ばぁばとじぃじ
翌日。
わたし達が朝食にとホテルラウンジへ下りた時、カエデさんとアンジェロさんの姿は無かった。
キュロス様に何か知らないか尋ねてみると、彼は黙って首を振った。ということは夜のうちに……いやさすがにそれはないか、かなりの早朝に、宿を発ったのだろう。
二日酔いに頭を抱えながら、色々と行きたいところがあると呻いていたカエデさん。酔いが醒めたら早々に、街へと繰り出したのだろうな。
「カエデさんらしいわね」
わたしが笑って言うと、キュロス様は何か、苦笑いのようなものを浮かべていた。
それから、父と共に朝食を取り、ホテルのロビーで暖炉に当たりながら、『使者』を待つ。
現地に住む、結婚式場への案内人とはここで落ち合う約束だ。
耳の奥が痛むほどにきりりと冷えていたイプスの空気が、やがてゆっくりと緩んできて……赤猫ずたぼろが、父の頭の上で大きなあくびをしたその時、遠く、馬のいななきが聞こえた。
わたしとキュロス様は弾かれたように立ち上がる。父も続こうとしたが、暖炉を求めるずたぼろに抵抗されて出遅れた。
宿の前――石畳の大通りに、小ぢんまりとした馬車が停まる。ちょうど開いた扉から、男女二人が降りてきた。おそらく夫婦だろう、細身で小柄な老紳士と、まるまるとふくよかな体型の婦人。どちらも褐色の肌に波打つ黒髪、そして緑の目をもつイプサンドロス人だった。
「彼らが『使者』……結婚式場へ案内してくれるのね?」
キュロス様に尋ねたけど、彼はなぜか返事をくれない。怪訝そうな顔をして、老夫妻の前で固まっていた。そんな彼とは対照的に、婦人はパァッと顔を輝かせた。
「ああっ、なんということでしょう………!」
ぽてぽてと可愛らしい足取りで駆け寄ってきて、わたしの手をギュッと握る。声を震わせ、潤んだ瞳でわたしを見上げて、
「よく、よく来てくれたわね。こんな遠いところまでようこそ、よく、よく会いに来てくれたわね! こんなに嬉しい日はないわっ!」
「え、ええ……?」
想定外のハイテンションに、思わず腰が引けてしまうわたし。反射的に退きかけたのを捕まえるように、婦人はわたしを抱きしめた。もとい、婦人はわたしよりもずいぶん背が低いので、わたしの首にぶら下がる形になってしまう。
お、おおぅっ、重い……!
「ああーああー嬉しい嬉しい、こんなに大きく育って信じられない。夢みたいだわ、夢かしら?」
「あ、あの。はい、わたしもお会いできてうれしいです。しばらくお世話になります、わたしの名前はマリー……」
「まぁーあそんないやだわ他人行儀な。もっと砕けて、私のことはベルばぁばって呼んでちょうだい!」
「べ、ベルばぁば?」
「おばあちゃんでもいいのよ、あなたは私の孫なんだから!」
「孫っ!?」
孫って……わたしの祖父母は、父方はずっと前に亡くなっており、母方親族は交流がなく、会ったこともない。いずれせよイプサンドロスで「久しぶりの再会」なんてするわけがないのだけど。
ど、どういうこと? このひと達は一体何者なの!?
わたしが慌てふためきながらキュロス様を振り返る。彼もついていけないらしく、困惑しているようだった。とりあえずわたしを助けようと、婦人――ベルばぁば? を引きはがそうと手を伸ばしたが、触れる前に引っ込める。本当にどうしていいか困っているようだ。
「やめなさい、ベル」
助けてくれたのは同行していた老紳士。彼は躊躇なく、ベルばぁばの脇腹を持ち上げ、横に下ろす。そして叱りつけるように言った。
「ベルよ、わしらの孫は後ろにいる青年だ。リューが産んだのは男の子だったろう」
「――えっ?」
「あらあら、そうだったかしら? これは失礼、私ったらついうっかり、孫の性別を忘れてしまったのね!」
「え? ええっ、と?」
「ではこのお嬢さんは、孫の妹?」
「ええっ!?」
「違う。そちらは孫の婚約者、マリーさんだ。わしらはその結婚式のために呼ばれたのだ。……昨夜もそのように確認してから家を出ただろうが」
「あぁー、そうそう、そうだったわねぇ!」
「ついでに言うと孫の妹に当たる女性がいれば、結局のところわしらの孫だ」
「あらやだ、そう言えばそうねえ!」
夫に厳しく指摘されても、婦人はコロコロと明るく笑うばかり。
え……ええと。
嵐のような展開になんだか出鼻を挫かれてしまったけれど。
つまり、この二人は、キュロス様の……。
キュロス様はようやく初手のダメージから回復したらしい。二人に向かって、紳士の会釈をした。
「ご夫婦でお迎えに来てくださるとは思っていませんでしたよ。初めまして、ベルおばあちゃん。ご主人の言うとおり、俺がリュー・リューの子、キュロス。あなたの孫ですよ」
呼びかけられて、ベルばぁばは初めてキュロス様に対峙した。キュロス様――そしてリュー・リュー様と同じ、エメラルド色の瞳をまんまるにして……。
「あなたが、キュロス君? なんとまあ……本当に。リューはずいぶん頑張って、大きな子を産んだのねえ……」
「ベルよ、子どもは、生まれた時からこのサイズではないものだ」
「ああそうね。リューも赤ちゃんだった頃は指でつまめるくらいだったわね」
「さすがにそこまでではなかったと記憶している」
会話を聞いていると何度もコケそうになる。
なんというか……うん。面白いご夫妻だ。




