真珠の商人【後編】
後編です。
「盗み聞きをしたいのだろう、とは俺も疑っていた」
キュロス様が言う。そう言えば彼こそ、わたしよりもずっと強く、彼らの相席を拒んでいた。その正体が何であれ、商談を部外者に聞かせたくなかったのだろう。
「……ある程度はもとより、諦めている。どこの国でも、商人の会話が始まると聞き耳を立てられるものだ。儲け話にありつけるんじゃないかと、おこぼれを狙う人間がいる。だからこそ普段の商談はむしろ人前でやることが多い。聞かれて困る話でもなく、あちらが不埒なことは出来ないので、あえてそうするんだ」
それはわたしも知っていた。グラナド城には出入り商人がよく来るけど、彼らもキュロス様も、人払いは全くしない。もちろん絶対に表に出せない密談だってあるだろうけど、そうでなければ、わざとオープンスペースにサンプルを並べて話していた。
「ちょっとした小銭稼ぎねらいなら、もっと簡単に、情報を得る機会はあった。だかおまえ達……無理やり宿まで入り込み大量の偽りを重ねて、なぜ商談を聞こうとした?」
「……ふふん」
カエデさんは、楽しそうに笑った。
そしてキュロス様の問いには答えず、わたしのほうに向きなおる。短い髪を意味なく掻き揚げて、クスクスと笑っていた。
「――で、お嬢さん。私が西洋の言葉を分かってるんじゃないかってのは、いつ気付いたの」
と、全然関係ないことを聞いてきた。
どうしようかと思ったけど、キュロス様に促されたので、説明する。
「……怪しいと思ったのは……アンジェロさんが、わたしに対しやたらと好意的であったことです」
アンジェロさん、そしてキュロス様が驚いた顔をする。わたしはさらに言葉を続けた。
「正確には、そのたびにカエデさんが機嫌を損ねて見せたこと。わたしも最初のうちはただの冗談やお世辞で、カエデさんが過敏に反応しているのだと思ってました。だけどもしそうなら、アンジェロさんは二度三度同じことをしないと思ったんです。カエデさんを不快にさせないように……少なくとも、キュロス様や、グラナド城の侍従達なら、気を遣って改めてくれるので」
そう――彼が他の女の子を褒めた時、カエデさんが気分を害しているのは明らかだった。明らか過ぎて、誰にだってわかるほど。
アンジェロさんは従順な使用人、そんな主の様子に気が付かないわけがない。
それなのに、アンジェロさんはカエデさんの前で、大げさにわたしを褒め称えた。その言葉が本心か否かに関係なく、無神経で、カエデさんへの配慮に欠ける言動だ。そのたびにカエデさんとわたしとの空気も悪くなっていく。わたしは話しかけにくくなり、カエデさんがわたしを無視する理由が出来る。
わたしは考えた。
そうやって彼は、わたし達の会話の機会を奪ったんじゃないか? はずみで何か、ボロが出たりしないように――と。
「カエデさんの嫉妬、わたしに敵対するような態度はすべて、ただのフリ。むしろわたしに気があるようなそぶりをしろと、アンジェロさんに命令していたのがカエデさん」
「お嬢ちゃん、面白い子だね」
カエデさんは肩をすくめた。
「それだけ美人に生まれながら、男の好意や嫉妬する女の真意を疑うなんて。今まで山ほど見てきた光景だろうにさ」
「それはその、色々と事情がありまして……それより、認めるんですね? あなた達は二人とも、ずっと演技をしていたって」
口元に微笑みを浮かべたまま、カエデさんはコクリと深く頷いた。
「な、なんだって!?」
なぜか一番動揺したのはキュロス様のようだった。とりあえず彼の心境はさておいて、アンジェロさんの表情も確認する。こちらは何とも読み取りにくい、複雑な顔だったけど、わたしと目があうと「すまんでござる」のジェスチャーをした。わたしは微笑んで、彼に「大丈夫ですよ」と手を振った。あなたがわたしに好意なんてない、というのは、本当に最初から確信していた。だってアンジェロさん……甘い言葉を発するとき、どうしようもなく棒読みなんだもの! あんなの、わたしでなくたって演技、冗談だとわかるはずだ。
「アンジェロさんはともかく、カエデさんの真意まではなかなか見抜けませんでした。なにせほとんど会話が出来ず、表情も分からなくて。やっと確信できたのは、キノコの時です」
「……キノコ? って、あのナントカテングとかいう猛毒の」
「はい。あの時わたしは絶対に止めなきゃと思って、カエデさんの分かる言葉で警告したんです――シャイナ語で、『危ない!』って」
「……へっ?」
再びぽかんとする二人。
……やっぱり。
今に至るまでまだ、彼らは分かっていなかったのだ。あの時、わたしがなんと言ったのか。
わたしも中央大陸の公共言語を完璧に使えるわけではない。だけどごく簡単な挨拶と、旅先で必要不可欠となる大事な言葉――危険への警告などは覚えていた。
この時までは、わたしも二人の母語がシャイナ語だと信じてた。だけど危険を知らせる警告なら、聞こえないふりなどできないはず。
その違和感と、ここまでのアンジェロさんの態度がつながった。
もしかしてカエデさんは、シャイナ語が全く分からないのでは、と。
「その仮説をもとに、今度は『なぜそんな嘘を?』という新たな疑問が生まれました。――けどそれも、今までの言動を振り返れば容易に見当が付きます。『シャイナ語しか使えない』これが嘘ならば、『それ以外の言語を使うことができる』が真実……ならばその嘘の目的は」
「ああ、フラリア語の商談の盗み聞きか!」
キュロス様が言った。
彼は、今こそやっとすべての合点がいったようで、妙に晴れ晴れとしていた。
「ミズホではシャイナ語を話していると言われて、おかしいと思ったんだ。多少は文化の流入があろうとも、言語は独自のものであるはずだった。なにせあそこは、もう何百年も『鎖国』をしているはずだから」
鎖国?
初めて聞く言葉だ。詳しく尋ねるより前に、カエデさんが笑い声を上げた。
「あら、よくご存じで! さすがグラナド商会の若旦那。やるじゃん」
「……ああ、グラナド商会は貿易商だからな。世界の地理と歴史には詳しいよ」
「あのうキュロス様、鎖国って何ですか?」
わたしはキュロス様に問うてみた。
おそらくは、ミズホ特有の文化だろう。わたしはもともと学校で経営学を専攻していたし、グラナド家に嫁いでからはなおさら、貿易商の勉強を進めている。だけどこの鎖国という言葉は初耳だった。そもそもミズホ国の名も、昨日初めて知ったのである。どんな風習、文化なのかはほとんど知らない。わたしの疑問にキュロス様が答えてくれる。
「鎖国というのは他国との交流をシャットアウトし、文化の流入出を避け、自国を護るために取られる政策だよ。歴史上、いろんな国でしばしば取られた国策だが、孤島の島国ミズホではすでに数百年も継続している。昔はあちこちと貿易していたんだが、鎖国以降、西洋大陸との国交は無い。ディルツ人ならその国名すら知らなくて当然だ」
なるほど。
……となるとカエデさんは、シャイナ語が分からない、とわたし達に気付かれるのはかなりまずい。
国交断絶状態にあったミズホ独自の言葉は、西洋でほとんど通じない。通訳のアンジェロさんは異性、彼が入れない場所は多いだろう。カエデさんも、たとえ片言でも使えなければ、旅はままならないはずだ。ミズホ語が独自の言語でシャイナ語が通じないならば、カエデさんは西洋の言葉が分かるんじゃないか――と、疑われやすくなる。一度疑われてしまえば、言い逃れ続けるのは難しい。
カエデさんは肩をすくめた。
「――ホントのところ、ずっと黙ってるのは結構苦しかったよ。ミズホのこと小さな島国だとか、大国シャイナのオマケみたいな扱いされてさ。世界に名をとどろかす貿易商、キュロス・グラナドも、ミズホのこと全然分かってなくてガッカリだし」
カエデさんは袖で口元を隠し、くすくすと笑った。なんとなく……いやきっぱりと小馬鹿にされて、キュロス様もムッと唸った。凛々しい眉を吊り上げ、カエデさんをギロリと睨む。
「なにがだ? ミズホが鎖国しているってこと、ゆえに世界から孤立しているのは事実だろう。西洋と盛んに貿易している大国シャイナと比べれば、オマケとは言われても仕方がない――」
「でも旦那の着ている衣装、イプサンドロスの金糸刺繍も、もとはミズホの技術だよ?」
「――え?」
この言い返しには、キュロス様もきょとんとする。さらにカエデさんの追撃は止まらない。
「ミズホがシャイナに輸出して、それがイプサンドロスまで流れていったの。ほら私の着物だって似たような刺繍が付いてるだろ。グラナド商会の旦那なら、私が嘘ついてないのわかるよね。もちろんただの横流しじゃなく、イプスで発展してはいるけど」
「え――えっ?」
「ちなみに旦那の櫛の螺鈿、漆塗りもミズホの特産。あとあんたたち西の貴族が社交界でヒラヒラさせてるあの扇とか。聞いた話だけど、絵画にもミズホの風景や技法が使われているらしいよ」
「…………ほ、本当に?」
呆然としているキュロス様に、カエデさんと、アンジェロさんまでもが大笑いした。
「あははっ、グラナド商会の大旦那様も、しょせんは西の商人だね! 東はシャイナで行き止まりって感覚なんだ? あはははは」
どうやら彼をからかうための、嘘でもなさそうだ。
つまりミズホという国は、何か狙いがあっての政策で『鎖国』をしていながらも、完全に引きこもっていたわけではなく、ごく一部の国とだけ交易していた。少なくとも、隣国であり世界最大級の大国シャイナとは、ずっと縁が続いていたのだ。
かの国は、仕入れた製品や技術を交易に、あるいは自国で独自の発展を加えて、周辺国へと伝えていった。それがミズホ原産であると広める益も義務もない。長い年月を経てイプサンドロスまで届いても、ミズホの名は知られることが無かった。
西洋大陸最先端の学問王国、オラクルも、世界中からその知識を集めているという。案外そこにも、ミズホ独自の医学療法などがあるかもしれない。
キュロス様は凛々しい眉を顰めて、思いっきり嫌そうな顔をした。
「……ん? まさか……」
「どうしたの、キュロス様?」
「……いや……カエデ、確認させてくれ」
カエデさんは穏やかに微笑み、頷く。キュロス様は低い声で、ゆっくりと尋ねた。
「……ミズホ国は……良質な真珠の産地だ。俺は天然真珠の価値を高めるため、記念品にするというアイディアも、ミズホ国から着想を得た」
「ええ、天然真珠は大地創造神話にも出てくるほど、ミズホではよく採れるね」
「……同時に、養殖産業も研究されていたり――俺がシャイナから仕入れている養殖真珠までが、ミズホの物だとか――言わないよな?」
――と、恐る恐る聞いてしまっているあたりで、彼の中でも答えは出ていると思うのだが。
キュロス様の、懇願するような問いかけに、カエデさんは解答しなかった。
ただ無言で、彼をじっと見つめ……。
「うふふふふ」
と、不気味に笑って見せたのだった。
キュロス様は今度こそ、頭を抱えた。




