胸もおなかもいっぱいいっぱいです
ぱっちりすっきり、目が覚める。
わたしはすぐに、枕の感触を確かめた。ふかふかでボフボフ。
続いて、自分の髪を触る。さらさらでフワフワ。
わたしは顔を両手で覆った。
「……ああ……どうしよう。夢じゃなかった……」
ベッドに座り込んだまま困り果てる。
しばらくあって、扉がコツコツ、ノックされた。
「マリー様、お目覚めでしょうか?」
ミオの声だ。
「はい、起きてます!」
「失礼いたします」
部屋に入ってきたのは、ミオと、女の人がもう二人。髪をキッチリ、かつどこか優美にまとめた侍女姿である。
三人は一列に並ぶと、同時に深々と頭を下げた。
「おはようございます、マリー様」
「えっ! お、おはようございます!」
わたしは慌てて膝をつき、床の上で土下座した。ミオがすぐに引っ張りあげてくる。
「何をしてるんですかマリー様」
「だってそんな丁寧にお辞儀をしてくださったから、それより下に這わなければと思って」
「なんでですか。お楽になさってください。改めまして、ご挨拶に参りました」
「ご挨拶って、わたしに?」
「はい。マリー様は昨夜より、正式に旦那様の婚約者、この城の住人になられましたから」
こ、婚約者……! よく知っているはずの言葉になぜだか心臓が高鳴った。ドキドキしてくるのを手のひらで押さえ込む。
そんなわたしに気付いているのかいないのか、ミオは昨日と全く変わらない。
「私が当城の侍従頭、ミオ。後ろの二人はハンナとイルザです」
「は、はい、よろしく。マリー・シャデランと申します」
「今日からこの三人で、マリー様の身の回りのお世話をさせていただきます」
えっ……わたし用の侍女? それも三人?
侍女というのは、家政婦とは別物だ。家の手伝いではなく、個人の世話をする係である。実家にも一応侍女がいたが、五人家族でたった一人。両親とアナスタジアの身支度や髪結い、幼い弟の世話で忙しく、わたしが何かしてもらったことはない。むしろ侍女のまかないを作っていたのがわたしである。
正直いらない気がするんだけど……彼女たちはこれがお仕事なのだ。わたしが断ると、彼女たちは給金がもらえない。
それに本来、貴族ならば侍女が一人や二人いて当たり前だ。こういうのにも慣れていかなくては……。
わたしは緊張を抑え込み、淑女の笑みを浮かべて見せた。
「そう、ミオ、それからハンナとイルザですね。よろしくお願いします」
「至らないこともございますが、精一杯お勤めさせていただきます。なんでもお申し付けくださいませ」
ミオは再び深々とお辞儀したが、後ろの二人は頭を軽く揺らしただけだった。あれ?
「基本的には私がそばにおりますが、休暇や他の用事があるさいには二人が代わってお世話します。二人は由緒正しい騎士家の生まれで、王宮に勤めたこともあるベテランの侍女です。困ったことがあれば何なりと相談してください」
えっと……ミオの見えないところで、二人の目が、わたしを睨んでいるような気がするんだけど……気のせいかな。気のせいよね。今初めて会った二人だもの。
「わ、わかりました、そうします……」
「朝食の前に、朝の身支度をしてしまいましょうね。では二人、ここにマリー様の朝食を」
ミオに言われ、ハンナとイルザはすぐ背を向けた。
「まず、顔と口を漱ぎましょう。湯をお持ちしておりますので」
言われるままに従うと、続いて髪を丁寧に梳かされた。
やがて朝食が運ばれてくる。ワゴンに置かれた皿を見て、わたしは目を丸くした。
「何人分?」
「もちろん、マリー様お一人だけのものです」
即答された。
「マリー様のお好みが判らず、色々とご用意させていただきました。まず前菜に、こちらは当城料理長自家製、加工食肉の盛り合わせ七種類。豚のハムとソーセージ。こちらはスパイスとハーブの入った物で、テリーヌは雉、パテ・ド・カンパーニュは家鴨と鹿肉となっております」
「……どうぶつがいっぱいね」
「こちらは、朝食ということでサッパリしたものをご用意いたしました。シュヴァイネブラーテンです」
「しゅば。シュバ……シュバ」
「……焼き豚です」
「ああ、焼き豚。知ってるわ。焼いた豚肉のことね」
「野菜と一緒に北ビールとブイヨンスープでじっくり煮込んでありますので、甘みがあって柔らかいですよ。添えたこちらの芋団子に、タレを絡めてお召し上がりください」
ここまででまだ全体の二割ほど。まだ前菜だけなのである。
王国は他国と比べ、朝食をたくさん食べる文化と言われているけども、さすがに多すぎる。メインディッシュにたどりつく前に、わたしはミオを止めた。
「恥ずかしいことだけど、わたしは舌も胃も貧しくて、こんなに食べきれないと思うわ。スープとパンだけで十分」
「残して下さいませ。手を付けなくても、一口摘むだけでも」
「そんなもったいないことできません!」
「……そう言われましても。旦那様から言いつかっております。どうかご了承くださいませ」
「……キュロス様は、今、どちらに……?」
チラッと、ミオを見る。彼女は眉をしかめた。
「旦那様はすでに召し上がって、お仕事に出かけられました。今、他には使用人しかおりません」
「じゃあミオ、良かったら、半分こ……」
「使用人が主様と食事をご一緒するわけには参りません」
きっぱり言い切られてしまった。ああ、もうどうしようもないやつだ。ここでわたしがワガママを通しては、きっとミオが叱られてしまうのだ。
「そうか……そうよね。ごめんなさい無理を言って。じゃあ、できるだけたくさん食べるわね」
わたしは大人しく一人で食べ始めた。
もくもく。……。もくもく。
……う、やっぱり多い。
……もくもく。
とても美味しい。……もぐもぐ。
…………おなかいっぱい。
でも、せっかく作っていただいたし。お肉も野菜も、生き物の命を奪っているのだし。きっと残り物をお昼に回すのは許されないだろう。わたしが残したら捨てられてしまう。
……もぐもぐ。
食べてしまわないといけない。
もぐもぐ……。
……うっ。吐きそう。……でも……。
「……マリー様。無理をなさってはいけませんよ」
「大丈夫、まだ入ります、たぶん」
「限界を超えようとしないで下さい」
「だってせっかくお城の方が作って下さったのに――」
「お顔の色が悪うございます。もうやめましょう」
有無も言わさず、ミオはわたしから皿を奪い取った。
「すこしお休みの後、お城の案内をさせていただきます。料理長など、使用人も紹介いたしますね」
「え、ええ……よろしくお願いします……」
「お着替えは、こちらをお召しくださいませ」
そう言って、ミオはクローゼット――もとい、衣裳部屋の扉を開いた。五十着はあるだろうか、ずらりと並んだドレスに、またわたしの目が点になる。
「……何人分?」
「もちろん、マリー様お一人だけのものです」
「わたし、体が一つしかないのだけど」
「知ってます。こちらは丈を直ししただけの既製品ですので、じきにマリー様専用に採寸し、生地から仕立て上げますね。季節に応じて入れ替えていくので、百着ほど作ることになりますが」
わたしは頭を押さえ、座り込んだ。何とか呻く。
「めまいがする」
「食べ過ぎですね」
違うと思うわ。