おまけの番外編 グラナド城でハッピーバレンタイン
ハッピーバレンタイン特別編です。
時系列的にいつの話なんだ、とか考えてはいけない。
「恋人たちの日?」
未知の言葉に、わたしは思わず素っ頓狂な声で聞き返した。
この頃、キュロス様はここグラナド城を不在がちにしている。仕事がお忙しいのかしらと思い、侍女に尋ねて返ってきた言葉がそれだった。この『恋人たちの日』のため王都中央市場は大賑わい、グラナド商会も繁忙期で、キュロス様も市場に常駐しているという。
そう話してくれた侍女、お風呂とわたしの美容担当のチュニカは、いつもののんびりした口調で「あらぁ」と呟いた。
「マリー様、ご存知なかったです? 来週、冬の四十五日目は恋人たちの日。女性が意中の男性に贈り物をし、想いを伝える日ですよぉ」
「……知らないわ」
わたしは素直に首を振った。
「来週は冬至としか。シャデラン領は田舎だしわたしも世間知らずだけど、まったく聞いたこともないのは変ね。王都特有の、ごく近年の流行なんじゃないかしら」
「うーん? そう言われるとぉ……子供の頃にはなかったような、気が付くと当たり前にあったような。私は王都からほとんど出たことありませんし、よくわかりませんね……」
チュニカは首を傾げてしばらく唸っていたが、考えてもわからないので考えるのをやめたらしい。明るく笑って、
「こういうことはミオ様かウォルフさんが詳しいですよぉ。気になるならどちらかに聞いて見られてはぁ?」
……と、言う事で。わたしは二人が一緒にいるところを見計らい、尋ねてみた。
チュニカの言う通り、やはり二人とも知っていたらしい。年長のウォルフガングは穏やかに微笑んだまま即答した。
「はい、『恋人たちの日』は、ごく近年この王都に広がった習慣です。国の行事や宗教儀式というよりも、地方のお祭りといったところでしょう」
「あっ、やっぱり」
「もとはといえば有史以前、神話や聖人の活動が発祥なのでただの流行とは言い切れないのですがね」
ミオがウォルフの説明を継いだ。
「古の神話によれば、この日は家庭と結婚の女神が司る祝日。翌日は冬至で、春の豊作を祈願する祭りがあります。そのさい、踊りのパートナーは籤によって決められました。娯楽の少ない時代ですから、それはそのまま恋愛に発展、結婚に至ることも多かったそうです」
「そのため、想い合っているカップルは前日に相談し、お互いの籤が合うよう細工をしていました。告白と同時、ということもあったでしょう」
「……なるほど、二つの関係ない祭事がたまたまリンクしてくっついたのね。だけどそれがどうして、女性が贈り物をする日になったの? それも突然、ここ数年で、この王都にだけ広まるなんて」
「グラナド商会の商戦です」
きっぱり言われて、わたしは思わず横にコケてしまった。
「グ、グラナド? じゃあキュロス様が!?」
「いえ、正確にはリュー・リュー様ですね。もともとイプサンドロスとの貿易を始めたのはリュー・リュー様ですから」
二人が交互に話す内容に、わたしは前のめりになって聞き、息を呑んでしまった。
グラナド商会は、貿易商だ。ディルツを含めた西洋大陸ではまだ珍しい、イプサンドロスの製品を仕入れることで、莫大な富を得た。リュー・リュー様が商売を始めた当時、まだイプスとの交易はほとんどなく、ディルツ人にとって完全に異文化。その珍しさから人々は買い漁った……すなわち、見たことも聞いたこともないものであるほど人気が出た。商品も、そして文化も。
「となると……究極、存在しないもの、とか?」
「さすがマリー様。ご明察でございます」
恐る恐るわたしが尋ねると、ミオは珍しくふっと声を上げて微笑みを浮かべた。
思わず「うわあ」と声が出てしまう。
「じゃあ、リュー・リュー様が考えたイベントを、イプスの文化と偽って、王都に流行させたってこと!?」
「まあそういうことですね。イプサンドロスのとは言わず東洋のどこかの国という触れ込みでしたが」
「ほほっ、我々ディルツ人にとって東洋は遠く、神秘の国ですからねぇ。非科学的な呪術、まじないの類も多く残っているとか。いかにも実在しそうで、そして恋愛成就の効果もありそうでしょう」
やはり朗らかに笑うウォルフガング……。温厚な老紳士だけど、彼はキュロス様の執事であり、グラナド商会の幹部である。当然、商会の商戦にはよくよく通じている。
「ディルツはもともと女性の娯楽には後進的な国、そしてグラナド商会の商品は貴族向けの嗜好品やぜいたく品、若い女性向けの衣服やアクセサリーがメインでございます。『女性から男性に贈り物をしよう』という概念は、これ以上なく都合が良かったのですよ」
「……ということなので、『恋人たちの日』が始まったのは二十年弱前のこと。それもこの王都に限っています。マリー様が知らなくても、社交界で教養がないと嗤われるようなことはありませんよ。ご安心ください」
「あ……そ、そうね。それも確かにちょっと、心配だったんだけど……」
でも、それよりも。
チュニカから話を聞いた時、わたしはひそかに、わくわくしていた。
つい近年に始まった流行、作り話かもしれないけれども、素敵な文化だと思ったの。
ウォルフガングの言った通り、ディルツは『ロマンチックな物』にはとても後進的だ。戦後五十年、でもまだまだ男性主体の社会で、女性はただアプローチを待つものとされている。女性が身に着けるものを選ぶのは男性で、女性の買い物といえば食事の材料か子育てに関わるものくらい。
でも……女の人だって、恋人に贈り物をするのは、楽しい。
ただ待つだけじゃなく、好きなひとに自分から想いを伝えに行きたい。そうしないといつかひどく後悔する。それはこのわたしが実体験をし身に染みてわかっていることだった。
少し赤面しながら、わたしはおずおずと手を上げた。
「あの……この機会に、わたしもキュロス様に何か贈ってみたいなって……どうかしら?」
そう聞くと、侍女と執事はニッコリ笑った。
「マリー様なら、そうおっしゃると思っておりましたよ」
「ほほっ、旦那様もきっとお喜びになるでしょう。このウォルフガング、できることならなんなりとお手伝いいたします」
「あ、ありがとうっ、二人とも!」
わたしは飛び上がって喜んだ。
……となると、贈り物をとことん悩む時間の始まりだ。彼は資産家であり、わたしよりもはるかにセンスがいい。生半可なものではいけない。
もちろん彼ならば、わたしが何も贈っても喜んでくれるのは分かっているけれども……できればアッと驚かせて、大喜びさせたい。「マリーの気持ちが嬉しい」ではなく、「これが欲しかったんだ」と思ってもらえるような……。
「……キュロス様の好きなもの、キュロス様の好きなもの……といえば……」
俯いて、一人で延々考えこむ。
長い時間、ずっとそうして考え込んで……。そして、
「あっ……そうだわ!」
わたしはポンと手を打った。
◇◇◇
年に数度の繁忙期――俺がやっとの思いで城へと帰ったのは、夜も更けた頃だった。
夕食は馬車の中で簡単に済ませてある。今日は風呂も休んで、ベッドに寝潰れてしまいたい。
だが俺は城門そばの仮眠室ではなく、まっすぐに屋敷へと向かった。外套も脱がないまま、マリーの部屋を訪ねる。
「マリー、マリー。まだ起きているか?」
もし眠っていたら起こしてしまわないよう、ノックはせずに呼びかける。意外にも、扉はすぐに開いた。
「はい、キュロス様……起きております。お帰りなさい。お仕事お疲れ様でした」
「夜遅くにすまない。少し部屋に入ってもいいだろうか? 長居はしない」
彼女は頷き、快く部屋に入れてくれた。
できることなら、この頃城を留守にしがちだったぶんも、ゆっくりと話をしたいところだが……俺はもったいぶることもなく、持っていたものをマリーに差し出した。
「マリー、コレ。お土産というわけではないが、俺からの贈り物」
「……えっ?」
いつもならすぐに顔を輝かせありがとうというマリーだが、今日は驚いた様子で、なんだか狼狽した。
「マリー?」
「す、すいません、ありがとうございます……あの、これはもしかして『恋人たちの日』の贈り物ですか?」
あれっ、意外だな。このイベントは俺の母、リュー・リューが始めた流行で、ディルツでもまだ王都にしか定着していない。地方のシャデラン領で、しかも閉鎖的な暮らしをしていたマリーは知らないのではないかと思ったが……。
「ちょうど先週に、ミオとウォルフガングから聞いたんです。女性が意中の男性に贈り物をし、告白をする日だって」
「ああ。俺もつい最近まで、こんな俗っぽいイベントで商売をするのはどうかと思っていたんだがな……。商品や、それを買っていく客の顔を見ているうちに、なんだか俺もその気持ちが分かると言うか……」
と、言っているうちにさすがにむずがゆくなってきて、俺は言葉をすぼめた。
贈る相手のことを思いながら、とても嬉しそうに、あるいは少し不安そうにして、商品を選ぶ女性達。俺は告白される男よりも、彼女たちをうらやましく思った。大切な人に思いを伝える、心を込めて贈り物をするのは、楽しいことなのだ。
「それで思わず、自社製品を衝動買いした。市民向けの商品だから、かしこまるようなものじゃない。気軽に受け取ってくれ」
俺が言うと、マリーは少し、困ったように眉を垂らしていた。
「え……ええと。あの、ありがとうございます。でも……あの、実はわたしも……」
と、ぼそぼそ言いながらキャビネットへ向かうマリー。引き出しに丁寧にしまい込まれていたのを取り出し、戻ってくる。俺の前に差し出されたのは、リボンが結ばれたピンクの小袋だった。
「こ、これはまさかっ」
「はい、あの、恋人たちの日というものを最初に聞いた時から……わたしもキュロス様に何か、贈り物をしようかと思って」
全身を赤く染めて、もじもじしているマリー。
……嬉しい。嬉しすぎて声が出ない。
咽喉が震えて、まともに話せそうになかった。俺はジェスチャーで「開けてもいいか」と許可を取る。マリーもやはりブルブル震えながら、「どうぞどうぞ」と、ボディランゲージで答えた。
俺は包みを手のひらの上に置き、恭しくリボンを解いた。
本当なら今すぐ中身を取り出し、マリーごと抱きしめたいところだが……マリーが丁寧に包んでくれたのだろうピンクの包みが、リボンの結びすらも愛おしい。
そしてそろりそろり、中を覗いて……俺はアッと声を上げた。
「これは、チョコレート?」
「は、はい。せっかくだから、キュロス様のお好きな物を贈ろう、と……一生懸命考えて。ずっと前に、『好きなものしりとり』をやったとき、キュロス様、お菓子をたくさん答えていたのを思い出しました。それで……チョコレートなんかいいんじゃないかと思って……」
「ああ……うん、確かに。甘いものは大体好きだが、チョコレートが一番好きだ」
「それで、市場に買いにいこうと思って。ついでに欲しいものがないか、トッポに聞いてみたら、チョコの材料なら城に揃っているから、手作りしてみてはって提案されたんです。それでトッポに教わりながらなんとか――」
「手作り!? マリーがっ!?」
「は、はいごめんなさいっ! か、形はちょっと、アレですがでもちゃんと味見はしました。トッポからも合格をもらったので、不味くは無いです!」
なぜか大慌てで謝るマリー。
…………ああ……。どうしよう……。こんなことがあるなんて……。
俺はいよいよ言葉を失くしてしまった。袋の中をじっと見つめながら、再びジェスチャーで、俺からの贈り物を開けるようマリーに伝える。マリーは首を傾げながら、黒い小箱を開き……。そしてさっきの俺とそっくり同じ、アッという声を上げた。
「チ、チョコレート!?」
……そう。グラナド商会で取り扱っている製菓の中で、俺が一番気に入っているチョコレートだ。
例年非常に売れ行きが良くて、各店舗に納品する傍から追加発注が来る人気商品。もうすぐ在庫が無くなる……というところで、どうしても……マリーにも食べさせてあげたいと思って。俺が大好きなものを、大好きなマリーに贈りたくて――。
言葉にせずとも、マリーは俺の心境を理解したのだろう。
しばらく目を丸くして、二つのチョコレートを見比べていたが、やがてフフッと声を立てて笑った。
「わたし達ったら、お互いに逆のことを考えて、同じものを贈り合ってしまったのね。これじゃあただの交換……いえわたしは初心者で、グラナド商会の商品とじゃ釣り合いが取れないわ」
「とんでもない、原材料が同じでもマリーの手から愛情のエッセンスが注入されている。尊さが違う」
俺は心からそう断言したが、マリーは冗談だと思ったらしい。コロコロと明るく笑い続けていた。
「さて……どうしましょう? 歯磨きはもう一度するとして、こんな時間だから一箱食べきってしまうわけにはいかないわ……」
「ああ、お互いに一粒だけずつ食べて、あとは明日ゆっくり食べようか」
「ではキュロス様、どうぞそちらをお召し上がりください」
そう言うマリーに、俺はピンクの包みを渡した。首を傾げるマリーの前で、あーんと大きく口を開く。
マリーは一瞬、キョトンとしていたが、俺の意図を悟って、ふんにゃりと笑った。
「なぁに、甘えん坊」
まるで母親が幼児を諭すように、それでもクスクス笑いながら、俺の口にチョコレートを一つ入れてくれる。濃厚なチョコを薄い飴でコーティングした、少し苦くてたっぷり甘いチョコレート。きっとトッポに俺の好みを尋ねながら、丹精込めて作ったのだろう。少々形は歪だけど、これ以上なく美味しい。
「……おいしい?」
「うん、とてもおいしい」
俺も、自分自身が買ってきた箱から一粒摘まみ、マリーの前に差し出した。彼女も無言で口を開け、俺のチョコレートを受け入れる。ニコニコしている彼女に尋ねてみる。
「おいしい?」
「ふふっ、ええ、とってもおいしい」
……あまりにも可愛すぎる、その笑顔。俺は無意識にもう一つ、チョコレートを摘まみ、差し出した。
「あら、一粒だけって言ったのに」
そう言いながら、パクッと食べてくれるマリー。
もぐもぐしている。可愛い。
俺は間髪入れずもう一粒取り出した。もう一粒。さらにもう一つ――。
「――あのっ、いい加減に……明日ゆっくり食べさせてくださいっ!」
とうとうマリーに 叱られて俺は仕方なくストップした。
それにしても……マリーは、怒った顔も可愛いすぎる。
◇◇◇
マリーの部屋から出て、自室に入り、口を漱ぐ。
ベッドに入った直後、侍女のミオが訪ねてきた。明日の着替えを持ってきたらしい。
俺は寝転がったまま、呟いた。
「なあミオ……『恋人たちの日』の贈り物だが……相手が喜びそうなものならなんでもアリ、ではなく、ある程度縛りを入れてみるのはどうだろうか」
「……と言いますと?」
「購買心理として、あまりにもたくさんの選択肢があるとどれを選んでも後悔するのではと不安になり、どれを買うのも躊躇してしまうという。商店を開くときは、顧客が付くまではあえてバリエーションを少なくし客の選択肢を絞ってあげた方が売り上げが伸びるという説があるんだ。何を贈ればいいのか分からないから買わないという客はいただろう、そういう層に指標として『これを贈っておけば無難、男は絶対に喜ぶ』と言えるものをこちらから提示して――」
「ああなるほど、チョコレートですね」
「うんそう」
俺は素直に頷いた。
「そう、チョコ……チョコレート……チョコレートは……いいぞ……」
「まあ、商売としても仰る通りではあります。チョコレートなら同じ材料で型だけ変えて大量に商品展開できますし。かさばらずに高単価、冬に入ってすぐに大量生産して置けますし。来年、そういう商戦で企画を打ち出してみるのはいいかもしれませんね」
「チョコって、いいよな……とても。……とても良いと思う……」
それ以上ミオは何も言うことは無く、部屋の明かりを問答無用で落として去った。




