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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
遥かなる海と大地と遠い国での結婚式
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青い瞳のサムライ

 早朝――。

 何物にも遮られることのない朝日に、全身を温められる。そのおかげだろうか、わたしは驚くほどすっきり覚醒した。

 ハンモックの上で、身を起こす。

 とたんにぐらぐら揺れたけど、焦って藻掻いたりしなければ、落っこちることはない。腕を高くあげ背筋を伸ばすと、これまた思いのほか、よく伸びる。

 体が軽い。まるでチュニカにマッサージをされた後みたいだ。そういえばハンモックは体重の負荷が分散されるぶん、腰や背中を痛めにくいと聞いたことがある。


「ふふふ……」


 わたしはわざとハンモックを揺らして、ブランコ気分を楽しんだ。


「グラナド城の寝室も、とは行かないだろうけど、テラスにひとつ、お昼寝用くらい作れないかしら。キュロス様にお願いしてみよう」


 横に並ぶハンモックを見ると、キュロス様はまだ眠っていた。

 成人男性の中でもかなり大きな体を持つキュロス様だけど、このハンモックはとても大きくて、ちゃんと足先まで収まっている。本当に寝心地がいいみたいで、いつもにまして熟睡していた。

 そう、キュロス様って実はちょっと、寝起きが悪いのよね。徹夜でお仕事をしていることもあるけど、一度寝てしまうとなかなか起きない。グラナド城にいた時は、基本的に別々の部屋で寝ていたので知らなかった。「マリー様は呼びかけるだけで起きてくださるので助かります」と、ミオのセリフを思い出し、わたしはクスクス笑った。


 バランスを取るのに少し苦労しながら、わたしはそっと、ハンモックを降りた。

 眠っている彼の側で腰を落とし、その寝顔をしばらく、堪能する。


 ――うん……やっぱり、キュロス様は世界一、カッコイイ。


 彼と出会って半年以上、端正な横顔にもそろそろ見飽きたっていい頃なのに、一向に慣れることは無い。至近距離でじっと見つめていると、いまだにドキドキしてしまうの。

 呼吸に合わせて、むき出しの咽喉仏がゆっくりと上下する。服越しでも逞しさが分かる胸板――その上に、わたしはそうっと、耳を押し当てた。とくん、とくんと規則正しい心臓の音が、なぜかたまらなく愛おしい。わたし、彼の心臓が可愛くて仕方ないの。


「フフッ……好き」


 思わずぽつりと呟いて、引き続き、彼の心音に耳を澄ませる。

 と――。


 ――コーン! と、どこかで大きな音が鳴った。


「な、なにっ?」


 ――コーン! カコーン! カコーン!


 何かをぶつけるような音……それほど遠くではないだろう、けど、あたりを見回しても見つからない。騒音というほどではないけども、まどろみから覚めるには十分大きな音だった。

 キュロス様の肩がビクンっと震える。わたしは慌ててシーツを伸ばし、彼の耳に覆いかぶせた。できればもう少し寝かせておいてあげたいのに、音はまだまだ続いている。

 わたしは意を決し、耳を澄ませると、音の鳴る方へと進んでいった。



 カコンカコンというその音は、薪を割っている音だった。

 出所はホテルの裏側、厨房に続く勝手口のほど近く。テンポよく慣れた様子で薪割りをしている人物がいる。

 ――アンジェロさんと、カエデさんだ。昨夜、飛び込みで来た二人組、斧を振っているのはアンジェロさんだけで、カエデさんは傍に座り込み、作業を見守っているようだった。

 アンジェロさんは上半身裸になって、汗を飛び散らせながら、カッコンカッコンと薪割りし続けている。


「ふう……」


 と、額の汗を拭って、すぐに再開。

 わたしはそうっと歩み寄り、タイミングを見計らって、声をかけた。


「――アンジェロさん、カエデさん」

「おお、マリー殿」


 わたしに気付くと、彼はすぐに斧を置いた。

 横のカエデさんは、明らかにムッとした表情になる。どうしようかと思ったけど、とりあえず触らないでおこう。アンジェロさんも彼女は気にせず、わたしに向き直り、丁寧に一礼する。


「おはようございます。本日はお日柄もよく――あ、起こしてしまったでござるか?」

「大丈夫です、わたしは早起きが習慣なので。ただ何の音か気になって来ただけですよ」


 笑って答えると、アンジェロさんは胸に手を当て、ほうと息を吐いた。


「それは良かった」


 くしゃっ、と、顔中を皺だらけにし、眼球が見えなくなるほど目を細めて笑う。

 その笑顔は何だか子どものように可愛らしくて、わたしよりずっと年上の男性だと思えないほど無邪気に見えた。


「むっ」


 ……カエデさんがまた何か呻いた気がする。

 アンジェロさんは、まばらに生えた無精ひげを撫でながら、


「昨夜は客室を御譲りいただき、ありがとうございました。おかげで拙者もゆっくりと休養を取らせていただきました」

「いえいえ、よくお休みになれたなら何よりです。それで、早起きして手持無沙汰で、薪割りを?」


 わたしが聞くと、彼は頷いてから、首を振った。


「手持無沙汰の暇つぶし半分、宿への恩返し半分でござる。やはり急なお願いを聞き入れてくださったせめてもの礼に、拙者自ら申し出ました。力仕事でもなんでもどうぞと」

「なるほどそれで――……ルハーブの人は遠慮が無いから」

「ええまったく。そう言ってくれたならありがたく、と、宿中の掃除と模様替えと釜の修繕、それからありったけの薪割りを頼まれたでござる。さすがに拙者もトホホでござる」

「そ、それはそれは……お疲れ様です」


 わたしは同情しながらも、思わず笑ってしまった。アンジェロさんの気遣いと、テンダー一家の厚かましさ――もとい気兼ねのなさとの対比が可笑しくて仕方ない。

 それにしても本当に、アンジェロさんは礼儀正しく、腰の低い男性だ。

 ――それに比べて……と言ったら失礼なんだけど……。

 カエデさんは相変わらず、わたしから顔を背け、目も合わせてくれなかった。

 リゾート島に観光旅行に来られるくらいだから、きっと祖国では相当な地位か資産のある家のお嬢様なのだろう。ディルツの上級貴族くらい気位の高いレディなのかもしれない。

 なぜか嫌われてしまったようだけど、これからうまくコミュニケーションを取り、仲良くなりたい。上手くいけばミズホの話も聞けるかもしれないわ!

 そう、わたしが昨夜客室を譲ったのは、そんな下心もあってのことだった。わたしはミズホという国の名前を初めて聞いた。極東の島国のこと、もっといろいろと知りたい!

 わたしは気合を入れて、彼女に世間話を振ろうとした。

 ええと……「その服素敵ですね」ってシャイナ語で何て言うのだったかな……。

 会話の糸口を探っている間に、カエデさんは立ち上がった。片足を少し引きずりつつ、すごい速さで宿の中に入ってしまう。どうやらわたし、とことん嫌われてしまったみたい。

 アンジェロさんは、困ったように眉を寄せ、大きく嘆息した。


「大変申し訳ござらん、もはや謝罪の言葉も尽きたでござる……」

「いえそんな、アンジェロさんが悪いわけでは」

「主の無礼は侍従の失態――いえこれは世間一般には逆を言うのでござるが、しかしまあ逆も真なり。カエデ様の代わりに、どうぞ拙者を()って下され。それでどうしても怒りが収まらぬとおっしゃるならば、いっそ拙者、この腹を掻っ捌いてお詫びを」

「腹!? と、とんでもないっ! いいのよ謝らなくてわたしは大丈夫ですから!」


 わたしは慌ててブンブン首を振った。お詫びで腹を切るだなんて、冗談でもゾッとしてしまった。……冗談よね?

 わたしは恐る恐る、アンジェロさんを見上げた。その表情は穏やかだけど、真剣みがあった。冗談ではある――だけどもしわたしが求めたなら、主の身代わりに処刑も受け入れるという、本気の覚悟が感じられる。

 ……なんだろう。不思議な人……。

 改めて考えると、この二人の組み合わせも少し、奇妙だった。

 ミズホという国が具体的にどこにあるのか、わたしは知らない。言い換えればそれだけ、西洋大陸から遠く離れているということだ。見るからに西洋人のアンジェロさんが、どういういきさつでミズホに辿り着いたのか……。

 ……もしかしてアンジェロさん、オラクル国の学者だとか? あそこは学術のため、世界各国に有識者を派遣していると聞く。自国への留学生招致も盛んで、全く文化も言語も違う僻地と積極的に交流しているのだとか……。

 そう考えて、アンジェロさんに尋ねてみたが、彼は微笑んで首を振った。


「いいえ。拙者はミズホで生まれ育った、生粋のミズホ人。それも学者様だなどと畏れ多い、剣しか知らぬ男でござるよ」


 アンジェロさんは、どこか誇らしげにそう言った。


「見ての通り、両親は西洋人と思われますが、物心つく前には生き別れたようで。幼き頃、道端で野垂れ死にしかけているのを拾われ、そこの使用人になったでござる。のちにその方に御子が生まれ、共に育ったのがカエデ様――ゆえに、その侍従となったまで。本来ならばカエデ様ともマリー殿とも、許可なく会話できるような身分にござらん」


 そう言ってから、彼は薪割り斧を肩に担ぎ、むきっ、と二の腕を膨らませた。


「証拠はこの逞しい力こぶ。拙者、一時期は城で同心――領主お抱えの騎士のような仕事に就いておりました。通訳はオマケで、カエデ様の護衛が拙者の本業でござる」

「まあ、そうなんですね。それは頼もしい」

「マリー殿も、お困りの際には拙者を頼るとよい。あのキュロス殿ほどの役に立てるかは分からんが、暖簾(のれん)を押すのでも糠に釘を打つのでもお任せでござる」


 剽軽な仕草に、わたしは思わず笑ってしまった。ノレンとかヌカとかは、なんのことだか分からなかったけど。


 そう言えばキュロス様、まだ起きてこないのかしら? 薪割りの音はかなりの騒音だったし、もう日も昇り切っているのに。

 考えてみれば今日に限らず、キュロス様って少し、寝起きが悪い気がする。もしかして大貴族って、夜型のひとが多いのかしら。社交界は夜に行われることが多いし、そうなのかも。


「ねえアンジェロさん、ミズホにも社交界ってあるの? どんなお茶やお料理が出されるのかしら」


 このわたしの問いかけに、アンジェロさんは答えてくれなかった。

 苦笑いのようなものを浮かべ、目を細めて……静かに、頭を下げた。


「申し訳ないでござる、マリー殿」

「えっ、何がです?」

「カエデ様のことです。昨夜は、気さくに話しかけていただいたにも関わらずあのような態度で」


 蒸し返されてしまった。本当に、わたしは怒ってなどいなかった。ただ仲良くなりたかったので、残念ではある。そう話すと、アンジェロさんは少し、嬉しそうにした。


「そう言っていただけたらありがたい。カエデ様も、少々臍を曲げただけで、根っから礼儀知らずのワガママ令嬢というわけではないのです。実はあれで、愛想笑いくらいはしていたでござるよ」

「あ――あれで!?」


 ウッカリ、大きな声を上げてしまう。だって愛想笑いだなんて、いつの間に? 口の端がピクリとも動いてなかった気がするけど!?


「ミズホ人は、あまり感情が顔に出ないらしいのです。……いえ自分たちではそれなりに、喜怒哀楽を表現しているつもりでござるが、西洋の方と比べて変化が少なく、わかりにくいのだと。どこの国の港でも、腰が低いのに愛想が無いと言われてしまうでござるよ」


 そうだったのか、と頷いてから、ふとあることに気が付き、わたしはポンと手を打った。


「ではアンジェロさんは今、わたし達が分かりやすいよう、頑張って表情を作ってくれているのね」


 わたしが問うと、アンジェロさんはキョトンと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。


「……あれ? ええと、ごめんなさい。わたし今、何か失礼なことを言ったかしら」


 慌てて謝ると、彼はブンブン首を振った。


「いえいえ、むしろ嬉しくて――今までそんな反応をされたことがなかったもので。西洋人ならば大抵、『なるほどおまえも大変だな』とか、『これだから東洋人は嫌いだ』などとおっしゃいますゆえ」

「まあ、なんて失礼な人たち! 本人を前にしてそんなふうに言うなんて、アンジェロさん、気分が悪かったでしょう」

「ええ、おっしゃる通りです」


 アンジェロさんは深々と、何度も何度も頷いた。


「拙者も、ミズホの男でござる。……ふふ、失礼。そう考えてくれる方は、とても少ないということでござるよ」

「???」


 彼がなぜ笑っているのか分からなくて、わたしの頭は疑問符で一杯。

 肩に着くほど首を傾げたわたしに、アンジェロさんは手を伸ばした。頬に触れ、傾けた顔を正しい位置に戻しながら、にっこり笑う。


「マリー殿は、本当に素敵な女性でござるな」

「えっ?」

「いつか機会があれば、ミズホにお立ち寄りくだされ。このアンジェロがミズホ中の名所という名所を案内し、ミズホの魅力を余すところなくあなたにお教えいたしましょうぞ」

「わあっ素敵! それはぜひ」


 社交辞令と分かっていながらも、本気で歓声を上げてしまう。はしゃぐわたしに、アンジェロさんは目を細める。わたしの頬に触れる指を、わずかにくすぐらせて、


「……とはいえ、拙者はキュロス殿とは違い、資産など持たぬ身。提供できる宿は、この民宿よりも狭く小さな部屋であろう。そうなるとキュロス殿には、外で待ってもらうことになりますな」

「まあ」


 酷い言い様だけど、これは昨夜、キュロス様が彼に言ったことの意趣返し、ただの冗談だろう。明るく笑っているのがその証拠。むしろあの夜のことは怒ってないよという意思表示だ。

 わたしはホッとして――突然、後ろからぎゅうッと抱きしめられた。ビックリして振り向く。そこにはキュロス様がいた。いつの間に起きて、そして近づいていたのか。わたしは顔をほころばせる。


「キュロス様、おはようござ――」


「おいおまえ、マリーに何をしていた」


 キュロス様は、低い声でそう言った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新再開されていた部分、一気読みしました! 先生のおかげで新婚旅行がスペインだったことを思い出しました。 (もう十年以上前の話ですが……) 描写が素晴らしいので、旅行のわくわく感をよりリ…
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