ルナティック・ムーン【前編】
食事が済み、テーブルにスペースが開けばチャイダンルックが運ばれてくる。食後のお茶も、イプサンドロス料理のお決まりだ。わたしも飲み物なら入りそうなので、その場に留まり、女性たちと一緒に茶葉が蒸れるのを待つ。その間は当然、ずっと車座になって談笑していた。
……本当によく喋るなあ……。
わたしもコミュニケーションは好きだけど、どちらかと言えば話すよりも聞く方が好き。それに、彼女たちを楽しませられる話題が無くて、二日目にはほとんど無言で相槌を打つだけになっていた。それでも楽しいけど……そろそろ夜も更けてきた。
ここへ来て三日目、式本番まであと四日に迫る夜。
こんな時に体調を崩すわけにはいかない。食欲不振に加え睡眠不足では、体力が落ちてしまう。ちょっとした風邪でもこじらせてしまいそうだ。結婚式当日は、キュロス様とも再会できる。グッタリした顔なんてしていられないわ。
暖炉を焚いているとはいえ、イプスの夜は湿って冷え込む。このチャイでしっかりと体をあたためて、体調の回復につとめなくては。――そんな風に気合いを入れ直していると。
「で、マリーさん。彼とのなれそめはどんなだったの?」
「――ぶふぅっ!」
不意打ちを食らい、思い切りチャイを噴き出してしまった。
「ごほっ、熱っ、こほん、な、な、な。どこって、それは」
「あら可愛い、真っ赤になっちゃった!」
「まあ本当、初心なのねー」
大笑いする女性たち。なんだ、からかわれただけなのね……と安堵するより早く、
「告白はどっちから?」「喧嘩したことはある?」「ライバルとかいなかったの?」「ほかにも男性を好きになったことはある?」
と、ものすごい勢いで質問が飛んでくる。どうやら彼女たちはこの三日間、質問の機会をうかがっていたらしい。答えるより早くまた問われて、わたしはひたすらに「あわわわ」と意味のない言葉を吐き続けた。ひええ。
「あ、あの、出会ったのは、わたしの誕生日。だけど主役はわたしじゃなくて姉で……それでわたしも彼も勘違いをしてしまって……」
「勘違い? どんな?」
「ねえ彼のどこが一番好き? 彼はあなたのどこが一番好きだって言う?」
ひええええ。
ああもう、どうしていいかわからない! わたしは恋愛談義にもあまり免疫がないけれど、それ以上にこうして、質問攻めにされるのがちょっと苦手みたいだった。
みんな公平に、順番通りに回答しなくちゃと思うけど、全部答えるより前に新しく質問されるから、どれから答えていいかわからなくなる。
そんなわたしの反応を、彼女たちはひとしきり楽しんだあと、顔を見合わせてクスクス笑った。
「本当に可愛いお嫁さん。お婿さんにも愛されて幸せね」
「ええ本当に。お婿さんはあなたが可愛くて仕方ないのでしょう。式場に旧王宮を貸し切るなんて。世話役を五人も雇って、お給金も太っ腹。どれだけお金持ちでも、こんなふうにはできないもの」
とキュロス様のことを口々に褒め始めた。
貸し切りとか給金の設定は、たぶん、ケマルさんが勝手にやったんじゃないかしら……?
とは言え、実際に支払うのはキュロス様だろうし、事後報告にせよ了承したのだ。そうでなくても普段から、キュロス様からの愛情はこれ以上ないほど感じている。
愛されて幸せね――なんて。少し前のわたしだったら、お世辞と受け止めるどころか、何を言われたか理解すらできなかった言葉。だけど今は……素直に頷くことができる。
「はい。わたし、幸せです……」
思わず頬を染めて、答えるわたし。
女性たち五人も嬉しそうに微笑み、顔を寄せ、なにやらひそひそ話を始めた。
「……本当に綺麗な花嫁さん……きっと婿さんは可愛くてしょうがないでしょうねえ」
「ええまったく。婿さん、初日に突撃してくるかと思ったけれど、案外よく耐えるわね……」
「そうね、とはいえ今日で三日目。きっと今夜あたりが限界よ」
――と、クスクス笑っている。
何だか、変な雰囲気なんだけど……なんだろう?
「あの、今夜が限界って何の話ですか?」
「あらやだ、言わせないでよ。マリーさんもイジワルねえ」
「待って、彼女は外国人でしょう? きっと本当に知らないのよ――夜這いのこと」
「よ……よばい?」
わたしが聞き返すと、彼女らはいっせいにキャーッと歓声を上げ、手を叩いて大喜びした。わたしを放置して結構な時間お祭り状態になって――わたしの耳元まで寄ってきて、そうっと小声で教えてくれた。
イプサンドロスの結婚式前夜の伝統――『夜這い』文化について。
曰く。イプスでは倫理上、多くの国と同じく少年少女は夫婦となるその日まで、清い身体でなければならない。万が一あやまちを起こさないよう、未婚の男女は同室になってもいけない――とされているのは、真実である。
だがそれはあくまで、表向きのこと。愛し合う若い二人は止まらない。多くのカップルが億劫な儀式の準備期間に耐えられず、こっそり家を抜け出してしまうのだ。
……それで済めば、ほほえましい話で済む。しかしイプスの治安は安心安全とは言い難い。カップルは人目を忍ぶため、深夜、人気のない場所で待ち合わせる。そして――最も幸せになれるはずだった日は、最も悲しい日になってしまう――そんな事件が、実際に頻発した。
大人たちは様々な対策を練った。まず二人を両家で厳しく監視することにした。結婚式の日まで離れて暮らすというのも、その時に生まれて定着した風習だ。それでも事件は無くならなかった。
ある時、心優しい賢者が言った。
「もういっそ、安全な逢引き場所を用意して、お膳立てしてやればいいんじゃないか?」
――と。
そういうわけで、結婚式前夜の夜這い――すなわち男が女の寝所を訪ねるのを、大人たちはお膳立てして見守る、という裏の風習ができ上がった。それは現代のイプスの若者ならば、誰でも知っている常識だとか。その夜、新郎には世話役からカンテラを渡されて、新婦の家は鍵を開けておき、家族は寝たふりをして過ごすのだとか――。
「わ――わたしは知りませんでした! 聞いてませんっ!」
思わず声をひっくり返して叫んだが、女性たちは「あらそう?」と軽く聞き流すだけ。それだけこの夜這い文化は当たり前で、もはや伝統的儀式の一つになっているのだ。
わたしは全身を真っ赤に染めて、硬直した。
夜這い……キュロス様がこの部屋にやってくるの? 人目を忍んで、わたしに会いに?
もう結婚式のその日まで顔も見れないと覚悟していたのに。もしかしたら明日――いいえ今夜にでも?
想像するとさらに体温が上がる。わたしのようすに、女性たちはまたも大喜び。いつもならもっと遅くまでくつろいでいくのに、さっさと皿を片付け始めた。
「さて、それじゃあ私たちはもう、このへんで」
「明日の朝食は少し遅めに持ってくるからねえ。おやすみなさいー」
「あっぁあああ待って、待ってぇ」
追いすがるわたしを笑って放置し、みんないなくなってしまう。
……あとに残されたわたしは、とりあえずモソモソと寝間着に着替え、歯磨きと洗顔をして、ベッドに入った。
明かりを落とし……一人寝には広すぎるベッドの上で、懊悩する。
夜這い……夜這いって。
そんな……待ってる間、わたしはどうして過ごせばいいの⁉




