花嫁の支度
眠れたのかどうか、よくわからないまま迎えた朝……。
わたしの部屋には、五人の女性が集まっていた。
花嫁の世話役として雇われたひとで、本来は花嫁親族がこの役を担うと言う。彼女たちはこの道のプロで、数々の花嫁を送り出してきたという。
「式当日までの準備一式、それに花嫁さんの衣食住の世話、体調を崩された場合の治療、看病、出産のお手伝いまで致します」
「よ、よろし――出産?」
「そのために世話役のプロは医学も履修しているのよ、マリーさんもいざという時はお任せあれ」
……結婚式の世話役に、なぜ出産医療を……? と気になったけど、あまり深掘りするのも下世話な気がして、やめておいた。
式当日までの準備について、わかりやすく教えてくれる。
一週間後の式本番までに、花嫁がしなくてはいけないこと、その一。美容。
「これから毎日お風呂に入って、全身をピカピカに磨き上げていきます。さあ、行きましょう」
と、連れていかれたのはハレムの外、石造りの小屋だった。
イプサンドロス式のお風呂は、その名をハマムという。旧帝国時代の言葉で『熱い空気』を意味するその小屋は、中央に熱いお湯のプールを置いて、空気と石床を温めている。その温かい床に浴衣を着て寝転がり、じっくりと体を温めていくという仕組みだった。
こういう、蒸し風呂式のお風呂は珍しくない。シャデラン家でも同じだったし、ディルツでもこの形式が多いだろう。たっぷりのお湯に全身を浸ける、グラナド城のお風呂が特別仕様と言っていい。
だけどなぜかこのハマム……足元には香草が敷き詰められており、なんだかものすごくいい匂い。大理石の石窯に横たわり、ハーブの薫る湯気で蒸しあげられ、気分は鶏肉だった。
汗で全身が湿ったら、五人がかりでの垢擦り開始。柔らかい布で、マッサージされているように気持ちいい。だけど、もこもこの泡を顔面含めて全身に塗りたくられて、呼吸のタイミングが難しかった。途中、バスローブを着けてゆっくり休憩。美容に良いと言う、ザクロのジュースで水分補給。そのあとまたハマムに連れていかれ、再び蒸されつつ爪を磨かれた。全身くまなく削られて、一日目はそれで終了。その夜、わたしは泥のように眠った。
翌日にはやっと、式の準備らしいものが始まった。
メイクとウェディングドレスのデザイン合わせである。五人がかりでわたしの全身をいじり倒し、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返す。
「せっかくだからイプサンドロスのドレスを着ていただきたいけれど、体型が外国の方だからねえ……こんなに背の高い花嫁さん初めてで……」
「あっごめんなさい、それはディルツじゃなくわたし個人の特徴で」
「ベースにするドレスが決まったら刺繍の模様に影響がないところを詰めるから、どれでも好きなものを選んでちょうだいね!」
そう言って持ち込まれたドレス候補は、すべて白ではなく目の覚めるような真紅で、見事な金刺繍が施されている。どれもすごく素敵だったけど……わたしは迷わず、そのうちの一つに決めた。ドレープもフリルもなくシンプルで、裾に向けて末広がりになっている。わたしの長身をむしろ際立たせるシルエットだ。ボディラインをなぞるような蔓状の金糸が美しい。
きっと、わたしはこれが一番似合うと思った。
初めてグラナド城に来た時、お風呂上りに着せてもらった、深紅のドレスによく似ていたから。
そのあと、本来ならアクセサリー類を合わせていくんだけど……。
「ここはやっぱりゴージャスに、ホワイトダイヤのネックレス? 黒琥珀なんかも、赤いドレスに似合うわよぉ」
などと、いろいろと提案をもらったけれど、わたしはすべて断った。
「結婚式で使うアクセサリーは、もう決まっているんです。真珠を使った何か……どんなものかは、まだわたしも分からないのですが」
「あら真珠、素敵だわ! じゃあそれで、合わせるのが楽しみね!」
彼女たちはすぐに了承してくれた。
衣装が決まれば、今度はメイクの打ち合わせ。わたしの顔の造形や肌の色に合わせて、またまた五人の女衆がああでもないこうでもないと言いながら、いろんなものを塗りたくっていく。
これが終わったらきっと、爪に塗るものを決めるのだろう。視界の端には何やら巨大な箱やら鞄やらが積んであった。
めまぐるしく働きながらも、女衆はずっと朗らかで、そしてお喋りだった。
「本当に可愛いお嫁さんね、本当に可愛いわあ」
「若いわねえ、若いっていいわねえ。あたしも若い頃はこんなだったかねえ違ったかねえ」
「あらあなたはいつだって若々しくて素敵よ」
「あらやだあなたこそ、ほほほっほほほほほ」
……なんとなく、ここ数日で感じ取るものがあり、薄々気がついたんだけど……。
イプサンドロスの人ってもしかして、おしゃべり好き?
花嫁準備の時間だけじゃなく、休憩のお茶や風呂上がりのくつろぎ時間、食事中も、みんなずっと喋っているのだ。結婚式前という特殊な状況というのもあるだろうけど、きっとこれは国民性、あるいは文化なのではないだろうか?
話題のネタはだいたいが家族のことで、あとはオシャレと料理。新しく出来たお菓子屋さんの話も出たけれど、女性だけで街歩きはできないので、買い出しは夫の担当らしい。「うちの夫は良い店を見つけるのが上手い」と自慢大会になった。
三日目の夜、夕食を囲みながら、いつもの通りの時間を楽しむ。
今日の献立はイプサンドロスの伝統料理。新鮮なサバと野菜をゴマをまぶしたパンで挟んだサバサンド、イワシのグリル、羊肉をヨーグルトとスパイスで煮込んだ料理など。
素朴だけど、どれもこれも本当に美味しい。
グラナド城に料理人トッポをスカウトしたのはリュー・リュー様だと聞いたけど、なるほど、こんなに美味しいものしかない国で育ったひとが、凄腕の料理人に出会ったら逃すまいと躍起になっても仕方ないわ。
「イプスの料理はどれも絶品だって、本当ね。ウェディングドレスが入らなくなってしまわないよう、気をつけなくちゃ」
わたしは機嫌よく食べていたけど、なぜか正面に座る女性は、心配そうな顔をした。
「……マリーさん、今日のお料理、あまりお好みじゃなかった?」
「えっ? いいえ、いつもの通りとても美味しいですよ」
「でも全然、食が進んでいないじゃないの」
指摘され、手前の皿を見下ろすと、確かに。みんなほとんど食べ終わっているのに、わたしのお皿にはまだ半分以上残っている。
……あれ? おかしいな。無意識に、一口一口が小さくなっていたみたい。
みんなを待たせないよう、急いで食べようとしたが、やはり進まない。口に含んだものを飲み下すのが苦しい。
どうしてだろう、変な時間におやつを食べた覚えはないんだけどな……。
「……すみません、今日はイマイチ、食欲がないみたい。明日の朝に残しておいてもいいですか?」
快く頷いてもらえたので、わたしはお皿に虫よけの蓋をして、テーブルの隅に寄せておいた。




