男女4人物語
わたし達は、『テンダーさんのお宿』からさらに岩山を登り、ビーチを見下ろせる高度までやってきた。
するとルハーブ島の、特徴的な地形が分かってくる。
岸壁に添って歩きながら、わたしは呟いた。
「ビーチを取り囲むように、ずっと岩山なのね。コロシアムを半分に割ったみたい……」
そう、ルハーブ島は、ほとんどが岩山で出来ていた。山と言うよりは巨大な丘と言うべきか? それほどの標高ではないけど、なにせ平地と呼べるのはビーチくらいしかない。
島のサイズは、シャデラン領よりも小さいだろう。島民の人口は同じくらい、だけど農場や畑があまり無いぶん、住宅は密集していて、賑わっていた。
「ここ数年で、観光客もたくさん来るようになりました。スフェインや近くの国から、ちょっと贅沢なリゾートにちょうどいいらしいです」
先頭をいくイサクが解説してくれる。
大航海時代――戦前、外洋船の製造技術が飛躍的に発展したあと、人類は大海原を縦横無尽に駆け回った。
特に、巨大な大砲を積んだ戦艦をいち早く作ったスフェイン帝国は、近海の海賊に怯えることなく、近海の離島を手あたり次第占拠した。
やがて百五十年戦争が終結し、真の世界平和を目指して、植民地制度が禁じられる。スフェインは占拠していた島のほとんどを解放することになった。そしてルハーブは、国際会議の決議により、ディルツ王国の領地になった。
だけど三十年間も占領され続けたこの島には、あちこちにスフェインの文化が定着している。
「この白くて美しい街並みも、スフェイン帝都の街並みに似せているのよね?」
わたしの言葉に、イサクは驚いた顔をした。
「そうです! すごい、よく知ってますね! マリー様は物知りです!」
「教科書で、知識だけ。だけどここまで洗練されているとは思ってなかったわ。言葉や料理くらいのものかと」
「ここはスフェイン人の子孫も多いからな」
後ろを歩くキュロス様が続けた。
「戦前、スフェイン人は島を守りながらも、自分たちが過ごしやすいよう開発を進めていた。植物も建材も、帝都と同じものだよ」
「スフェインの建材……というと、この白い壁は漆喰なの?」
わたしが言うと、キュロス様は楽しそうに笑った。
「そう、原料になる石灰岩はこの近海で採れるんだ。屋根の染料もルハーブの鉱石だ」
なるほど、それならわざわざ輸送する必要もないし、再現度の高さも分かるというもの。さらにいくつか、キュロス様から地理を教わっていると、イサクがぴょんぴょん跳ねだした。
「マリー様もキュロス様も、本当に物知りです! ルハーブのことたくさん知っててもらえて、なんだか嬉しいです!」
あら、なんだか既視感のある台詞。小麦色の髪をした門番を思い出して、わたしは思わず笑ってしまった。
「でもぼくは、教科書には書いていない、島の素敵なところも知ってますからね。今日はみなさんをそこへ案内します。あともうちょっとですから、ファイトー!」
励ましのセリフよりもイサク自身の元気を分けてもらった心持で、わたしはキュロス様と目を合わせ、クスクス笑った。
そして、後ろを振り返る。
「あともう少しですって。お疲れになっていませんか、カエデさん?」
返事が無い。
アンジェロさんは、わたしに向かって「すまんでござる」と頭を下げる。ホテルを出て数刻、ずっとこんな調子でわたし達五人は岩山を登っていた。
――いや、少し下り始めているかな?
「見えましたっ! あれがルハーブのもう一つの砂浜、ポップコーン・ビーチです!」
イサクの指さす方を見る、と、確かに見下ろす先には青い海と、白い砂浜が見えた。行きでボートを付けたビーチとは、岩山を挟んで反対側。
わたしは目の上に手で笠を作って、遠くの景色を凝視した。
「……ポップコーン・ビーチ? 昨日降りたところと変わらない、普通のビーチに見えるけど……気持ち砂の色が白いかな?」
「うふふ、降りてみれば分かります。さあ、ここから山を下っていきますよ」
嬉しそうに前を行くイサク。わたしはつい焦れったくなって、キュロス様に視線をやったが、彼もまた悪戯っぽく笑っていた。二人してわたしを驚かせるつもりらしい。……ということは、二人ともがそれを『驚くべきもの』と考えているわけだ。
わたしはそれを楽しみに、なにも聞かないことにした。
それはそうとして――。
わたしはもう一度、ちらりと後ろを振り向いた。
……カエデさん……やっぱり足は大丈夫のようだ。
わたし達に遅れることなくついてきている。
かといってルハーブ観光に興味はないようで、何を観てもはしゃがない。わたしやキュロス様だけでなく、イサクが何度話しかけても、やっぱり不機嫌そうに無反応だった。
だけどちゃんと軽装に着替えてきてくれたあたり、しぶしぶ仕方なく、ではないと思うけど……。
カエデさんの格好は、昨日と同じくやはり不思議な衣装だった。やはり絹製らしい生地を、きっちり前で合わせている。はだけないようにまとめる帯は、胸の下からお腹の全部を覆うほどに太かった。この帯がまた見事で、金銀の糸で刺しゅうを施されていた。異様に長い袖には、薔薇に似た花が描かれている。どこを見ても美しい衣装だけど、正直言って、ちょっと暑そうだった。
アンジェロさんのほうは、カエデさんと同じ民族性を感じるけれど、シルエットはかなり違う。カエデさんがたくさん重ね着をしているのに対し、二枚だけ。帯も簡素で細く、動きやすそうだ。あれは性別の違いなのか、それとも身分差なのか――。
ちら、と、今度はキュロス様を見る。彼は今、イサクと何かを話していた。
……よし、今のうちに。
「あのうアンジェロさん、その服装って、暑くないんですか?」
キュロス様と、カエデさんの肩がピクッと跳ねた。
アンジェロさんは、ああ、と頷いて、腕を持ち上げて見せた。
「これは広く、『キモノ』と呼ばれる民族衣装でござるが、見かけよりずっと涼しく出来ているでござるよ。袖口がとても大きく風が抜けるでござる。見た目よりずっと涼しいのでござる。案外動きやすくて、とっさの斬り合いでも動きに支障はないでござる」
「とっさの斬り合い? ……ええと、それはともかく。やっぱりすごい衣装ですね。独自性のある文化って、見ているだけでわくわくします」
アンジェロさんは、クシャっと笑った。深い皺が目元に刻まれる。
あ……笑った。
彼は基本的ににこやかだけど、本当に嬉しくて笑ったときは、こんなふうにくしゃくしゃになるみたい。
「故郷を褒めてもらえるのは、とても嬉しいものでござるな。拙者は初めて体験したでござる」
「初めて? そんなまさか」
「本当でござるよ。拙者は今、とても幸せな気持ちでござる。あなたに会えて良かったと」
まあ、なんだかずいぶんと大げさな……。
苦笑いするわたしの手を、アンジェロさんは突然両手で握った。その手に口付けするように顔を寄せ、
「拙者、あなたを故郷に連れて帰――うぎゃっ!」
悲鳴を上げてしゃがみこむアンジェロさん。どうやらカエデさんが、彼の足を踏みつけたらしい。
「う、グ、グ、カエデ様、今のはちょっと本気で痛かったでござるよ……」
「ふん!」
そう鼻を鳴らすだけ鳴らして一人、道をずんずん進むカエデさん。その足取りは明らかに不機嫌で、わたし達に当てつけているようにしか見えなくて。
…………やっぱり彼女、アンジェロさんのことを……。
わたしはじっと、カエデさんの後ろ姿を見つめて――いきなりグイッと手を引かれた。前を歩いていたキュロス様が、いつの間にかわたしの傍まで戻っていた。
「キュロス様?」
「マリー、あの男ともう、あまり話すな」
キッパリと、強い口調で命じられてしまった。それきり何も言わず、わたしの手を握って歩く。
わたしは眉を顰めながらも、とりあえず抵抗はしなかった。ただ彼に手を引かれつつ、後方を振り返る。アンジェロさんは、やはりニコニコと、手を振っていた。
対してキュロス様の横顔は、酷く不機嫌そうで。
どうしたんだろうキュロス様、昨日からずっと様子がおかしい。ミズホの二人組、特にアンジェロさんに対して極端に当たりが強いのだ。
彼は大きな体と異国の容姿を持つせいで、多くのひとに「怖い」と誤解をされていた。だけど真実はとても優しい紳士で、こんなふうに、誰かに意味もなく失礼な言動をする人ではないはず……。
大股でずんずん進む彼。強引でも、わたしの手を握る手はふんわり優しくて、わたしに怒っているわけではないのは明らかで。
……ふと、ひとつの可能性を思いつく。
――キュロス様……もしかして……嫉妬してるとか?
いや、そんなわけはない。
キュロス様は知っているはずだ、わたしがいかにキュロス様を深く愛しているかも、他の男に目移りするなんてありえないってことも。
なのに、どこかおかしい。
以前にも何度か、他の男性が、わたしに近づいてきたことはあった。そのたびキュロス様はわたしを護ってくれたけど、会話に無理やり割って入ったり、わたしに忠告するようなことはなかった。相手が異性でも、わたしが楽しく過ごしているならば、その仲を邪魔することはしなかったわ。
それは彼がわたしの身体だけでなく、心の自由も守ろうとしてくれているからだ。彼はいつでもわたしを信じてくれる――はずなのに。どうして、アンジェロさんを前にすると、態度が悪くなるの?
確かにアンジェロさんは、時々どきりとするほど距離を詰めてくるし、思わせぶりな言葉も言ってくる。だけどあれはあくまで冗談、わたしへの下心など無いと断言できる。だって彼は――彼も。
……それが分からないキュロス様ではない、はずなのに。
わたしは不思議に思いながら、ルハーブの山道を進んだ。




