表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
遥かなる海と大地と遠い国での結婚式

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

188/321

賽子(さいころ)と真珠

 

 青い海の向こうに、『楽園』が遠ざかっていく。

 少し前までは、砂浜でこちらに手を振るイサク達の姿があったけど、今はもう、影も形もない。

 ただ白い泡の航跡が、細く長く、島とこの船を繋いでいる。まるでわたし達の未練を表しているようだった。


 わたしとキュロス様は、貿易船のキャビンから、儚く消える白線を眺めていた。一昨日は、見飽きた海の景色にあくびをしていたキュロス様も、今日はどこか物憂げな表情で、遠ざかるルハーブ島を眺めている。

 水平線の向こうに完全に見えなくなってから、彼はやっと、言葉を話した。


「ここを去る時は、また来る日のことを思ってしまう」


 わたしは頷いた。


「わたしも……いつかまた来たいです。本当に、素敵な島でした」


 補給と休息のため、たった二泊三日だけの滞在だったけど、わたしはもう理解していた。

 この島が『楽園』と呼ばれている所以(ゆえん)。かつての英雄ディボモフが、この島を支配から護ろうとした理由。東部共和国との貿易商であるキュロス様が、たびたびこの島を訪ね、わたしを連れてきてくれた理由も。

 この島は、本当に……ただただ、自由だった。

 それは飢えの心配がない豊かさがあっての余裕だろうか。もしくは裸で寝ても凍えない、常夏の気候がそうさせるのか。あるいは、顔を上げればいつもそこにある、心洗われるような景観が、島民達をそう育むのかもしれない。

 確かに、ここは間違いなく楽園だった。

 だけども、とわたしは続ける。


「なぜかしら、ここに居る間、ずっとグラナド城のことを思い出していたの」


 キュロス様は驚いたように振り向いた。


「なぜ? あの城にいるルハーブ島民はトマスくらいしかいないぞ」

「ええ、不思議よね」


 そう呟きながらも、本当は見当がついていた。ルハーブ島にグラナド家と同じ匂いを感じる理由――それは、家族と自立だ。

 グラナド城は、異国人を偏見なく雇い入れるため、ディルツ貴族邸では珍しく多国籍な空間だった。主従を問わず親しくありながら、みな自立して働いている。侍従達にとっては職場だから当たり前なんだけど、その空気感は本当に家族のように温かかった。それでいて、依存はしない。わたしの生家シャデラン邸のように、お互いを縛り合い、背中合わせで支えねば崩れてしまうような、危ういものではない。

 ただみんな、そこで生活をしているだけ。自分が生きていきたいように、過ごしているだけ。

 グラナド城にはそんな心地のいい距離感がある。それをこのルハーブにも感じたのだ。

 糸を引くほど甘く粘つく関係では得られない、爽やかな愛だった。


「本当に、良いところでした……」


 しみじみと繰り返す。隣でキュロス様が背伸びした。


「しかし、ここだけが『良いところ』ではないぞ。世界は広い。『楽園』と呼ばれる島や街は、世界のあちこちにある。なんなら一国に一か所ってくらい」

「イプサンドロスにもありますか?」


 わたしが問うと、彼は頷いた。


「ああ。知っているかな? イプスは別名『猫の楽園』と呼ばれていて、町は猫だらけなんだ。野良ではあるが餌に困ることは無く、地域で守られて、可愛がられている」

「まあ! それは知らなかったわ」


 驚くわたしに、彼は更にイプスの文化を教えてくれた。東部共和国では古くからある宗教で、『猫は清潔で愛すべき真のペット』と教え、伝えられてきたんだって。

 誰の飼い猫でもないのにみんな名前が付いていて、決して飢えることなく、人を恐れず懐っこい。観光客がカフェに座ると、勝手に膝に乗ってくるという。ディルツでは考えられない風習だ。

 わたしは身震いして、海に向かって叫んだ。


「ああ本当に、世界って広い!」


 子どものように浮かれるわたしを、キュロス様は微笑んで眺めていた。機嫌はよさそうだけど、眼差しにはどこか陰りがある。わたしは彼の顔を見上げた。


「どうしたんです、キュロス様。何か悩み事でも……?」

「……ああ。なんだか妙な胸騒ぎがしてな」

「胸騒ぎ?」


 彼は真顔で頷いた。


「大抵の時化は、航海士が空や風を見て予見するんだがな。それ以外のトラブルは俺の方が鼻が利く」

「……海賊、ですか」

「どちらかというと水夫同士の喧嘩かな。閉鎖空間で大人数が暮らしているから、小競り合いは避けがたい――とはいえ」


 キュロス様は首を傾げた。


「今はルハーブ島で息抜きをさせた直後。リフレッシュできているだろうし、食料も豊富だ。喧嘩になりづらい時期のはず……」


 その時だった。キュロス様の後ろを、一人の水夫が横切った。見たことのある顔で、その動作にも何も不自然な所はない。だがその服装――下着一枚という姿に、わたしは悲鳴を上げた。

 キュロス様も気が付き、大声を上げる。


「お――おいおまえっ、甲板でなんて格好してるんだ!」

「アッ、だ、旦那様……」

「服着ていられないほどの気温でもないだろう、船室でならともかく甲板にはマリーがいるから、見苦しい格好をするなと――」

「すいません!」


 水夫は慌てて謝ったけど、すぐに服を着てきますとは言わなかった。キュロス様に強く促され、困ったように眉をひそめて、


「でもその、着る服が無くて。みぐるみ全部引っぺがされちまったもので……」

「……は?」

 キュロス様の怪訝な声に、水夫は身をすくませた。



 ◇◇◇



「おまえらっ、ここで何やってるんだーっ!」


 扉を乱暴に開け放って、キュロス様は怒鳴り声を上げた。

 さほど広くはない部屋、小さな据え付けのテーブルで、アンジェロさんがお茶を淹れている。横で完成を待っているのはもちろん、彼の主、カエデさん。

 絶叫したキュロス様に、彼女は「やあ」と軽く手を上げた。


「お久しぶり、キュロス・グラナド。しばらく見ない間に大きくなって」

「昨夜別れたところだっ! どうしてこの船におまえらがいる!?」

「積み荷に紛れて潜入した」


 緑色のお茶を啜って、カエデさんはあっさりと言った。

 思わずあんぐり口を開けてしまったキュロス様に、ほっそりした指を振りながら、


「あっ、時系列順に説明するね? まずは大きな木箱を用意して、私が中に入り、積み荷のフリをするでしょ。水夫が積み込みを始めたタイミングを見計らって、『親切な通行人』ことアンジロウが通りがかる。親切面して近づいて『重そうでござるな、積み込みを手伝うでござる』って言って持ち上げて、二人とも船倉にまで入り込んだの」

「あとはそのまま、息を殺してじーっとしていたでござる。猫がいて癒されたでござる」


 自分もお茶を啜りながら、アンジェロさんは嘆息をした。


「一応、拙者は反対したのです。しかしカエデ様は言い出したら聞きませぬゆえ。すまんなキュロス殿、厄介になるでござるよ」

「ふざけるな、密航じゃないかっ!」


 キュロス様が絶叫する。

 ――キュロス・グラナド伯爵は、背が高い。普段は甘く垂れた緑の瞳も、怒りに燃えれば禍々しさすら感じさせる。誰もが気圧されるほどの威圧感――だがカエデさんとアンジェロさんはどこ吹く風、なぜか顔を見合わせて、笑っていた。


「キュロス殿は大体いつも怒っているでござるなあ」

「おまえらが怒らせてるんだっ! それにこの部屋、水夫の四人部屋だぞ。四人分の身ぐるみと、部屋まで強奪したのか?」

「強奪とは人聞きの悪い。正当な勝負の報酬だよ」


 カエデさんはお茶を啜って答える。


「私達はただ、密航を見逃してもらいたかっただけなんだよ。ミズホで流行りの博打をやって、私が勝ったらおとがめなし、負けたら私達は金品を差し出し船を降りる。……一回で終わっとけばよかったのに、もう一回もう一回とせがんできたのはおたくの水夫」

「この船はグラナド商会の貿易船、水夫にその使い方を賭ける権利はない。俺が密航を発見したからには、黙って降りていただく」

「嫌だ」


 これ以上なくきっぱりはっきり、断言するカエデさん。思わず絶句したキュロス様を、カエデさんは頬杖をつき、舐めるような目つきで見上げた。


「ていうか今更、船を降りろと言われても困っちゃう。ルハーブの港ははるか遠くになりにけり、ここから泳いで戻れってって言うの?」

「自分の船はどうしたんだ。ルハーブには自家用船で来たんだろうが」

「船長に任せて飛び出しちゃった。今頃あっちも出航してるでしょうね。ほんとに帰る所が無いんだよ、今すぐ海に身を投げろだなって、残酷なことを言うのねキュロス・グラナド」

「死んだらキュロス殿を恨むでござる。化けて出るでござる。枕元に立って子守歌を歌うでござる」


 それは怖いのかしら、安らぐのかしら。キュロス様の枕元で、子守唄を歌うアンジェロさんを想像し、わたしは思わずニコニコしてしまった。可愛い。


「お、おまえらっ――こ、の……!」


 全く議論にもならない二人に、キュロス様は拳を握り締め、ぶるぶる震えていた。わたしはそんな彼の裾をチョイと引き、耳元に小声でささやいた。


「……これは……わたし達の負けだと思います……ここは船上、降ろせば必死という状況だからこそ、わたし達は彼らを追い出すことはできないって、あちらに筒抜けですもの」

「ったく……自分の命を人質に取るとはっ……!」


 心底悔しそうに呻くキュロス様。わたしはちょっと笑ってしまいながら、


「ルハーブに折り返しますか? あるいはいっそ次の補給所までは乗せてあげて、穏便に降りてもらうとか」


 我ながら現実的な提案だった。だがカエデさんは、鼻で笑った。


「降りないって言ってるでしょ。この船の水夫は、私に多額の借金を抱えてるんだよ。それを取り立てなきゃ」

「借金……!? あの、身ぐるみを剥いだだけじゃなくてっ?」

「そう、給料一年分くらい? 彼らは私に借りがある。返してもらうまで、船を降りるわけにはいかないね」

「……おまえ、よくもこの短い時間で、うちの乗組員を文字通り丸裸にしたな……」

「下穿き一枚は残してあげた。慈悲深い私をあがたてまつりなさい」

「だれが崇めるかっ!」


 優雅にお茶を啜るカエデさんに、キュロス様は詰め寄った。お茶とお菓子で散らかったテーブルをバンッ! と叩き、低い声で、彼女に囁く。


「いい加減にしろ。もとより、この船は博打禁止だ。古代から博打はトラブルのもとだからな。暇つぶし用のカードやボードゲームくらいならばともかくとして、金品を賭けての博打は懲罰対象となっている」

「あらごめんあそばせ。そんなルール知らなかったのよ」

「……知っていようと知らなかろうと、ルールはルール。博打は禁止、ゆえに勝負は無効だ」


 キュロス様の言葉は強気だけど、いまいち歯切れは悪かった。だってこのトラブルは、カエデさんが一方的に搾取したわけではない。水夫たちの自業自得なのだ。彼女は加害者でこちらは被害者と言い切れるものではなかった。

 それでもこの商船の主として、言うべきことは言わなくてはいけない。キュロス様は懇願するように言った。


「この説明をせず、勝負を受けた水夫の自業自得ではある。だから奪ったものは返さなくていい、次の港まで送るだけはしてやる。しかし取り立ては諦めろ。おまえも損はしていないだろう」

「……そうはいかないよ、キュロス・グラナド」


 カエデさんはそう言って、席を立った。

 彼女は、とても小柄な女性だ。長身のキュロス様の胸ほどまでしかなく、並べば大人と子どものようにしか見えない。

 だけど気圧されたのは、キュロス様のほうだった。彼女に一歩近づかれると、キュロス様はのけぞった。


「私は水夫と契約したんだよ。お互いに条件を示し合わせ、勝てばもらう負ければ払うってさ。それって商売と同じだろ。後になってからやっぱり無しなんて無理、まして第三者のあんたに、そんな権利なんかないの」

「……ぐ……」

「密航は悪いことだから、叩き出されても仕方ない。でもあの水夫達の身柄は、私達の物だ。借金のぶんウチでこき使ってあげる。私達を追い出すって言うんなら、水夫四人をこっちによこしな」

「……なっ……!」

「どうする、キュロス・グラナド。ああゆっくり考えてくれて結構だよ。ゆっくりじっくり、イプサンドロスに着くまで考え抜いて」


 す、すごい。キュロス様が押されてる……!


 わたしは、博打のことも商売のことも分からないけれど、カエデさんは正しいことを言っている、と思えた。賭け事は、勝負。損する可能性がある遊びだ。水夫も賭けに乗った時点で分かっていたことだろう。契約は契約、成立してしまった後、一方的に反故になどできない――そんな気がする。


 キュロス様……どうするのだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] ミズホ組も水夫もあまりに身勝手すぎるのでは いくら取引に正当性があっても貿易主に損しかない [一言] ミズホ組の自由な気風が好きだった分、ただ迷惑かけてるだけなのが残念
[一言] 正直これで密航を黙認するのは違うと思いますね。水夫4人差し出してしまえばいいんじゃないんですかね。というより密航の片棒を担ぐ事になりキュロスの立場が悪くなるのではないでしょうか。
[気になる点] うーん、どんだけ屁理屈こねようが密航は密航なんだから縛り上げていいと思うけどな それに水夫4人に関しては、密航者をキュロスに報告するわけでもなく、あまつさえ禁止されてる博打行為をやって…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ