大富豪の矜持
床の上に、『双六』を広げ、四人でそれを囲んで座る。
プレイヤーを表す駒は、カエデさんが提案した通りチェスの物を使った。
黒のキングがキュロス様でわたしがクイーン、白のナイトがカエデさんで、アンジェロさんがポーンを持つ。
その配分を見てキュロス様は半眼になった。
「普通、ここは色違いでキングとクイーンを持つものじゃないのか。せめてアンジェロはポーンじゃなくナイトだろう」
「そんな、おこがましい。拙者など歩兵で十分でござる。最前線第一の壁となり、主君がためにこの命、無様に散りゆくさだめなり」
「取られた後は向こうの駒になって出てくるけどねえ」
何の話だか分からない。
「……別になんでもいいが」
キュロス様は黒いキングの駒を手に取り、わたしにはクイーンを渡してくれた。
わたしは正直ワクワクしていた。前から薄々自覚しつつあったけど、わたしってこういう、子ども向けの遊びが好きみたい。ガチョウのゲームを例に出したのも、かつて姉と遊んで楽しかったからだし。この双六はイベントのマスがたくさんあって本当に楽しそうだった。クイーンの駒を見つめてニコニコしていると、カエデさんがクスッと笑って、
「それじゃあ、マリーさんから始めていいよ」
と、わたしに賽子を渡してくれた。わーい。
『フリダシ』と書かれたスタート地点に、クイーンの駒を置く。
「じゃあ……行きますねっ」
ちょっと無駄に勢いよく、えいやっと賽子を振ってみた。
出てきた数字は六。一番大きな数字だ。やったあ、と喜んで、駒を一つずつ進めていく。進んだ先のマスには、こう書いてあった――『振り出し(スタート)に戻る』。
……。わたしは無言でクイーンの駒を元位置に戻した。
「では、次は俺だな」
キュロス様が賽子を振る。出た目は四、マスに書いてあるイベントは。
「右隣の人と握手をする……?」
キュロス様は、チラ……と恐る恐る、自身の右隣を見る。そこにいたのは、ニコニコ微笑んでいるアンジェロさん。
キュロス様は救いを求めるように、カエデさんを見つめた。カエデさんはにっこり笑って、
「もうギブアップ?」
「………」
キュロス様は黙って、アンジェロさんの手を握った。
次はカエデさんの番。出目は一で、カエデさんはあら残念と言いながらナイトを進め、書かれた指示の通りにお菓子を食べた。
「次は拙者でござるな」
アンジェロさんが出した数字は五。ポーンの駒をテクテクと進めて、
「左隣の人と握手をする……キュロス殿、お願いします」
キュロス様は仏頂面で、彼が差し出した手を握った。
アンジェロさんの次はわたしで、これで順番が一周したことになる。
わたしは賽子を手に握り、無言でこっそり、祈りを捧げていた。
さっきは六を出して、いきなり振り出しに戻されたわたし。最初の番で最大の目を出したのに、わたしが一番後ろにいる現状――なんとか打破したい!
「……投げます。とおっ!」
気合一閃! わたしは賽子を落とした。コロコロと盤上を転がって、出た目は……三!
クイーンの駒を三つ進めて――『振り出しに戻る』。
わたしは黙って、駒を戻した。キュロス様がヨシヨシ撫で撫でしてくれた。
次はキュロス様の番。出た目は三。
『船のメインマストにタッチしてくる』
「西洋最大級の貿易船だぞ!」
キュロス様は悲鳴じみた声を上げながら、全力疾走していった。彼が帰ってくるまでの間、わたし達はお茶を飲んでくつろいだ。
「――はあはあはあぜえぜえぜえ」
「おかえり。じゃあ次は私の番だね」
カエデさんのたおやかな手が、賽子をコロリと転がした。出た目は『六』。そこに書かれているイベントは、
「……前の番の人に、あっつあつの熱ぅいお茶を淹れて振る舞う。しょうがないね、飲みなさいキュロス・グラナド」
「はあはあはあ――飲めるか! ぜえぜえぜえ」
そんな感じで、わたし達は何度も賽子を振って、進んだ先に書かれたイベントをこなしていく。イベントは多種多様だけど、大体が脱力するようなものだった。
『大きな声で国歌を歌う』
『二つ進んで三つ下がる』
『つい最近あった恥ずかしい失敗を話す』
『子供の頃どうしても食べられなかったものを言う』
『振り出しに戻る』
『変な顔をする』
『三回まわってワン』
『猫の真似をする』
『振り出しに戻る』
『振り出しに戻る』
…………。
「なんだこのゲーム! くだらないイベントのせいで全然進まないじゃないか!」
窓の外はすっかり暗くなって、とうとうキュロス様が叫んだ。彼は先ほど『髪型を変える』のマスに止まったせいで、三つ編みおさげヘアになっている(わりと似合う)。
カエデさんが無表情で指をニギニギして、
「ミズホの双六も、普通こういうイベントってのは無いよ。私のオリジナル」
「だろうなっ! そんな気がしたっ!」
仲良く喧嘩する二人。わたしの番が来て、賽子を振る。出た目は二……駒を進めた先のイベントを確認し、わたしは思わず悲鳴を上げた。
「ひどい! ゴールの一つ前で振り出しに戻るなんて!」
横でキュロス様も「うわあ」と同情の声を漏らす。大笑いしたのはアンジェロさんだった。
「カエデ様の作る双六は、意地悪仕様でござる。本人の性格が丸出しでござる」
「あら心外。私だって同じルールでやってるんだから公平でしょ」
カエデさんはクスクス笑いながら言った。
「マリーさんは残念だったね。私と並んでゴール目前だったのに」
そう、さっきまでクイーンの駒があったのはゴールの三つ前。三が出ればゴールだったのに、よりによってその一つ前、『振り出しに戻る』に止まってしまったのだ。
せっかくここまで順調に進んでこれたと思ったのに、ここに来て台無しだなんて、運がない。
「なんだかわたしの人生、大体こんな感じだった気がする……」
「あはは、双六ぐらいで人生を遡らなくても」
うう……。
しくしく嘆くわたしを、キュロス様がよしよしと慰めてくれた。
さらに順番が廻って、カエデさんの番。
彼女は手の平の中でコロコロと賽子を転がして、にやりと笑った。
「さあ……あと三が出れば私はもうクリア。グラナド伯爵は四つも後ろね」
「そうだな」
「二分の一の確率で私はゴール。……約束忘れてないね、キュロス・グラナド」
「忘れていない。俺が勝ったら、おまえ達を船から引きずり下ろしたうえで密航の目的を吐かせる」
キュロス様は静かに答えた。カエデさんがにやりと笑う。
「私達が勝ったらイプスまでご相伴ね。後からすっとぼけちゃだめだよ。――では」
と、振りかぶったカエデさんの手を、キュロス様はガシッと捕まえた。
「だが、そこで一を出せばまだクリアできない。そして二を出せば、さっきマリーが止まった『振り出しに戻る』のマスだ」
「……そうだね」
「俺は、次に六が出せれば上がりだ。それでこのゲームを終了させる」
一瞬だけ、ぴくりとカエデさんの手が震える。だけど表情は変わらないまま、彼女はキュロス様の手を振り払った。
「そうだね、せいぜいがんばって。では振るよ」
空中で、カエデさんの細い指が開かれてる。羊皮紙を広げた机の上に、コロリと落下した白い賽子――その出目は。
「あっ……一だわ!」
「くッ……」
眉を顰めて、カエデさんは舌打ちした。ゴールまであと三つという位置から、ナイトの駒を一つだけ進める。書かれていたイベントは『苦いお茶を飲む』というものだったが、それよりもゴールができなかったことに、カエデさんは悔しそうにしていた。キュロス様がニヤリと笑う。
「残念だったな」
「……だけど、残りは二マス。あなたは六を出さないと確実に負けるよ」
「ご心配なく」
キュロス様は卓上の賽子を取り、軽く振ってから、拳を掲げた。
「こういう時に必ず勝ってこそ、大富豪というものだよ」
広げた手から、まっすぐに落ちた賽子。コロリと転がって、六の数字を示した。息を呑んで数字を見るめる三人――わたし達に、キュロス様は肩をすくめた。
「チェックメイト……じゃない。ゴール、と言えばいいんだったかな?」




