ルナティック・ムーン【中編】
……なんだろう?
三日目の夜。俺は、何とも言えない違和感に首を傾げていた。
何か……世話役たちの態度が、いつもと違う。
今まで、彼らは毎日毎時間、俺の部屋に出入りして何かと話しかけてきた。イプスの婚姻は男性の家が主体となって取り仕切る。式の段取り確認や小物の取り寄せ、晩餐のメニューなど、決めることは山積みだ。彼らはいちいち俺の部屋に来て、発案書、計画書、見積書、請求書の順で持ち込んでくる。入れ代わり立ち代わりで落ち着かず、夕食前にはへとへとになってしまった。
だがしかし、そこから突然、解放されたのだ。この二日間よりも少し早い時間に食事が運ばれ、食べ終わるとチャイもそこそこに膳を下げられ、「ごゆっくり」と退散していく。さらに部屋を出る前、お互いチラチラと目配せをし、ニヤニヤと下卑た笑いまで浮かべていた。
そうして俺は、宵の口から部屋で一人、ぽつんと暇を持て余していた。
……どうしよう。やることがない。
グラナド商会の仕事は他人にきちんと預けてきたし、手元には暇を潰せる本やおもちゃもない。あまりの退屈に、俺は世話役の宿舎を訪ね、晩酌に誘ってみた。だがいつも夜遅くまで宴会をやっている彼らは、今夜はずいぶん早く床に入ったらしい。ドアをいくらノックしても、誰も返事をしなかった。
……なんか俺……避けられている?
「……何なんだいったい……」
彼らの態度は気になるが――それより、目下の問題は今夜の暇つぶしだ。本当にやることがない。まだ眠くもない。俺はベッドの上に胡坐をかき、腕を組んで唸った。
……暇だ。こんなに暇な時間があるなら、仕事道具を持ってくればよかった。
いやそれよりも、ちょっとくらい花嫁と会わせてくれてもいいじゃないか……。
人間、退屈だと悪い考えが浮かぶものだ。仕方がないと一度は呑んだ恨み言も、再び湧いてくる。
「マリー、今頃どうしているだろう」
呟いて、ため息を一つ。
花嫁は式の当日まで、徹底的に身体を磨かれ、美しく飾り立てられるらしい。そう聞くと優雅で楽しそうだが、きっと衣装選びやなんやらで、マリーも忙しくしているのだろう。今頃は疲れ果て、ベッドでぐったりしているだろうか。あるいは俺と同じように、暇を持て余しているかもしれない――。
いや、マリーだったらそれはないか。いつも鞄の中に本を数冊入れていたしな。いやむしろ本よりも、旧王宮を興味津々で眺めているかな?
あの温かな山吹色の目を、子どもみたいにキラキラさせて……部屋のレリーフに指を這わせて、熱っぽいため息を漏らしているかも。
そんなマリーを想像して、俺は思わず。笑い声を漏らした。
クックッと笑いながら、自然と言葉がこぼれ出る。
「会いたいな……」
――口に出してしまうと、想いは一層強くなる。
会いたい。顔が見たい。声が聞きたい。
抱きしめたい――求めれば飢えは強くなる。
もし今夜、式の準備でもっと忙しければ――あるいは、誰かが晩酌に付き合ってくれていれば、俺は「良い子」でいられただろう。
結婚式当日まで花婿は逢ってはならない――という、ルールを、俺はちゃんと守れただろう。
だが……ちょっとだけ。顔を見るくらい、いいよな?
自分の懇願に自分で是と許可を出す。
俺は壁からカンテラを取ると、そっと足音を忍ばせ部屋を出た。
月がとても綺麗な夜だった。




