キュロス様のお帰りです……が。
一通り夫婦漫才を鑑賞し終えたところで、ミオが「お茶を淹れて参ります」と退室していった。
そこでアナスタジアは思い出したように、手荷物をひょいと掲げて見せた。
「そうそう、マリー、出産おめでと! 遅くなったけど、今日はその祝いを渡しに来たのよ」
一抱えほどのバスケットだ。中を覗くと、なにか木製の細工物が五つ入っていた。円柱形の鳥籠に似ていて、中にはそれぞれ色のついた玉が閉じ込められている。
「これ、もしかして赤ちゃんのおもちゃ?」
わたしが言うと、アナスタジアは微笑み、目を細めた。
「そう。自分が子供の頃、こういうの好きだったなーって思い出しながら作ってみた。リサちゃんが気に入ってくれたらいいんだけど」
「えっ、お姉様の手作りなんですか!?」
わたしは一つ手に取って、まじまじと見つめた。すごい、外側につなぎ目が見つからないわ。いったいどうやって玉を閉じ込めているのかしら。赤ちゃんがちょうど手に持ちやすい大きさで、さらに舐めても大丈夫なように、塗料は使わず丁寧に磨き上げているらしい。更によく見ると、娘の名前、エリーザベトと刻印されている。それも葡萄の蔓に似た飾り文字で……なんて繊細な仕事だろう。
「素敵……ありがとうございます。きっとリサも気に入るでしょう」
実姉が心を砕いて作り上げてくれた作品に、わたしはうっとりと見とれてしまった。思わず心の声がぽろりと出る。
「……本当に素敵……わたしも欲しいくらい……」
「って、言うかもと思ってマリーにも」
「ええっ!?」
はい、と簡単に渡されたものを慌てて受け取る。
お姉様がわたしのために作ってくれた!? こちらはさすがにオモチャではなく、木製の櫛だった。艶のある土台に、娘のオモチャとお揃いの彫刻が施されていて、素朴だけどとても可愛い。わたしは歓声を上げた。
「うわあ……! うわああ……!」
「気に入っていただけた?」
「もちろんです! 嬉しい!」
わたしが叫ぶと、姉は照れくさそうに微笑んでいた。
ああ、本当に嬉しい。どこの市販品よりも丁寧で美しくて、出来の良さに見惚れてしまったのが半分。姉がわたしのために作ってくれた、ということへの悦びがもう半分で、わたしは少女のようにはしゃいでしまった。
「ルイフォン様も! お忙しいところを、わざわざお祝いに来てくださってありがとうございます」
今更ながら、わたしは姉の夫に頭を下げた。
いつもなら飄々と、「気にしないで」と手を振る彼。だが今日はなんとなく、歯切れが悪い。
「ああ、うん。結婚祝いももらったしね」
そう言って、あたりをきょろきょろと見回す。
「……キュロス君は? 子どもの人見知りが落ち着くまで、遠洋には出ないと聞いていたんだが……」
そう問いながらも、ルイフォン様の表情はすでに曇っていた。わたしの答えを聞くまでもなく、彼は想像がついているのだろう。わたしも理解した。ルイフォン様は、親友を祝いに来たのではなく、悼みに来たのだ、と。
わたしは娘の眠りが深いのを確かめてから、そうっと、揺り籠に移動させた。空になった手を腿に置き、ルイフォン様とまっすぐに向き直る。
「公爵様は、ここ数日が峠、とのことです」
「……そう」
ルイフォン様は静かに目を伏せた。
海外に出ていたわたし達と違い、すでに情報は入っていたのだろう。
「キュロス様もリュー・リュー様も、何年も前から覚悟はしていたから、笑って見送るつもりだと言って……お二人だけで出かけてしまいました」
「そうか。うん、英断だと思う。僕も同じ立場なら、アナスタジアを公爵邸に連れて行かない」
わたしは何とも言えない心持で、黙って頷いておいた。
義父の余命宣告を聞いた時、もちろんわたしも共に公爵邸に駆けつけるつもりでいた。だけどキュロス様は頑として、わたしは留守番しているよう言いつけた。表向きは、公爵邸までの道のりが乳児と産後婦に良くないからとのことだったけど、それが言い訳だとはすぐに分かった。先月、それが落ち着いたからと船と馬車を乗り継いで帰国したのだし。
だけど食い下がる余地もない雰囲気で……。
やはり納得しかねていたわたしを代弁するかのように、アナスタジアが声を上げた。
「えーっ伯爵、妻子を実家に入れないようにしてるの? なんで?」
「そんな風に言うなよ、家庭の事情なんだから」
「だからその事情ってのを話すくらいしなさいって」
「口にしたくもないことだってあるだろう、キュロス君は昔から、他人に気を回しすぎるところもあるし」
「親友面しちゃって、王子のくせに生意気だわ」
「えっ、親友だよ!? 王子ってまあまあ身分高くない!?」
あはは、夫婦仲はよろしいようで、何よりです。
平常なら、アナスタジアを窘めるべきなのだろうけど、わたし自身同じように思っていた。
キュロス様もリュー・リュー様も、明らかにわたしを、公爵邸から遠ざけている。ミオやウォルフガングにも聞いたけど、戒厳令が出されているのだろう、何も教えてくれなかった。
……どうしてだろう? アルフレッド公爵様は、良いひとなのに。数えるほどしか会った事はないけれど、貧乏男爵の娘を嫁として歓迎してくれた。リュー・リュー様とも慈しみ合っていたし、キュロス様も父親を尊敬しているようで……仲のいい、素敵な家族だと思っていたんだけど。
だけどルイフォン様はキュロス様の学友であり、幼なじみだ。グラナド公爵家について、深い事情をご存じなのかもしれない。
そしてその全員が、わたしに悪意があって内緒にしているのではないと信じられる。わたしは聞くべきではないのだわ。もしかすると、わたし自身のために。
わたしはもう何も聞かないことにした。だが姉はまだ納得しかねているようで、夫をぺしぺし叩いて尋問していた。びくともしない騎士団長にとうとう諦めたのか、姉は嘆息し、わたしに向き直る。
「ねえマリー。大丈夫?」
青い瞳が真剣だった。
「……え……と。なにがですか?」
「伯爵様。あのひとは本当に、あなたのこと大事にしてくれてるの?」
「えっ――」
不意の質問に、思わず言葉を失くす。
――と、その時。
遠く、城門のほうからカーンカーンと鐘の音が聴こえた。グラナド城の主、キュロス様のお帰りだわ。
「出迎えようか」
という、ルイフォン様の提案に従って、わたしはリサを抱き上げた。
中庭を縦断する、城門へ向かう回廊を四人と赤子でしばらく歩く。するとちょうど中ごろ、中庭の花園を背景に、男がひとり、佇んでいるのが目についた。
「あっ、キュロス様! おかえりなさ――」
呼びかけた言葉が途中で止まった。




