閑話 俺は真面目に働いている
俺が初めて、ルハーブ島を訪ねた時――島全体が凪のように穏やかで、民はみなスローで生きているように見えた。
なにせ、待ち合わせ時間を守らない。空が明るいうち、もしくは暗いうちならば『間に合った』と認識している。時間を惜しむ、という概念が無い――生き馬の目を抜く業界で商売人をやっている俺としては、血管が切れそうな思いを何度もさせられた。
だがそれは、少しだけ事実と違った。彼らは決して、常に穏やかなわけではなかった。ただ気分次第で動いているだけ。すなわち行動したい時にはすぐ動く。自分が急いでいるならば、他人にも急がせる。遅刻の常連なのはそれでいいと思っているからだ。必要の時の行動は早く、性根はむしろ働き者である。
――というわけで、ルハーブの島長の話は単刀直入。女将が置いた、マンサニージャがまだ熱くて飲めないうちに、島長はずばり本題に切り込んでいった。
「――それで? なんだオメェ、先に届いた文書によると、つまるところ島の真珠をまるっと全部、自分が買いたいっちゅうことかいの」
「ぴえっ」
ぞんざいな口のきき方に、俺よりもマリーのほうが固まった。
グラナド城の侍従たちはみな気さくだし、ディルツ語が不出来な異国人も多いが、それでもここまで崩されることは無い。だがこの島ではいつものことなので、俺は気にせず頷いた。
「ああ、まあ、そうだな。正確には物を買うのではなく、権利と管理をうちでするということだが」
性急な島長に応じ、俺も率直に希望を伝える。
首を傾げる島長。俺は手荷物から、小さな布袋を取り出した。テーブルの上でさかさまにする――と、ボトッといきなり、大きな真珠粒が落ちる。
そのままころころと転がっていくのを、マリーが慌てて追いかけ、捕まえた。
「はわわっ、あ、危なかった……」
彼女が拾った真珠は二つ。右手と左手にあるのを覗き込むと、色も大きさもそっくり同じ、真珠の粒がころりとあった。
「右が天然、左が養殖だ」
「えっ、ど、どう違うんですか?」
まじまじ見つめて呟くマリー。島長も覗き込んで、全く同じ顔をした。
「素人が見分けるのは難しいだろう、素材は全く同じだしな。色味や艶、形にも違いが出るんだが――他にも圧倒的に違うものがある。マリー、分かるか?」
試しに問うてみると、聡明な彼女はすぐにハッと気付いて顔を上げた。
「採れる数ですか」
「その通り。天然物が採れるかどうかは、ほとんど偶然だ。それゆえに人々は真珠を求め、高額で取引されてきた」
「宝石の価値は美しさだけでなく稀少性、というやつですね。以前にも話していただいたことがあります」
「そういうこと」
俺は笑って頷いた。やはりマリーは記憶力がよく、さらに物事を噛み砕いて理解するのが上手くて早い。彼女がこうして相槌を打ってくれると、島長へのプレゼンテーションがとても捗るのだ。
――まあ、今日彼女を同席させたのはそれだけのためではないが。
島長はまだ二つの真珠を見比べながら、白くふさふさした眉を垂らしていた。
「それで? オメェらがそれを管理するってのはどういうこった」
「島長よ、貴殿、真珠売買の値段付けはどうやっている?」
「……買い手の言い値だ。わっしらは商売が分からん。真珠の価値もようわからん。さほど珍しくもない、ちょいと綺麗な石にしか思えんし」
「ルハーブの民にとってはそうだろう、だが外国に卸すとき、一定以上値段を下げるのはやめてくれ」
俺の言葉に、島長は明らかに機嫌を損ねた。椅子の背もたれにふんぞり返り、
「それの何が悪い? いやわっしらも別に、儲かるもんは儲けたいと思っとる。だが最近は養殖が世に出回りだしたんで、高価な天然ものは売れにくくなったらしい」
「それはその通りだ、合っている」
「商人は、いつもの値段じゃ買えないと言ぅた。わっしらはこんなもん、山ほど持ってても意味が無ぇ。宝の持ち腐れをするよりも、チーズやジャムと交換してもらえたほうがいい」
「し、真珠をチーズやジャムと……!?」
マリーが絶句する。俺も彼女と同様、頭でも抱えたい気持ちだったが、ぐっとこらえた。平静な声で島長を諭す。
「いくらなんでもぼったくられすぎだよ。……まあ売る側がそれでいいならいい――と言ってやりたいが、そうもいかない。産地がそんな値段で卸していたら、貿易商や宝石店の儲けが大きすぎる」
「それの何が悪いんじゃ」
「値下げの余地がある、ということだよ。今、安い養殖品が出回るにつれ、天然ものも競って価格暴落が起きつつある。負けじと養殖側も下げるから、真珠の価値自体がどんどん下がる。宝石は、美しいから価値があるんじゃない、皆がそれを『高い価値がある』と考えているから、高値で求められるんだ。安く売ればそれ相応の価値と見下される。一度値段が下がったものは、もう上げられない。いずれ真珠は宝石店ではなく、雑貨屋に転がることになる」
話しながら、二人の表情を確認する。マリーは事の重大さが分かっていて、顔色を悪くしていた。島長はまだいまいち理解していない。やはり不機嫌な顔のままだった。
それもそのはず、ルハーブでは現状でも真珠が買い叩かれている。それにもともと、自給自足と物々交換で成り立っているような島だ、真珠の利益が無くなっても、さほど懐は痛まない。説得するには、危機感ではなく期待をあおる必要がある。
「……。それで、馬鹿なわっしらに代わってオメェが商人と交渉して、買取値を上げてくれるってことかい? それで手数料を取ろうってか」
「いや、俺こそが商人だ。端的に言えば、ルハーブ産の真珠を独占したい。もちろん値段は今の数倍――いや十倍は出す。質のいい大玉なら一粒で家が建つぞ」
具体的な数字を出すと、さすがに島長の表情が変わった。
俺は大きな羊皮紙を取り出し、テーブルに広げた。ルハーブ島の老人は、文字が読めないことが多い。分かりやすく絵にしたものを、一つ一つ指さして、
「まずは現在の備蓄分と交換で、帆船を一隻進呈する。それを使えば浜辺だけでなく、地図のこのあたり……もっと沖まで漁に出られる。真珠はもちろん、ほかの食料の漁獲量も上がるだろう」
「お、おお……」
「魚が全島民で消化できないほどたくさん取れたら、保存食を作ってくれ。その技術と職人も派遣する。それは不漁時の備蓄だけでなく、出入りの貿易商や観光客に売ることができる。現金にしておくも良し、物々交換で、ルハーブには無いものを買い取るもよし」
「…………今よりも、チーズを多く食えるようになるか?」
「もちろん。ジャムもたっぷりパンに塗れるぞ」
「………………ジャムも。そうか……そうか」
島長はゆっくりと頷きながら、マンサニージャに手を伸ばした。……まだ熱かったらしい、すぐにカップから手を離し、耳たぶをつまんだ。
「……なるほど、わっしらにオイシイ話なのは、ようわかった。だがオメェよ、それでオメェは儲けが出るのかい。その、養殖真珠ってやつのせいで、天然ものが高く売れないのはホントなんだろ? うちからそんなに高く買ったら、養殖もんより安くするのは難しいだろう」
「いや、さっきも言った通り安売りしない。むしろ今よりも価値をあげる。そのために、質のいいルハーブ真珠が欲しいんだ」
「……わっしらは、商売が分からんが……大丈夫なんか? オメェのソレ、嫁さんなんだろ」
島長は、マリーをちらりと見て呟いた。
「わたし? が、なんですか?」
きょとんとするマリー。俺は笑ってしまった。今、島長は俺の横にいるマリーを見て、心配しているのだ――グラナド商会が大損をすれば、妻を路頭に迷わせるのではないか、と。
俺はマリーの肩を抱き寄せ、懐に入れて護って見せた。
「問題ないよ。実はグラナド商会は、群島諸国で行われている養殖真珠のスポンサーでな。これはただの商談じゃなく、天然と養殖の双方が共存していくためなんだ。値下げ競争は両方にとって良くない、末端市場にもダメージが来る。それを防ぐためだよ」
「……それじゃあ、こっちの商売はまんがいちコケても懐は痛まねえってか?」
「まあ、それほどは。だが手は抜かない。商会としてよりも俺個人的に、天然真珠に肩入れしてるんだよ」
俺はもう一つ、小さいが頑丈な鞄を取り出した。中にはいくつもの小箱がある。すべてテーブルに並べてから、島長ではなくマリーに、蓋を開けるよう促した。マリーは首を傾げながらも、蓋を開いて……ワアッと歓声を上げた。
「可愛い! 猫が真珠を抱いてるわ。これは釦? ペンダントトップ?」
「いや、分類としては置物だな。基本は箱に入れたまま部屋に飾ったり、引き出しに仕舞い込んでおく。そうすることで、持ち主の安全が護られるという」
「なるほど御守りなんですね。わあっこれも可愛い!」
俺が頷き終えるより早く、マリーは次の箱を開けていた。
「陶器のベル、舌のところが真珠の振り子になってる。これってちゃんと鳴るの?」
「もちろん。振ってごらん」
「いいの? ……わああっ可愛い。音まで可愛い! 何もかも可愛い!」
マリーは全身を跳ねさせて、次から次に箱を開け、すべてに歓声を上げていく。
島長は、その様子をぽかんと見ていた。俺は吹き出しそうになる。
うん――わかる、わかるぞ島長! はしゃぐマリーって本当に、意識が飛ぶほど可愛いよなっ!
マリー・シャデランは、美しい。男性の平均並みの長身に、切れ長気味の目元は実年齢よりも大人びて憂いがあり、ほっそりした鼻と顎は、愛くるしいと言うよりは、凛としている。控えめで出しゃばらず、冷静沈着――マリーの第一印象は、そう見える。
そんな絶世の美女が、頬を紅潮させて大喜び――このギャップには老若男女、心臓を撃ち抜かれないはずがないっ!
俺の心臓もすごいことになってるし!
ドッドッドと早鐘を打つ胸を押さえながら、俺は努めて平静な声で、マリーに尋ねた。
「東洋の島国では、真珠をこうして御守りにして持つらしい。そこからヒントを得て、西洋人に受けが良いようデザインを起こしてみた。これはそのサンプルだ」
「あっ、天然真珠に特別な価値を付けて、値段を上げるためですね? 確かに、特別な日の記念品や大切な人への贈りものならば、安すぎてはいけない、高価であったほうがいいってなりますものね」
はしゃぎながらもやはり聡明なマリーである。素晴らしい。可愛い。結婚したい。するのだが。
島長は、並んだサンプル品と喜ぶマリーを交互に見つめ、じっと考え込んでいた。
長い時間――ルハーブの民が、自身が欲するだけの時間をかけて、島長は本気で検討をしてくれた。
やがて、
「……なるほど。うん。わかった」
これ以上なく端的に、頷いてくれたのだった。




