危険なものたち
わたしはあまり、大きな声を出すのが得意じゃない。
そんなわたしのわりに大きく鋭い声が出せたと思う。それでも緊張感が足りなかったのか、カエデさんはとりあえず手を止めたけど、眉を顰めただけだった。感情の読み取れない無表情でこちらを見上げている。わたしの声が聞こえたのか、アンジェロさんが歩み寄ってきた。その顔にも緊張感はなかった。
「どうかしたでござるか?」
と――彼女の指先に、白くて小さなキノコがあるのを見つけ、クスッと笑った。
「今度はキノコでござるか。カエデ様、本物でも、火を通さないと食べられないでござるよ」
そう言いながら、キノコを採ってあげようとする。その手首をキュロス様が掴んで止めた。
「タマゴテングダケ、通称『死の傘』。世界で最も多くの人間を殺している猛毒キノコだ」
「えっ!?」
という声を、アンジェロさんとカエデさん、二人同時に上げる。
駆けつけてきたイザクもキノコを見下ろし、悲鳴をあげた。
「ああっこれ、危ないやつ! もし見かけても絶対に採っちゃだめだって、子どもが歩けるようになったら必ず教えるキノコですよ!」
「そ、そんなに? 毒キノコって、もっとこう、派手なものではござらんか……?」
「地味で猛毒というものもありますよ。タマゴテングタケはその最たる例です」
わたしも彼らに駆け寄り、頷いた。
見た目に騙されることなかれという慣用句になるほどに、世界中で有名な毒キノコだった。かといって、アンジェロさん達が無知というわけではないだろう。スフェイン含め多くの国に自生しているけど、全世界どこの国にもあるわけではない。知識が無ければ確かにそれは地味な色合いに程よい肉付きで、いかにも美味しそうなキノコだった。
「食べなければ大丈夫だと思うけど、軽く嚙みつくだけでもそのエキスで、何が起こるか分かりません。手に取るだけでも避けるに越したことはないですから」
「ごめんなさい、ガイドのぼくが、事前にお知らせしておくべきでした……普通これは、もっと湿った森のほうに生えているんです。この場所にも生えてるなんて……縦穴から風で胞子が飛んで入ったんですね」
しょんぼり肩を落とすイサクを、大人四人で慌てて慰める。カエデさんにまで撫でまわされて、イサクはやっと顔を上げた。
「マリー様、声を上げてくれてありがとうございました」
「わ、わたしは別に……むしろごめんなさい、大きな声で驚かせてしまって。毒キノコだって言葉がとっさに出て来なくって」
わたしは改めて、カエデさんに謝罪した。
アンジェロさんはまだ半分茫然としながらも、首を振る。そしてわたしよりもはるかに深く腰を曲げ、深々と頭を下げてきた。
「とんでもない、マリー殿は命の恩人でござる。もしカエデ様だけでこれを見つけていたら、拙者に内緒で摘み取って、ひとりで晩酌の御伴にしていたでござるよ」
あはは、そんなまさか。……冗談よね?
とりあえず冗談ということにして、わたしは笑った。一度笑顔になると、一気に緊張がほぐれた。カエデさんが無事だったことに安堵して、ほおっと大きく息を吐く。
「とにかく無事でよかった。世界って美しいけれど、怖いこともあるのね……これからは気を抜かず、初めて見た物を迂闊に触らないようにしなくちゃ」
「……なんでこの流れでマリー殿が反省するでござるか?」
アンジェロさんの問いに、答えたのはキュロス様だった。
「これがマリーの可哀想なところであり、可愛いところであり、どちらにせよ抱きしめたくなるところだな」
「貴殿の性癖も大概わからんでござるな」
アンジェロさんに言われて、キュロス様は心外そうな顔をした。その様子がなんだか可笑しくて、吹き出してしまう。わたしに釣られてか、キュロス様も苦笑い。アンジェロさんも高らかに笑った。
カエデさんも、裾で口元を隠しながら、目を細めていた。
――そうして、少し仲良くなった観光客四人とガイドの一行。
和気あいあいと帰路につき、『テンダーさんのお宿』に帰ってきた。
「ただいまー! ママ、今日の夕飯はー?」
イサクが大きく手を振ると、ちょうど庭先にいた女将が、イサクの倍ある手を振ってくれた。
「おかえり! 夕食はバーベキューだよ。みんな一緒に食べられるよう、テラスのテーブルも運んできたからね!」
「わあーいっ」
「イサクは仕込みを手伝っておくれ。アンジェロは焚火の用意を」
「はいでござる」
なぜかさっそくこき使われるアンジェロさん。
キュロス様も手伝うつもりらしい、腕まくりをした裾を、わたしは掴んだ。
「マリー?」
彼をその場に引き留めて、わたしは後ろを振り返った。そこにはカエデさんがいる。
いつものように澄ました顔で、無言、無表情。
――わたし達から見て東洋人は、表情の変化が分かりづらいのだと、アンジェロさんが言っていた。そうかもしれない。そうだとしたら……もしかしたら彼女は、今、見た目ほど穏やかな心境ではないのかも。
「カエデさん」
黙って立っているだけの彼女に、正面から向き合う。
わたし達西洋大陸の共通言語――この島に来てからずっと使っているフラリア語で、わたしは彼女に呼びかけた。
「あなたは、わたしの言ってる言葉がわかりますね?」
カエデさんの、漆黒の瞳がわずかに大きく見開かれた。
だがそれも一瞬の変化。彼女はすぐに、平常通りの無表情に戻る。わたしは逃がさない。
「……あなたはシャイナ語しか解さない、通訳のアンジェロさんがいないと何も分からないフリをして、ずっと聞き耳を立てていた。……その目的は……産業スパイ、でしょうか」
沈黙はほんのわずかな時間。
彼女はにやりと――明らかに、笑った。
「……いつから気付いてた?」
流暢なフラリア語で、そう答えた。




