夢みていた暮らしと、夢のような暮らし。
伯爵城を一周して、わたしはここがずいぶん多国籍な空間だと気がついた。まず、使用人の多くが移民、あるいは混血児だ。全員が流暢な王国語を話してはいたが、外見に明らかな特徴がある。
そのせいだろうか、館のあちこちに、異国の気配があった。
どこかの神らしい、異様な造形の彫像。外語が綴られたタペストリに、王国にありえない景色の絵画。東部共和国のものが多そうだけど、全くそれらしくないものもある。
……わたしが寝泊まりしている部屋は、ディルツ王国のものだけかな……それに少しガッカリしながら、わたしはミオに尋ねた。
「キュロス様は、イプサンドロス以外とも貿易をしておられるの?」
ミオは首を振った。手元で不思議な香りのお茶を淹れながら。
「基本的にはイプサンドロスとだけですね。海路を使い買い付けています。それを王都内やまた別の国へ卸すのが、グラナド商会の商いです」
「では、食堂前のタペストリーも東部のもの?」
「ああ、あれは料理長トッポのお土産です。北西の半島国フラリアの」
「……玄関にあった人形のような置物は」
「庭師ヨハンの。バンデリー群島諸国で伝統のお守りだそうで、自分で作ったそうですよ」
「使用人にずいぶん異国人が多いのね」
「旦那様は偏屈なのです」
ミオはさらりとそう言った。主に偏屈って!? 酷い言い方だが、その口調に毒はない。むしろどこか自慢げだった。
「旦那様は容姿が母親似なだけで、王国人で間違いないのですけどね。……どうも、王国選民思想というのがお嫌いなようで、積極的に異国出身者を採用しております。もちろん腕が確かだからこそですが、よそでは門前払いだった使用人達は、旦那様を慕って仕えています」
「ミオは王都の出身なの?」
「私は捨て子です」
彼女は頷きも首を振りもせず、ただそう答えた。
「旅街道の宿に生み捨てられていたので、出自は全くわかりませんね。髪や目の色からして、王国の人種だとは思われますが」
「……そ、そうだったの。ごめんなさい」
「謝らなくても大丈夫ですよ」
その声はまったくいつも通りの平坦なもの。本当に気にしていないらしい。変わらぬペースで作業しながら、続ける。
「旅の芸団に拾われて、彼女らとともに王都へ入りました。興行中、公爵に見初められたリュー・リュー夫人は、まだ幼児だった私を連れて、公爵の側妻となったのです」
「まあ! じゃあ、ミオはお二方の養子……!?」
「いいえ、あくまでも保護です。公爵という立場にもなれば、子持ちの異国人を娶るわけにはいきません。私はリュー・リュー夫人の子ではなく、将来の侍従として身請けしたことにされたのです」
なるほど……以前、ミオは幼い頃から公爵家に仕えていたと言ったけど、本当に幼い……物心つくより前から、彼女は侍女だったんだわ。
クスッ、とミオの笑い声。
「けっこう楽しく暮らしていましたよ。旦那様が幼いころは、わたしがあやしたりもして」
――ん? ミオって何歳? キュロス様より年上?
「――このように、従者の多くは得体の知れない、育ちの良くない者です。しかし旦那様の忠実なしもべ。マリー様に危害を与えることは決してないとお約束します」
「えっ? ……ええ、もちろん」
「ハンナとイルザは由緒正しい騎士の生まれです。私と違い、貴族の矜恃も持つ者ですから、マリー様の侍女にふさわしいでしょう」
……? しばらく意味が分からなかった。淡々と茶菓子をセッティングするミオの横顔を見つめ、やっと理解する。
そうか。普通、王国貴族は異国人を嫌う。素性が知れないからだけでなく、王国選民思想である。
戦争でも経済でも勝ち抜いてきたこの国は、自分たちが世界一強く、優れた人種だと思っている。貴族ともなればなおさらだった。
それはシャデラン家でも同じ。お父様は、どれだけ格安でも家政婦に雇うなんてとんでもない、それくらいなら自分でやるわい! って……まあやっていたのは全部わたしだけども……。
そう、わたしこそ、奴隷のような暮らしをしていたのよ。誰の生まれ育ちを卑下できるというの。
むしろ積極的にお話ししたい。異国の暮らしや文化について、生の声を聞く機会なんてめったにないもの。本で名前を識っているだけの英雄や、詞だけを暗記した古い歌。虹色の羽を持つ巨大な鳥の、この世のものとは思えない奇妙な声……どんなものなのだろう。聞きたいことは尽きない。
そんな人たちと、ひとつ屋根の下――広大だけども――に住んで居るだなんて。嬉しい! これこそ、本当に夢に見た暮らしだった。
……だけど、話し相手として与えられたのは、王国貴族のハンナとイルザ。
貧乏男爵の娘とは違う、本物のお嬢様だった。社交界に出たこともないわたしは、どう接していいか分からない。マリー・シャデラン男爵令嬢は、貴族として振る舞ったことがない。
だけどキュロス様は、いろいろと慮ってあの二人を就けてくれたのだろう。わたしはその厚意を無碍にせず、伯爵夫人として慣れていかなくてはいけないんだわ。
わたしは微笑んで見せた。
「いろいろと気遣ってくれて、ありがとう。貴方たちが恥ずかしい思いをしないよう、わたしもこれから勉強していくわね」
ミオはなんとも言えない、苦い顔をした。
食事の後、髪結い師がやってきた。伯爵家専属というわけではなく、王都で店をやっている腕利きらしい、年配の女性だ。わたしの髪をじぃーっと眺め、複雑な角度でハサミを入れて、わたしの髪型を整えてくれた。それからチュニカも参戦し、二人でわたしの髪をアーダコーダと相談。
その後、昼間から風呂に入れられて、また髪を何かに浸けられた。そのあともう一度散髪。乾かしてから良い香りのオイルを塗られ、丁寧に結い上げられた。編み込みをミオが熱心にメモを取っていた。
昼食は、朝食に輪を掛けて豪華絢爛だった。村のお祭りかと思うほどの品数を、少しでも消化するよう努めることで精一杯。もう、何を食べたかわからない。
休憩を挟んで、中庭へ。昨日は色とりどりの花が植わっていた一角が更地になっていた。ここにわたしをイメージした彫像が立つのだという。ちょっと意味が分からない。
困惑しながら部屋へ戻ると、じきにまたサロンへ呼ばれた。訪ねてきたのは、美術画家。わたしは厚化粧とド派手なドレスと宝石で飾られて、豪奢な椅子に座らされた。そのまま四時間に及ぶスケッチ……あとで聞いた話、こうして肖像画を描いてもらうのは貴族として当然の嗜み。なかでもあの画家は、王都で大人気の新進気鋭だったという。わたしが驚くと、「まさか知らないとは思いませんでした」と逆に驚かれてしまった。
それからまたお風呂とマッサージ。そのまま食堂へ行くと、とんでもなく豪勢な夕食。
料理長が巨大なチーズを片手に、お好きなだけ削っておかけしますと言ったけど、昼食がまだ消化し切れていないような状態で、やっぱりずいぶん残してしまった。
部屋に戻ってくつろいで、ミオがお茶を淹れてくれる。二口飲んだくらいでウトウトしてきた。
「お疲れですか? 湯をお持ちしますね」
それで口を漱ぐ。わたしがベッドで横になると、ミオが毛布をかけてくれる。わたしは苦笑した。
「赤ん坊じゃないのよ。そんなことまでしなくていいわ」
「貴族ならどこの家でも普通です。マリー様は伯爵夫人となられるのですよ」
……そう言われたら、従うしかない。
「明日は婚約式用の曲を作るため、王都から楽団がやってきます。お休みなさいませ、マリー様」
「……おやすみなさい……」
なんだか、すごく疲れたなあ。
……疲れすぎたせいかな。あったかくてふわふわのベッドは夢のような心地なのに、なぜかなかなか寝付けなかった。
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