勇気の出し方
若干引きつった、だけど紳士の余裕が感じられる笑顔のキュロス様。ニッコリ笑って、穏やかな声で答えてくれる。
「そりゃあ、だって、まだ信用は出来ないし。仲間だのなんだのはカエデの自称だ。警戒するのは当たり前だろう」
「それなら、カエデさんだけ避ければいいのでは。アンジェロさんを嫌う理由は?」
キュロス様の笑顔が引きつった。
「……いやそれは……だから。さっき話してただろう。マリーの気持ちを裏切って」
「それもさっき、嘘じゃなかったって」
「いや――まさか、マリーはあれを信じたのか? その、あいつが、自分に好意を……」
わたしは首を振った。
「アンジェロさんが言ったのは、男女のそれではなく、友人としての好意です。故郷を褒められて嬉しかったとか。それはわたしも、本心で言っているように感じました」
「そ……そうか。それなら、良かったな。あいつと仲良くなれそうじゃないか」
後ろ頭を掻き、目を泳がせるキュロス様。
「本当に良かったと思っています?」
……顔面の造作はほとんど動いていない。商人であるキュロス様は、嘘が吐けないわけではなかった。だけど、わたしは彼の妻である。じっと目を見つめていれば、彼の言葉の裏に本心が隠れているくらいのことは分かる。
さりげなく、顔を背けるキュロス様。
追いかけて回りこむわたし。この攻防を左右二往復くらい続ける。やがて正面からまっすぐに顔を突き合わせて、わたしは問うた。
「キュロス様、やっぱりちょっとだけ、嫉妬してません?」
「…………なんでだ」
彼は真顔で答えた。わたしも真顔で答えた。
「なんでかは、わたしにも分かりませんけど。やっぱりキュロス様、ちょっと変だもの。いつもの余裕がないって言うか、言動が微妙に一致してないと言うか」
そう、キュロス様はやっぱりちょっと、おかしかった。
わたしとアンジェロさん達が仲良くなるのを応援していたというけど、実際、普通に話しているところに割って入ってきた気がするし。
「そんなことはない。さっきも言った通り、マリーが騙されないよう、警戒していただけだ」
「……そうかなあ」
「それにもしあいつの好意が真実だったとしても、だから何だ? 意味がない。俺はマリーを信じているし、自分自身にも、心変わりされないよう努めてきたと信じている」
「……ふうん」
「それより、俺は君の自由を護りたい。この世界の人口の半分は男だ。警戒は必要だが、必要以上に警戒ばかりしていてはまともな社会生活が送れない。グラナド城の侍従達もそうだが、俺は君から、すべての男友達を排除する気はないよ」
「本当に?」
わたしは尋ねた。キュロス様は頷いた。
「本当に」
「ほんとのほんとに?」
「ほんとの、ほんとに」
……うーん……。
じーっと見つめていると、微妙に視線を逸らすキュロス様。そのまま見つめていると、少しずつ顔が横を向く。さらに見つめ続ける――と、彼は突然、大きく手を叩いた。
「そうだ! もうそろそろ帰り支度をしないとなっ。今日の昼前には出立する。マリー、どこか観光し損ねているとかないか? ほか何か、土産とか食べたいものとか」
「大丈夫です」
「そ、そうか。では俺はちょっと、島長に挨拶に行ってくる。何か必要なものがあればイサクに相談しておいてくれっ!」
やたらと元気よく宣言して、キュロス様は駆けだした。いつになく乱暴に扉を閉めて、宿を飛び出していく。
「……あらまあ」
わたしは腰に手を当て、ため息をついた。
閉ざされたばかりの扉を、開いてみる。鮮やかな緑の芝が茂る庭園に、キュロス様の後ろ姿はもう見つからなかった。代わりに庭で遊んでいた子どもたちが振り返り、わたしに手を振ってくれた。四人の少年がわらわらっと寄ってくる。
末っ子の三歳児が、わたしの右手をきゅっと握って来た。
「マリー、今日、帰っちゃう?」
「ええ、そのつもりよ。でもギリギリまではここで、みんなと遊んでいられるから――」
「じゃあマリー、絵本読んで。ママも読めない字があるの」
もちろん、と頷きかけたところで、反対側の腕も引っ張られた。五歳児がぐいぐい引っ張りながら、
「だめ! マリーさんはおれとハンモックで遊ぶの。ブランコにしてあげるの」
「ええっ?」
「それならみんなで海に行こうよ!」
七歳児が叫んだ。
「お客さんはいつもイサク兄が連れてっちゃうけど、いつもの砂浜までなら、ぼく達でも連れて行ってあげられるよ」
「え……ええと。それは良いけど、今キュロス様が出かけているから、帰ってくるまで待たないと……」
戸惑っているわたしの後ろから、ひょっこりイサクが顔を出した。厨房でテンダーママを手伝っていたらしい、手には芋とナイフを持っている。
「あれっ、もう浜に降りちゃうんですか? まだ時間があるならもう一か所、ルハーブの名所をご案内しようと思ってたのに」
「そう言って、またお客さんを独り占めするつもりだろ!」
「イサク兄はだめ、マリーはおれと遊ぶの!」
兄を牽制するように、わたしの周りをぐるぐる回る子どもたち。どうやら遊び相手に飢えていたらしい。イサクも呆れたように苦笑いしながらも、わたしに「じゃあぼくはいいから弟達と遊んであげて」とは言わなかった。今までの宿泊客は、あまり子どもたちとは遊ばなかったのかも。兄弟四人、残り少ない私の滞在時間を巡り喧嘩を始めてしまった。
そんな光景に、わたしは笑ってしまった。少年たちの可愛いワガママを嬉しく思う。
――彼ももう少し、こんなふうに……わたしに要望を伝えてくれてもいいのにな。
子ども達を追いかけ回しながら、わたしはそんなことを考えた。
キュロス様はわたしより六歳年上、大人の男性だ。いつも優しくておおらかで、わたしのワガママを何でも叶えてくれる。
何かリクエストを聞いても、返ってくるのはむしろわたしを甘やかし、喜ばせるようなことばかり。わたしが悲しい思いをしないよう、いつも気を遣ってくれていた。
それは異性との交流もそうだった。いざという時は護ってくれるけど、そうでなければ、わたしの自由。男性社会のこの世界、必然、グラナド城の来訪者も商売の関係者も、わたしにとっての異性が多い。それでもキュロス様はわたしに活躍の場を与えてくださる。
いつかわたしが他の人を好きになったなら、あっさり身を引くのでは――そんな気がしてしまうくらいに。
もし本当にそうなったとしても、それは彼の深い愛情ゆえ、わたしのためだってことは分かっている。だから何も不安はない。
けど……。
「マリー様、せっかくだから裸足になってみませんか?」
イサクの言葉でハッとなる。少しぼんやりしていたらしい。慌てて振り返って、
「えっとごめんなさい、何?」
「靴を脱いで、砂浜を歩いてみませんか、って。ディルツから来た人はあまり海水浴をしないけど、爪先くらいなら人前に出しても恥ずかしくないのでは?」
「あ……そ、そうね。靴くらいなら……」
頷きかけて、わたしは途中で言葉を止めた。
視線を、宿のほうへと向ける。
…………よし。
わたしは気合を入れてから、子ども達に向き直った。
「ねえみんな。わたし、みんなにお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
首を傾げながら頷く子どもたち。わたしはちょっと赤面しながら、囁いた。
「あの……わたしに勇気を与えてほしいの」




