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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
遥かなる海と大地と遠い国での結婚式

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結婚前夜―クナジェスィ―②

 

 結婚前夜――クナジェスィ。イプスの言葉で「クナの夜」という意味の言葉になる。


 イプサンドロスの結婚式において、花嫁の最大イベントがこの夜だった。


 ハレムの一室を花嫁の生家に見立てる。花嫁であるわたしは、世話役の女性たちに導かれ、中央の椅子に座る。頭には赤いチュールのヴェールを被る。ヴェールがキラキラしているのは銀糸の刺繍だ。小さなろうそくを手にした人たちがわたしの周りを囲み、色々と話しかけてきた。内容はいかにも友人、知人が嫁ぐ女性にかけそうな言葉である。


「結婚おめでとう、ああ本当に綺麗よ!」

「とうとう行ってしまうのね。ああもう二度と会えなくなるなんて寂しいわ」

「あなたとの思い出、ワタシは一生忘れない。あなたの幸せをずっとずっと祈っているから」


 と、いう具合……だけど、そう言っているのはこの数日で顔を合わせたばかりの世話役のおばさまたち。もちろん良くしていただいたし、明日でお別れになるのは寂しいけれど、メッセージの湿度がなんだかちょっと高すぎるような。というか、若干棒読みのような。五人目なんて、「ええとなんだっけ……」とセリフを思い出そうとしているし。


 確かに、本来このクナジェスィに参加する女性は、親戚や友人、花嫁をよく知る親しい間柄だけが集まるもの。異邦人のわたしはイプスにそういったひとはいないので、世話役の女性たちが役割を担ってくれた。つまり、この別れのセリフも全部台本。

 なんだか意義の分からないイベントだけど、大事なんだって。


 ぼんやりしていると、カエデさんがわたしの前にやってきた。昨日泣きながら寝たせいで、目元がまだ腫れぼったい。そしてお酒が残っているらしい、頭痛をかみつぶしたような顔で、それでもなんとか、袂から紙束を取り出した。


「……手紙を書けって言われたから、書いたわ。なんか今日、必要な儀式の一つなんだって」

「えっ⁉ そ、それは、お手数をかけてごめんなさい」 

「別に。でも私、イプス語はもちろんサッパリだしフラリア語は話せるけれど書けないから。ミズホ語で書いたよ」

「えっ」

「国に帰ったら辞書引いて訳して読んで。……あー、咽喉がガラガラで喋るのもつらい」


 と、渡されたのでとりあえず目を通しては見たけれど、やっぱり読めない。仕方なく丁寧に折り畳み、『贈り物置き場』に乗せておいた。そこには婚家――つまり、キュロス様からの贈り物が、花や蝋燭で飾り置かれていた。山のように積まれてたその中心から、ベルばぁばが何か、器を取ってやってきた。わたしの前に腰かけ、わたしの手の甲に金貨を押し当てる。


「婿からあなたへの贈り物に、不満が無ければ、手のひらを開いて」


 これはあくまでも儀式だ。結納金はずっと前にキュロス様からたくさんいただいている。わたしに不満などあろうはずもなく、手を開いてベルばぁばに見せた。

 するとベルばぁばはわたしに金貨をあずけ、足元に用意していた器を持ち上げ、膝に乗せた。中には何か黒々としたものが入っていた。スプーンでぐちゃぐちゃかき混ぜながら、ベルばぁばは歌うように話す。


「これがクナ。クナジェスィはこれを塗るからその名前がついているの」

「クナ……植物を原料にした染料ですね。東部ではお化粧のように体に文様を描くと聞きますが……」

「そう、魔除けと、心身を浄化させる意味があるのよ。幸せになるように、お金に困らないように、というお守り……白髪染めにも使えるけれど」


 そう言って、わたしの手の上にクナを置き、スプーンで楕円の形に広げた。それから手首に向かって線を伸ばし、複雑な文様を描いていく。

 うわ……すごい。ただのスプーンをまるで絵筆のようにして、文字を書いているみたい。本当は結婚式でこういう模様は描かないそうだけど。


「二週間くらいは残ってしまうからね。可愛い模様のほうがいいでしょう?」


 とのことで。確かに、伝統を残しながらも可愛くできるならそのほうが楽しい。それに、この穏やかな時間が少しでも長く続くのが嬉しかった。ベルばぁばの、少し乾いているけれどふくよかで温かい手。彼女の手と触れ合っていると、遠い、祖母の記憶を思い出す。


 お祖母様……サーシャ・ティリッヒ。わたしが五歳になる前に病で亡くなってしまった。一緒に暮らしていた頃の記憶は曖昧だ。ただ美しいひとだったように思う。年齢を重ねてもなお輝く金色の髪に青い瞳、『女傑』と言わしめた怜悧な眼差し――……ベルばぁばのふっくらした顔に、一瞬だけ重なって、ぼんやり消えた。 


「マリーさん。あなた、お年はいくつだったかしら?」

「……十八……もうすぐ十九になります」

「私が結婚したのは十六歳。初めて子供を産んだのは、あなたと同じ十八歳の時……()せ返るような、夏の暑い日だった」


 ……?

 わたしは何か、違和感を覚えた。


 唐突な思い出語りは、いつものベルばぁば通りだけど……口調が違う。思いつくまま話しているというよりは、一所懸命に覚えた脚本を読み上げているようだった。もしかして、これも儀式のうちのひとつだろうか。

 意図は分からないけど、キュロス様、リュー・リュー夫人にまつわるお話だ。興味深く、わたしは聞き入った。


「――最初の子は男の子。次の子も男の子。良い嫁だとみんな褒めてくれたわ。『女なんか産んでも金がかかるだけだからね』って。だけど私も夫も、娘が欲しかった。やっと生まれた娘にはありったけの愛情と、時間とお金を掛けてあげた。私が得られなかった女の幸せを、我が子には知ってほしかったから。私ができなかったことを、娘にはさせてあげたかったから」


 ――私ができなかったぶん、マリーは好きな仕事をしてね――。


 誰かの声が頭の中によみがえる。


 ……これは……サーシャお祖母様? いいやアナスタジアだ。彼女が輿入れの馬車に乗る前日に、そのようなことを話してくれたんだ。

 でも、どうしてだろう、サーシャお祖母様の声が聴こえる。お祖母様がわたしに、そんなことを言うはずがないのに。

 ベルばぁばの語りは続く。


「だけど、それはやっぱり私の夢だったのね。娘……リューを喜ばせることはできなかった。ケマルが教える学問は退屈と言って逃げ、シルクのドレスは走りにくいと脱ぎ捨てて……貧しい家の子を集め、歌と踊りを披露していた。私たちは叱りつけ、はしたないことをするなと束縛して――あの子は家を出ていった」


 その後のことは少しだけ、わたしも本人から聞いている。


 たまたま街に来ていた芸団に飛び込んで、見習いとして働かせてくれと頼みこんだ。イプス国内を巡業し、さらなる躍進を求めて海に出た。ディルツ国に着いてすぐ、街道の宿で小さな赤子を拾ってしまった。ディルツに二年も滞在したのは、その子の親探しという目的もあった。

 やがて運命のひとに出会い、子どもも生まれた。リュー・リュー少女は、そこで初めて両親に手紙をしたため、自分の居場所を報せたのだという――。


「……毎日毎日、娘を探したわ。心配で心配で、死んでしまいそうだった」


 ベルばぁばは静かに語る。


「届いた手紙を読んで、ケマルは怒ったわ。だけど私は……娘に謝りたかった。私と娘は、違う人間。それがわかっていなかった、ごめんなさいと言いたかった。


 あの子がここに帰ってきたならば、私はあの子に伝えたい。愛している。あなたの幸せを心から願っている。私は後悔しているの。もっとあなたを抱きしめたかった。そばにいてほしかった。一緒に暮らしていきたかった。愛している。愛している」

 ベルばぁばがクナで描く文様が、わずかに歪んだ。


「こんなに愛しているのに、あの子は異国に嫁いでしまった。もう二度と会えない」


 いつの間にか、わたしの周りを世話役の女性たちが取り囲み、ゆったりと舞いながら、鈴を鳴らして歌っていた。

 イプサンドロスの歌だった。



 ――高い高い山の上に 家を建てないでおくれ

 遠い遠い国に 娘を連れて行かないでおくれ

 わたしの大切な娘をどうか大事にしておくれ

 空飛ぶ鳥よ わたしの言葉を伝えておくれ――



 ――お母さんお母さん わたしは恋しい

 母と父と暮らしたあの村が

 恋しくてたまらない

 お父さん、馬に乗って訪ねてきてね

 お母さん、舟の帆を立て遊びに来てね

 兄弟よ、道を覚えて遊びにきてね――



 ……悲しい歌だ。


 どうしてお祝いの席で、こんなに悲しい歌を聴かせるのだろう。ベルばぁばも、寂しい話をしたのだろう。笑顔で祝福してくれたらよかったのに……そんな恨みがましい気にもなる。

 だけどベルばぁばの語りも、世話役たちの歌声も切なすぎて、わたしの心はもうガックンガックンに揺さぶられてしまった。シャンシャンという鈴の音すらもの悲しい。

 どうしよう、涙が止まらない……。


「う……ぐすっ……」


 とうとう、わたしは顔を覆って泣き出してしまった。――すると。


「ようし、泣いたぁっ!」


 ベルばぁばは立ち上がって、歌っていた世話役たちとハイタッチした。


「……えっ?」


 ど、どういうこと?


 キャッキャと笑い声を挙げながら、手を取り合ってぴょんぴょん跳ねている女性たち。ベルばぁばもニコニコしている。恐る恐る、これはどういうことかと尋ねてみると、満面の笑みですぐに教えてくれた。


「クナジェスィではね、花嫁が泣くと幸せな結婚ができると言われているの。だから涙を誘う悲しい歌や物語(おはなし)を聴かせる習慣があるんだけど……言ってなかったかしら?」

「き……聞いてませんでした」


 悲しい気持ちと一緒に、全身の力までがスウッと抜け出ていき、わたしはその場に脱力していった。

 そんなこんなで、クナジェスィはまだまだ続く。

 世話役たちがまた別の歌を歌っている間に、わたしは一度、衣装を換える。その後は花嫁も一緒になって、皆で輪になって踊るらしい。イプスの踊りがよくわからず固まっていると、強引に手を引かれ、くるくると回転させられた。

 畏まったルールや、振り付けなんかは無いらしい。とにかくクルクル、クネクネと、音楽に合わせて体を動かす。みんながとても楽しそうなので、つられてわたしも楽しくなってきて、カエデさんも捕まえて体力の限り踊り明かした。

 気が付けば夜明け前、冬の空も白み始める。いつのまにかカエデさんもいなくなっていて、わたしの体力も限界に。


「あ、あの……あしたっ……今日? は、式本番なので……そろそろお開きにしませんか?」


 まだまだ元気に踊り続けている女性たちに、わたしはフラフラしながら進言した。するとあっさり、寝室に引っ込む許可が出た。女性たちはこのまま踊りたいだけ踊るから、疲れた花嫁は勝手に引っ込んでもいいとのこと。

 ……手順は色々とあるわりに、最後は適当なイプスの儀式である。


「では、休ませて頂きますね。おやすみなさい、また明日」


 目にもとまらぬ速さでお尻を振っているベルばぁばに声をかけると、とびきりのいい笑顔で挨拶をくれる。


「ええまた明日! いよいよ式の本番ね。おやすみー!」


 ……本当に元気だなあ。


 ベルばぁばの四分の一ほどしか生きていないのに、わたしはすっかり踊りつかれ、クタクタだった。寝室に戻ってからも、あまりに疲れすぎて眠れない。

 しばらくベッドに寝転がってみたものの、やはり体が火照って休まらない。目を閉じると、瞼の裏にベルばぁばの激しく揺れるおしりが映る。ああ幻聴まで聴こえてきたわ。まだ耳元であの歌と、鈴の音が聴こえているような――。


 ……ん? 違う。鈴の音じゃない。


 わたしは目を開け、身を起こした。


 何か、音楽が聴こえる。クナジェスィで女性たちが鳴らしていた、あの鈴ではない楽器、まったく違うメロディだ。

 ……ハレムの中じゃない……もっと遠く……窓の向こう。

 弦楽器……リュート? まったく聴いたことのない音で、何の楽器なのかも分からない。だけどなぜか……猛烈に惹き付けられる。どこか懐かしい気がしてならないのだ。


 わたしはベッドを置きあがり、毛皮を羽織って外へ出た。



おしらせ ずたぼろ令嬢6巻、小説&漫画版ともに8月10日発売です!

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― 新着の感想 ―
[良い点] すーっと、悲しみを胸についてくる話の作り方がすごくよかったです。情緒を揺さぶってくれます。 [一言] 2023/8/9にコミカライズ版の無料配信の第28話(3)が更新されるという同じ日に、…
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