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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
遥かなる海と大地と遠い国での結婚式

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真珠の商人【前編】

前後編。ちょっとだけ小難しいお話。

 

「あ……カエデさん、あなたやっぱり……」


 思いのほか簡単に肯定されて、わたしは怯んでしまった。

 その一瞬の隙に、カエデさんはわたしを突き飛ばした。これまでの物静かな淑女の装いは偽りか、脱兎のごとく身をひるがえす――と思った瞬間、彼女の体が宙に浮いた。キュロス様が腕を伸ばし、彼女の後襟を捕まえたのだ。


「ぐえっ」


 悲鳴を上げても、キュロス様は容赦をしない。彼女を引き寄せると、首に腕を回して拘束する。片腕ひとつで彼女を固定し、もう一方の手には剣を持って――。

 カエデさんがハッと息を呑む。わたしは叫んだ。


「キュロス様、だめっ!」


 わたしが止めるよりずっと早く、彼の刃は止められた。

 疾風のごとく駆けつけたアンジェロさんが掴んだのだ。

 抜身の剣の刀身を、素手で握って止めたのだ!


「あ、アンジェロさん……!」


 護身用の懐剣、さほどの殺傷力は無い宝飾剣とはいえ、素手で握っては無事で済まない。

 指の隙間からツウと細く、赤い血がしたたり落ちてくる。だがアンジェロさんの表情に、痛みや恐怖は微塵もなかった。

 いつも穏やかに微笑んでいた彼とは別人――怒れる鬼神の表情で、キュロス様を睨みつけていた。


「わが主に何をする」


 静かだが、明らかに激昂している低い声。

 彼と比べればキュロス様のほうがずっと冷静だった。


「心配するな、ただの脅しだ。逃げられないよう拘束するためで、傷つけるつもりはなかった」

「いかなる理由でも許されぬ。婦女子を刃で脅そうなどと、恥を知れ」

「とりあえず離せ。指が落ちるぞ」

「ミズホの(カタナ)と違い、西洋の剣などどれもなまくら。切れ味は二の次、刺すためにあると聞く。それで拙者の指は落とせまい」

「実際血が出てるだろうが。いいから離せ」

「貴様が剣を手放し後ろに下がれ。拙者の刀は、貴族の腰飾りでも商売人の交渉道具でもない。カエデ様に害なす輩とあらば斬り捨てる」

「……ほう」


 キュロス様の目に殺気がこもる。普段は甘くて優しくて、美しいだけの緑の瞳が、禍々しい光を湛えて――。


「やめてキュロス様‼」

「やめな、杏侍郎(アンジロウ)!」


 わたしの声と、カエデさんの言葉が重なった。

 アンジェロさんは、その命令に忠実だった。すぐに懐剣から手を離し、五指を広げて見せる。それからニコッと笑った。


「やはりキュロス殿は紳士でござるな。拙者が握った瞬間、微動だにしなくなり、傷が深まらないよう努めてくれたでござる」


 確かに、刃で傷ついたのはわずか皮一枚といった程度だ。カエデさんはその手に飛びつき、問答無用でハンカチーフを巻きつけた。巻き終えると、今度はポカポカ頭を殴り、


「物騒な真似するなといつも言ってるだろこのバカサムライ、殺したがりの死にたがりめっ」

「あいたたた、すまんでござる。つい昔のクセで」

「今のあんたは私の護衛! 挨拶代わりに鍔迫り合いやっていい世界じゃないのよ、商売ってのは!」

「武士の挨拶も普通はこんにちはでござる。斬り捨て御免はよほど腹に据えかねた時だけでござる」

「ざるざるうるさい! いいから黙ってな。私は今、商売の話をしてるんだから」


 アンジェロさんを突き飛ばし、カエデさんはコホンと咳払い。それから今度こそ真顔で、キュロス様と対峙した。


「――だけどあんたも気が短いね。いきなり刃物を突き付けるなんて物騒じゃないの」

「……マリーを突き飛ばして逃げようとしたからだ。なんならそのまま、咽喉を掻き切ってやっても良かったがな」

「できない脅しはやめな。後ろでお姫様が顔を青くしてるよ」


 確かに、わたしは男達の攻防と一筋の血で、すっかり血の気を引かせていた。キュロス様はもちろん気付いてはいたらしい。懐剣を納めると、頭を掻いて嘆息した。


「マリー、こいつらのことを産業スパイと言ったな? 証拠は何か掴めたのか?」

「ええ……証拠というか、条件がそろったという感じですけども……」

「――待ちな。場所を変えよう」


 話し始めたところを、カエデさんがチョップで遮る。キュロス様の顔は一瞬、さらに表情を険しくしたが、遠くから子どもたちの声が聞こえて退いた。


「……わかった。確かに宿に入って、客室で話したほうがよさそうだ」

「スペースレンタル料は負けといてあげる」

「元はその部屋も俺達が譲ってやったのだが」

「細かい男」

「でござるな」


 キュロス様の至極真っ当なツッコミは、一言で切って捨てられた。

 そのままスタスタと、妙に和やかに談笑までしながら宿へ入っていく二人。

 ……なんだか、まだあの二人に主導権を握られているような……。

 まあ、場所を移動することに異論はない。実際歩き疲れていたし、テンダー一家に聞かせたくない話になるかもしれないし。

 そうしてぞろぞろと、客室へ入ったわたし達。といってもベッドが一つ、小さなティーテーブルがひとつしかない狭い部屋だ。カエデさんがベッドに、わたしが椅子に座って、男性たちはそれぞれ壁にもたれて立って聞く。


「ええと……どこまで話しましたっけ……」


 なんとなく、出鼻をくじかれてしまったわたし。もともと、あまり話し上手でもないので、コホンと咳ばらいをし、立て直す。

 なんだっけ……ああそうだ、カエデさん達が産業スパイなのではないかと疑った経緯だ。


「最初に引っかかったのは、カエデさんの足……です。その怪我が嘘で、普通に歩けると気が付いた時から、目を離してはいけないと思っていました」

「……ああ」


 カエデさんは頷き、悪びれる様子もなく爪先でトントンと地面を突いた。


「そういえばそれも、なんかあっさり見破られてたね。まさか初対面の時から気付いたの?」


 いえいえ、とわたしは首を振った。

 もちろんわたしも、最初はただ困っているだけの観光客だと思っていた。客室を譲り、ハンモックベッドをねだったのも他意はない。本当にただの親切心だった。

 だけど――あの夜。正確には明け方よりも少し前……。 


「わたし、ふと目を覚ましてしまったんです。ハンモックの寝心地は良かったはずなんだけど、なんだか魘されていたみたいで……。眠りが浅くなっていたところに、他人の気配を感じ、覚醒しました」

 話すわたしの後ろでなぜかキュロス様が挙動不審になっていたけど、とりあえず置いておく。


「そっと薄目で確認すると、アンジェロさんが近づいてくるのが見えました。――その後ろには、普通に歩くカエデさんも」


 あらま、とカエデさんは両手を挙げた。


「なんだ、寝たふりしてたの? 二人ともぐっすり眠ってると思ったのに」

「わたし、もともと夜明け前に起きるのが習慣なんです。子どものころからずっとそういう生活をしていましたから」


 にっこり笑って言うと、遠くでキュロス様が「あまり笑い事ではない」とつぶやいた。

 それはさておき。


「お二人とも、ハンモックの周りを見て回っただけですぐ去っていったので、騒ぎはしませんでしたが……とりあえずカエデさんの怪我は嘘。ならば飛び込みで、相部屋でもいいから休ませてほしいと言うのも嘘でしょう。初めからわたし達との接触が目的だった、でも寝ているところを襲わなかったのだから、危害を加えるつもりもない。ならば金銭が目的――と考えるのが自然な発想ではないでしょうか?」

「俺は、初めからそう考えていた」


 キュロス様が口をはさんだ。


「いくら何でも強引すぎるだろう。見ず知らずの男と相部屋で構わない、なんて無茶苦茶だ」

「ああ、なんだ、旦那がずっと態度が悪かったのは、最初から疑っていたからなのね」

「当たり前だろう。女が良しと言っても、連れの男がハイハイと従うわけがない」

 呆れたように言うキュロス様に、カエデさんはけらけら笑った。キュロス様は、彼女の笑い声が耳に障るらしい。心底嫌そうな顔で続ける。

「――しかし、だからと言って事を荒立てる気は無かった。コソ泥なんて人間のいるところには必ずいる、いちいち糾弾するより自衛しておくものだ。俺はそう考えて、貴重品を女将に預けた。厳重に管理してくれと頼んだんだ」


 そのやりとりは就寝前にわたしも見ていた。とはいえ、あの小さな民宿の中にあるには違いない。泥棒ならば宿内を漁る必要がある。


 だけどカエデさん達は、そうしなかった。アンジェロさんと共に庭に出て、わたし達がそこにいることだけ確認して帰っていったのだ。


「ここまではまだ、やはりあなた達は泥棒で、荷物は女将がよほど上手に隠してくれたから無事だったんだろう――わたしもそう考えていました。そうではないと気付いたのは、島長が突然、宿にやって来てから。わたしは女将を手伝うため、キュロス様の商談用の荷物を一緒に取りに行ったんです。……天然真珠と銀をふんだんに使ったサンプルは……厨房の、上棚にそのまま置かれてました」

「えっ」


 キュロス様が目を点にする。


「女将だと、踏み台を使わないと視界にも入らないところだけど。わたしは男性並みに背が高いので、背伸びだけで取れました。……キュロス様やアンジェロさんなら、厨房に入っただけで目に映る高さです」

「……ええぇ……?」


 あんぐり口を開けて戸惑うキュロス様。


 ……これは、キュロス様が悪いと、わたしは思う。だってルハーブだもの。「貴重品だから厳重に」の一言だけで、床下の金庫に入れてもらえるなんて期待するほうが悪いんだわ。


 とにかく、キュロス様の荷物は、家探しの必要もないくらい容易に盗める場所にあったのだ。


 ――二人がもしも泥棒ならば、簡単に目的を全うできたはず。

 それなのに彼らはあの夜、わたし達に近づいた。

 ――なぜ?


 そこでキュロス様が、アッと声を上げた。


「そうか、俺はあの夜、書類関係は手荷物のほうにまとめて、背中に敷いて寝ていた。宿の荷物には真珠のサンプルしか無かったから、あいつらは商談の書類を探して――」


 わたしはコクリと頷いた。


 そもそも彼らが来た夜が、島長と会談する予定だった。その食卓に同席したがったのが始まりである。

 彼らは初めから、島長とキュロス様との会談を盗み聞きするのが目的だったのだろう。

 だがキュロス様にとって大事な商談、宿は小さな民宿で、相席はできそうにない。

 二人は苦肉の策として、カエデさんを『無力な令嬢』に仕立て上げた。足を怪我して言葉も分からない貴婦人だ。キュロス様に相席を拒否されたら、アンジェロさんは外に出るしかない、だが言葉が分からず脚に怪我をした貴婦人だけは置いてくれと懇願すれば、通る可能性は高い。そのためだけに、カエデさんは言葉が分からない、無口で不愛想な人間のフリをした。

 シンプルだけど、人の同情を利用した、成功率の高い作戦だったと思う。


「――でもその作戦は、ルハーブ人の気まぐれにことごとく邪魔されちゃったけどね」


 カエデさんは肩をすくめ、苦笑いしてそう言った。


 そう、彼らにとっての誤算は、わたし達の警戒よりも、島長の気まぐれだった。


 真珠貿易の商談は、事前に日程の情報を得ていたのだろう。だけど珍しいカスタネットのせいで夜の会談は延期、彼らは急遽、宿泊まですることになった。さらに翌朝、島長はカスタネットに飽きたからと早朝に突然やってきて、急遽商談が行われることになり、朝食の同席に間に合わず。カエデさんは寝たふりをして、部屋に残ることにしたのだ。


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