新しい家族
今日、この日。
俺は、かつて求婚したひとの妹を妻に迎える。
彼女の名はマリー・シャデラン。どうやら半ば夢心地らしい、足元がふわふわしている彼女の手を取って、導く。
場所は教会ではなく、君主邸の前の大庭園。広大なスペースを、それでも埋め尽くすほどにたくさんの人間が、俺たちを拍手で迎えてくれる。
石畳のバージンロードを進んだ先には、彼女の父、グレゴール・シャデラン男爵と、指導者が待っていた。周囲にはケマルじぃじ、ベルばぁば。それからこの数日生活を共にした世話役たち、さらにたまたま式のうわさを聞いた一般通行人も、大量に押し寄せていた。イプサンドロスの結婚式では、招待状が無くても祝福の気持ちさえあれば、誰でも自由に参加できるのだ。
午前中に執り行った、婚姻の儀式とは打って変わった賑やかさ。世話役たちはイプスの楽器、サズを使って気持ちよく演奏しまくっている。
そのうちの何人かはすでにでき上がっているらしく、勝手に歌い、踊っていた。これでこそイプサンドロス人。俺は笑いながら、マリーを踊りに誘う。彼女は少しだけ戸惑ってから頷いて、俺のリードに合わせて踊り始めた。厨房からはまだまだ酒や料理は運ばれてくる。そこへ群がり、あっという間に食べつくしていく客たち。
賑やかすぎる中、マリーが大きな声で俺に呼び掛けてきた。
「これがイプサンドロスの結婚式なのね?」
「これがイプサンドロスの結婚式だよ!」
同じだけの音量で、俺も言葉を返した。
俺たちも歌い、踊って、大笑いしながらバージンロードを進んでいく。
そうしてやっと、神父――もとい、指導者の前へと辿り着く。指導者は片手にお酒を持ったまま、高らかに声を上げた。
「――やあ新郎新婦よ、おめでろう!」
どおっと上がる大歓声。それが静まるのを待つことなく、さらに声を張り上げる。
「――二人に祝福の歌を! 踊りを!」
……促すまでもなく、ほとんどの人がすでに歌っているか踊っているか、歌いながら踊っていたが。
「――このめでたい瞬間を、ともに悦び、楽しもうじゃないか! はっはーあ!」
指導者はグラスを飲み干すと、誰よりも軽快なステップで踊り始めたのだった。
後はもう、ただの宴会だ。みんなで飲んで食べて歌って踊って、とにかく一晩中楽しむしかない。
それでもやはり主役は花嫁だ。マリーはあっという間に囲まれていた。
「おめでとうおめでとう! ああ綺麗なお嫁さんだねえ」
「あ、ありがとうございます」
「本当に素敵だこと、で、あんた誰?」
「マリーと申します……」
「このドレス、すっごく素敵! この白い粒はなぁに? 綺麗!」
マリーはまだイプス式の結婚式に馴染んでいないのか、少し戸惑っているようだった。単に生まれついての人見知りかもしれないが。次から次に押し寄せる祝福に、目を白黒させていた。
「マリー、何か食べ物を取ってくるよ」
俺はマリーにそう話し、集団から離れた。食べ物より、のどを潤わせる飲み物のほうがいいかな? あたりを見回していると、祖父母が近づいてきた。それぞれ、両手にワインを持っている。
「おめでとうねえ、キュロス君。あんなに小さかった子がもう結婚だなんて。時が経つのは早いわねえ」
……俺が初めてイプスに来たのは十二歳で、その時は祖父母には会ってない。ベルばぁばとは一週間前が初対面のはずである。そう言ってみると、彼女は「あらぁ」と驚くしぐさをして、
「そうだったかしら。私ったらうっかりね!」
祖母はフワフワ笑っていた。
「こんな綺麗なお嫁さんをもらって、うちの孫は幸せだねえ。ねえ、あなた」
「うむ。だがベルよ。私もおまえと結婚して幸せであったぞ」
「まあ」
ごちそうさま、である。
二人から一つずつ、俺とマリーにとワイングラスを渡された。ケマルは俺のグラスに、音が鳴らない程度にグラスを押し当て、目を伏せる。
「本当に、時が経つのはあっという間だ。三十年も前に家出した娘の子が、結婚する年になるとは……。私も年を取るわけだ」
「…………今度来る時は、リュー・リューも一緒に連れてくるよ」
「要らん。旦那の体調が優れないのだろう? そばにいさせてくれと手紙を受け取っている」
ケマルの声は毅然としていた。だが本心ではないだろう、娘の顔が見たいに違いない。気難しい爺さんだ――と思ったが、横のベルばぁばまでもがウンウン頷いていた。
「寂しいけれど、それ以上に嬉しいの。娘は遠い異国で、親よりも大事な人と出会えたのよ。親としてこんなに嬉しいことはないわ」
「……そういうものだろうか」
俺は半分納得はしないまま、飲み込んだ。俺はマリーと出会い結婚をしても、両親を大切に思う気持ちに変わりはなかった。まだ親にはなっていないからか? 我が子が結婚する年になればわかるのだろうか。
ぼんやり考えこんでいると、ケマルは酒を一口で飲み干した。いつもの仏頂面をほんのり赤くしながら振り返り、
「あなたもそう思われるでしょう、お父上?」
大きく声を張り上げる。そこには、シャデラン男爵がいた。
頭の上に赤い猫を乗せて、仏頂面で振り返る。
「……私は強制的に連れて来られただけだ。娘の結婚を祝う気など無い」
――おっと。マリーに聞こえてないだろうな……と俺はあたりを見回した。幸い、マリーはまだ遠くでもみくちゃにされている。安心して男爵に向き直り、俺は声を低くした。
「まだマリーを使って、領主の地位に就こうと狙っているのか」
これは前々から懸念していたことである。いつか尋問しなくてはと思っていた。が、シャデラン男爵は意外な言葉を返した。
「いいや。これは……個人的な感情だ」
…………?
ええと、それは……どういう?
俺はしばらく考え込んでから、思いついたことを言ってみる。
「それは……もしかして男爵、可愛い娘が嫁にいって寂しいと」
「あほぬかせ」
即座に反論されて、思わず俺は目を点にしてしまった。このやりとりに、ケマルとベルは大笑い。なぜかものすごく上機嫌で、ケーキを取りに行ってしまった。
老夫婦を腹立たし気に睨みながら、男爵は「ふん」と鼻を鳴らす。
「照れ隠しなどではない。私は真に、我が子を可愛いとは思わなかった」
「……そうか」
「――家を護らねばという、父の言いつけで頭がいっぱいだった。しかし母のやりかたには従いたくなかった。私は母が嫌いだった。母の言うことが、正しいとわかっていればこそ、背きたくなった」
グレゴールの母……『女傑のサーシャ』。終戦前後、多くの逸話を残す人物だ。女だてらに従軍通訳者として活躍し、俺の母世代には絶大な人気を誇る。
だが俺はなんとなく、この女性に好感を持っていない。俺が男だからかもしれないが、幼い姉妹に厳しく当たったのは事実、優しい祖母ではなかったと思う。尊敬はできるが、家族にするには欠陥のある人物……妻として、母親としても。
それでもグレゴールに同情する気はない。俺は男爵が実母を嫌った以上に、マリーを長年傷つけたこの男が嫌いなのだ。
「つまり母息子二代で、親に向いてなかったんだな」
そう、完全に皮肉で言ってみた。これまでの男爵なら、顔を真っ赤にして怒鳴り返すか、わかりやすくフンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。だが今日は、表情を変えもしなかった。
「そうだな。人には向き不向きがある。私は妻子を可愛がることができない男だ」
仏頂面のまま続ける言葉を、無言で待つ。
「――だから、他人に任せる。貴様はそれが得意なようだ。……よろしく頼む」
「ああ。任された」
俺はしっかりと頷いた。
……ついでに、なんとなく男爵の頭を撫でてやりたい衝動にかられたが、両手がワイングラスでふさがっているので諦めた。
二人分のワインを持って、踊る人々を避けながら、バージンロードを歩いて戻る。
進んだ先には花嫁、マリーがいた。
参列客から渡されたらしい、山ほどの花束を抱えていた。だが彼女はどうにかそれを持ち直し、新たに一輪、花を受け取ろうとしていた。差し出しているのは十歳くらいの少女で、粗末な服を着ている。手に持っている花も、そこらへんで摘んだような野花だ。それを、マリーは嬉しそうに受け取っていた。
「ごめんなさい、あたし、綺麗な花嫁さんにこんなお花しか持ってこれなくて」
「とんでもない、とても嬉しいわ。ありがとう」
「ありがとうは、あたしたちなの」
少女はもじもじしながら、オグランに話を聞いたとマリーに伝えた。するとマリーはますます嬉しそうに目を細めて、花束から大きな薔薇を一つ取り、少女の髪に差した。
するとほかにも少年少女が飛び出してきて、寄ってたかって花を出す。一つ一つ、礼を言いながら受け取るマリーはまるで女神のように美しく、神々しくすら見えた。
人の途切れた隙を見計らって、俺はマリーに近づいた。
「綺麗な花嫁さん、俺からの贈り物を受け取っておくれ。花ではなく、葡萄の実から作った飲み物だけど」
ワイングラスと交換に花束を受け取ろうとした、が、マリーは首を振った。
「ごめんなさい、お酒は、やめておきたいのです」
「おや、どうして? こんなグラス一杯で酔いもしないのは実証しただろう」
「ええ、でも、念のため。世話役の女性によれば、今の時期ならむしろ大丈夫らしいんだけど――」
「時期? なんの?」
「……ええと、その……まだはっきりしたものじゃなくて、自分の体感というか……多分、おそらくといったところなのですが――」
「マリーさーん!」
何か言いかけるのを遮って、横からカエデが飛び込んできた。こっちはすっかりでき上がっているらしく、酒瓶とグラスを持って赤い顔。
「結婚おめでとうっ! 本当に綺麗だよ!」
「ありがとうございます。カエデさんからいただいた、真珠のアクセサリーも……」
「ええまったく、深紅のドレスにぴったり! 私天才!」
……こいつ、本当に飲みすぎてるのか? それにしてもご機嫌すぎるというか……いやそれは今朝、計画書を書いていた時からずっとだな。その前日にはむしろ、ふさぎ込んでいたように見えたのだが。まあ、アンジェロの意識が回復したせいだろうと理解しておく。
実際、アンジェロはかなり回復をしたらしい。杖をつきながらも自力で立っている。さすがに酒は控えていたが、料理が山と積まれた皿を片手に祝いの言葉をくれた。
「マリー殿、ドレスも真珠も本当にお似合いでござる。天然真珠の広告塔役も、大成功間違いなしでござるな」
「ええ本当、間違いないね!」
カエデもウンウン頷いて言った。
「まさに花嫁の象徴! 女性が大粒の天然真珠を身に着ければ恋愛成就、幸福な結婚を祈念するっていう、売り文句にぴったりね。この路線で、天然真珠を売り込む企画を練り上げていきましょう」
「賛成だ、グラナド商会も全面的に協力する。旧王都市街地の開発も急がせて、なるべく早く工場を稼働させて……」
だが当の本人、マリーは少し考え込むしぐさをし、何か、いたずらっぽく目を光らせた。
「あの……その件なんですけど。もうひとつ別の意味を持たせてみるのはどうでしょうか」
「と、いうと?」
「なんというか――珠のような? 体の中に、大切なものを育てるっていうのがちょうどイメージにぴったりだし。これを身に着けた花嫁は、早めに授かるということで」
「??」
「???」
俺とカエデは並んで首を傾げた。
マリーは別に、もったいぶっているわけではないだろう、だがどう言葉にしていいか迷っているようで、口をもごもごさせていた。無意識にだろうか、胸の下を……腹部を手でさすっている。
ぽん、と手を打ったのは、アンジェロだった。
「ああ、なるほど。めでたしめでたし、でござるな」
……。…………? …………。
「…………あっ。えっ? ああえぇぇえっ⁉」
俺は大きな声を上げ、目を剝いてマリーを見下ろした。彼女は恥ずかしそうに、だが幸福そうに微笑んで、花束に顔をうずめていた。




