけど、それでも毎日毎日、震えるほどに感じてるの。わたし、幸せだなあって……。
「あらぁ? マリー様、何笑ってるんですかぁ」
わたしの頬を摘まんで、チュニカが言う。彼女こそ、いつもに増してニコニコ顔だ。思い出し笑いしていたと見透かされて、わたしは赤面した。
そう、わたしは幸せだ。キュロス様は、自身が身内を亡くされて大変な時なのに、全力でわたし達を愛してくれている。これ以上望むものなんて何もないわ。むしろわたしのほうがキュロス様を支え、休ませて、癒してさしあげなくては。
今日は日の高いうちに帰還する、と、昨夜のうちに連絡があった。わたしはきちんとオシャレをして、明るく元気な顔でお迎えしたい。今夜の寝かし付けはわたしだけで大丈夫、自室でぐっすり休んでください、と言えるように……。
――と。
ドンドンドンッ! と、突然、激しいノックに扉が揺れた。
思っていたより早くキュロス様が戻った? と思ったけれど、どれだけ急用でも、キュロス様やミオがこんな乱暴なノックなど絶対しない。
チュニカが扉を開いた途端、小さな体が、文字通り転がり込んできた。
銀髪碧眼、モノクロのエプロンドレスを身にまとった御年八歳の少女。当グラナド城の侍女見習い、ツェツィーリアだ。
「あら、誰かと思ったらツェ……きゃあっ!?」
ツェリは頭から床に倒れ込み、そのまま勢い余ってゴロゴロ前転しはじめた。わたしの足元まで転がってきたのを慌てて抱きとめると、彼女はガバッ! と顔を上げる。八歳児の、ふっくら可愛いほっぺたが床に擦れて赤くなっていた。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫なのマリー、でもそれどころじゃないのマリー! 大変なのよマリー!」
開口一番、大騒ぎするツェツィーリア。出会ってから二年近く経つけれど、背が伸びた以外、あまり変わっていない。
「お、落ち付いてツェリ。何が大変?」
「大変なことになってるの! 城門が大変なの!」
「だから何が大変……」
「とにかく来て! おじいちゃんも旦那様もミオ様もいないから、ツェリもトマスもアダムもどーしていーかわかんないのー!」
わたしとチュニカは顔を見合わせ、ともに首を傾げた。




